ジミ・ヘンドリックスのギター・パフォーマンスで最も有名なのは、間違いなく“ギター燃やし”だろう。現在は消防法で絶対に許されないこの“儀式”について、詳しく話をしよう。
文=fuzzface66 Photo by Stephen Chernin/Getty Images
わずか2回だけ披露された
呪術的パフォーマンス
1967年6月、アメリカ・カリフォルニア州モンタレーで3日間に渡って開催されたモンタレー・インターナショナル・ポップ・フェスティバル(ロック系野外フェスティバルとしては史上初とされる)の最終日である18日、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスはステージに登場した。
それまでイギリス、フランス、ドイツ、スカンジナビアなどヨーロッパで人気を獲得してきたグループにとっては、”巨大なアメリカのマーケットを取り込む”という至上命令を自らに課して挑んだステージであり、同時に、アメリカ人であるジミにとっては、母国への”凱旋”と”再挑戦”という相反する2つの意味を持つステージでもあった。
白熱するグループのエネルギーは瞬く間にオーディエンスの心を掴み、何よりも、キャッチーなアクションと高いアート性に加え、確固たる実力に裏付けされた演奏能力も兼ね備えたジミのギター・プレイは、ついに本国アメリカをも飲み込んだ。ステージは大成功を収め、以降グループの活動はアメリカが中心となった。
そして、このモンタレー公演のクライマックスでは、後世にまで語り継がれることになる、ある”淫靡な儀式”が執り行なわれた。そう、“ギター燃やし”だ。炎を上げる生け贄となった1964年型ストラトキャスターの前でひざまづくジミの姿が強烈に焼き付いているという人も多いことだろう。
だがしかし、ジミがギターを燃やしたのは、このモンタレーを含めても、わずか2回しかない。同じくステージでの過激なパフォーマンスとして知られた”ギター叩き壊し”は、わざわざ叩き壊し専用ギターを用意してまで一時期頻繁に披露されていたのとは対照的だ。
最初のきっかけは何だったのか。それはモンタレーよりもおよそ2ヵ月半前の、1967年3月31日に遡る。
前年10月のグループ結成以来、ツアー公演はおもにフランスやドイツなどで行なわれてきたが、今度は初イギリス・ツアーとなる各映画館を会場にした、これまたフランスの時と同じようなパッケージ・スタイルのツアーに参加する(4月30日まで)。しかもメイン・アクトはジミたちではなく、「太陽はもう輝かない」や「ダンス天国」などのヒット・ナンバーで知られ、解散を発表したウォーカー・ブラザーズだった。早い話が、ウォーカー・ブラザーズのフェアウェル・ツアーにジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスが帯同した形だ。
そのツアー初日、会場である老舗の映画館『フィンズベリー・パーク・アストリア(のちのレインボー・シアター)』の楽屋で、マネジメント陣も含めたジミ一行は、“どうすればメイン・アクトのウォーカー・ブラザーズより注目を集められるか?”という作戦会議を行なっていた。
“ギターを叩き壊すか?”、“象でも叩き潰すか?”など、半ば冗談交じりで話し合う中、ニュー・ミュージカル・エキスプレスの記者だったキース・アルサムが“ギターに火をつけたらどう?”と提案した。すぐさまマネージャーのチャス・チャンドラーが“それいいね!”と返したという。
その後も“ギターが燃え始めるまでかなり時間がかかるんじゃない?”、“オイルを使えば?”、“ライターのオイルを使えばオイルだけ燃えて、ギターが燃えているように見せられるんじゃない?”などなど意見が飛び交い、楽屋で何度か実験が行なわれたそうだ。
そしてステージ本番、オープニング・アクトで登場したジミは、セットリストのラスト・ナンバー「Fire」のクライマックスで、文字通りギターに火を付けた。3回目か4回目かで炎がバッと燃え上がったのち、ジミは風車のようにギターをブン回し始めた。騒然とするオーディエンスをよそに司会のニック・ジョーンズが慌てて消火に駆けつけた(彼は手に軽い火傷を負ったという)。ステージ終了後、ジミは会場の警備担当にこっぴどく説教されたほか、系列店への立ち入り禁止も喰らってしまったが、この一連のパフォーマンスはイギリスでジミをよりセンセーショナルな存在へと押し上げるのには十分な効果が得られた(おかげでフェアウェル・ツアーの一発目でやられてしまったウォーカー・ブラザーズのメンバーとは少しギクシャクしたらしいが)。
モンタレーで使われたオイルは
ジッポーではなくロンソン製
ちなみに、この時に燃やされたギターは、危険行為の証拠品として押収されることを恐れたツアー・プロモーターのティト・バーンズという人物が持ち帰ったと言われている。だが、2008年にジミのマネジメント・サイドの人間だったトニー・ガーランドの甥が突如として“アストリアで燃やされたギター”と称したストラトキャスターをオークションに出品し、アメリカのコレクターが5,000万円以上の価格で落札するという事態が発生した。しかし、出品されたストラトキャスターは当時ジミが使っていたどのモデルとも符合しない点や、ライター・オイルで火を付けたというよりはガス・バーナーのようなもので直接炙ったような見た目から、偽物疑惑が浮上する騒ぎにまで発展した(実際に燃やされたモデルは当時ジミが複数本使っていた64年型スパロゴ・サンバースト・モデルのうちの1本ではないかと筆者は推測しているが、真相は不明)。
ギター叩き壊しよりもさらにインパクトがあり、どこか儀式めいた雰囲気さえ感じるこの“ギター燃やし”はアストリアののち、前述のモンタレー・ポップ・フェスティバルで再び披露されることになる。アメリカ成功への足がかりとして強烈なインパクトを残すために取り入れたのか、単に出演順で揉めたザ・フーのピート・タウンゼントの”ギター叩き壊し”よりも上をいってやろうと思ってのことなのか、いずれにせよ、“ギター燃やし”はジミのような選ばれし天才でなければ成立しないパフォーマンスであることには違いない(現在ならそもそも消防法で完全にアウトだろう)。
その後、1968年5月18日のマイアミ・ポップ・フェスティバルでもジミはギターを燃やしたとの噂はあったが、フェスティバルの様子を撮影したカメラマンや、当日観客として来場していた人物らによって完全否定されている。よってジミがギターを燃やしたのは、1967年3月31日のアストリアと6月18日のモンタレーの2回だけという事になる。神のような男にも2回しか許されなかった行為なのかもしれない。
そして最後にもう1つ余談だが、モンタレーで使われたライター・オイルは、ジッポー製ではなくロンソン製であった事を筆者は確認している(笑)。