ドゥービー・ブラザーズ物語〜“アメリカン・ロック”を体現した男たち ドゥービー・ブラザーズ物語〜“アメリカン・ロック”を体現した男たち

ドゥービー・ブラザーズ物語
〜“アメリカン・ロック”を体現した男たち

延期となっていた50周年ツアーも再開し、来日も期待されるドゥービー・ブラザーズ。今回の特集では、マイケル・マクドナルドの参加によってAORへと急接近した時期の彼らにフォーカス! その導入として、まずはドゥービー・ブラザーズのこれまでの歩みをざっと振り返っていきたい。

文=近藤正義

結成50周年を迎え、躍動するドゥービーズ・メンバーたち

2020年に結成50周年を迎え、ロックの殿堂入り。2021年には15作目となるスタジオ・ニュー・アルバム『Liberte』を発表し、健在ぶりを示したウエストコースト・アメリカン・ロックの老舗、ドゥービー・ブラザーズ。諸事情により延期されていた50周年北米ツアーは2021年より始まり、それがこの先、日本を含むワールド・ツアーに発展する可能性もメンバーから示唆されている。

現在のツアーには70~80年代の活動における後期の立役者、マイケル・マクドナルド(k,vo)が参加していることも大きな話題となっている。そして、トム・ジョンストン期からマイケル・マクドナルド期まで、ドゥービー・ブラザーズの全盛期を支えたギタリスト、ジェフ・バクスターも初のソロ・アルバム『Speed Of Heart』を発表し、本格的に音楽活動を再開。そこにはマイケル・マクドナルドも参加している。

このように、再び盛り上がってきたドゥービー・ブラザーズ周辺。そこで、今一度バンドの歴史を振り返ってみよう。

徐々にパワー・アップしながらチャートを駆け上がる

ドゥービー・ブラザーズは1970年にサン・ホセで結成された。メンバーはトム・ジョンストン(g, vo)とパット・シモンズ(g, vo)を中心とする、2ギター、ベース、ドラムというコンパクトな4人編成。プロデューサーのテッド・テンプルマンに見出され、1971年に『ドゥービー・ブラザーズ・ファースト』でアルバム・デビューを飾る。

1970年頃のグループ・ショット。左からパット・シモンズ(g,banjo,flute,vo)、ジョン・ハートマン(d,perc)、デイヴ・ショグレン(b,g)、トム・ジョンストン(g,k,harp,vo)。
1970年頃のグループ・ショット。左からパット・シモンズ(g,banjo,flute,vo)、ジョン・ハートマン(d,perc)、デイヴ・ショグレン(b,g)、トム・ジョンストン(g,k,harp,vo)。

デビュー作はほとんど話題にもならなかったが、次作『トゥルーズ・ストリート』(72年/全米21位)からツイン・ドラムの5人編成にパワー・アップし、シングル「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」が全米11位をマーク。さらに翌年の『キャプテン・アンド・ミー』(73年/全米7位)からは「ロング・トレイン・ランニン」が全米8位、「チャイナ・グローヴ」が全米15位の大ヒットを記録。快進撃は続き、『ドゥービー天国』(74年/全米4位)からは「ブラック・ウォーター」が初の全米1位に輝いた。

そして、『キャプテン・アンド・ミー』や『ドゥービー天国』にゲスト参加していたスティーリー・ダンのギタリスト、ジェフ・バクスターが正式メンバーとして加入。3ギター、ベース、2ドラムの6人編成になり制作した『スタンピード』(75年/全米4位)は、ゴールド・ディスクを獲得。

このアルバムからはシングル「君の胸に抱かれたい」も全米11位をマークし、アメリカン・ロックを代表するビッグ・ネームとなる。エレクトリック・ギターによるワイルドなロックとフォーク/カントリー的なアコースティック・サウンドのコントラストが、この時期のバンドの特徴だった。

トム・ジョンストンの離脱とマイケル・マクドナルドの加入

しかし、『スタンピード』のアルバム・ツアーで、中心メンバーだったトム・ジョンストンが健康状態の悪化からバンドを離脱。補充メンバーとして、ジェフ・バクスターの推薦で元スティーリー・ダンのツアー・メンバーだったマイケル・マクドナルドが加入した。

彼を迎えてからのアルバム『ドゥービー・ストリート』(76年:全米8位)には、まだトム・ジョンストンも数曲参加してはいるが、全体的に洗練されたAOR的なサウンドが中心となり、バンドのサウンドは大きく方向転換する。これにはファンの間でも賛否両論が入り乱れたものだが、ミュージック・シーンのAOR/フュージョン化という当時の事情からの判断は、バンドにさらなる黄金時代をもたらすことになった。

同じ方向性で制作された『運命の掟』(77年/全米10位)、『ミニット・バイ・ミニット』(78年/全米1位)、そしてシングル「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」(全米1位)は商業的に大成功を収めたが、ここで初期の中心メンバーであるトム・ジョンストンは正式に脱退。

このあと、ジェフ・バクスター、ジョン・ハートマン(d)、タイラン・ポーター(b)が相次いで脱退する。ここでジョン・マクフィー(g, violin)の加入を含む最後のメンバー・チェンジが行なわれ、7人編成へと変貌。そして解散前としては最後のアルバム『ワン・ステップ・クローサー』(80年/全米3位)、シングル「リアル・ラヴ」(全米5位)、「ワン・ステップ・クローサー」(全米24位)を発表し、好成績をキープ。

しかし、さすがに前述メンバー3名の離脱は大きかった。このラスト・アルバムでは、前作までバンドがギリギリ維持できていたドゥービー独特のリズム感は消え失せていた。

この直後、唯一のオリジナル・メンバーであるパット・シモンズはバンドの活動休止を提案。そして82年のフェアウェル・ツアーにて解散した。

現在も続くドゥービー・ストリート

それから数年が経った80年代の半ばより、70年代に活躍したバンドの再結成が多く見られるようになる。ミュージック・シーンの流行が一回りし、再び往年のロック・サウンドが求められた時期でもあったのだ。

ドゥービー・ブラザーズは、87年にチャリティー・コンサートで新旧織り交ぜたメンバーが一時的に集まったことを経て、89年に初期のオリジナル・メンバーを中心とする6人編成で正式に再結成。アルバム『サイクルズ』(89年:全米17位)、シングル「ザ・ドクター」(全米9位)では初期に戻ったような力強いロック・サウンドで復活した。

その後も多少ブランクの時期を挟みながらも、トム・ジョンストンとパット・シモンズ、そして93年から合流したジョン・マクフィーというギタリスト3人を中心に、メンバーを入れ替えながら現在も活動を続けている。