ウェス・モンゴメリーとソウルの融合!? ギタリスト、ジミー・ポンダーの生涯 ウェス・モンゴメリーとソウルの融合!? ギタリスト、ジミー・ポンダーの生涯

ウェス・モンゴメリーとソウルの融合!? ギタリスト、ジミー・ポンダーの生涯

ジャズ由来、ソウル経由、ファンク行き。多くのジャズファンク・ギタリストがこのようなルートを辿る中で、ことジャズのカラーを色濃く残したのが今回の主人公、ジミー・ポンダーだ。ここでは、その生涯とキャリアを辿っていこう。

文=久保木靖

ジャズに軸足を置いた指弾きのメロウ・ファンカー

 晩年こそ、ウェス・モンゴメリーの影響を顕にしたストレートアヘッドなジャズにシフトしたが、最も脂が乗っていた1970年代は、時にワウを踏み、時にマイナー・ペンタ中心に弾き倒すなどジャズファンク道を熱く邁進。

 一方でメロウなインスト・ソウルも魅力……そんなサム・ピッカーが今回の主人公だ。

 ジミー・ポンダーは1946年5月10日、米国ペンシルヴァニア州ピッツバーグに生を受けた。幼い頃からドゥー・ワップやモータウンが好きだった彼は、入隊した兄の置き土産のギターをおもちゃ代わりに育つ。1日平均6時間の練習の末、13歳になる頃にはすでにレギュラーのギグを持つほどに成長した。

 この頃、ラジオで聴いたジミー・マクグリフ(org)のバックでギターを弾いていたソーネル・シュワルツのプレイには特に惹かれたという(後年、20歳の時に一度だけ、このシュワルツからレッスンを受けている)。

 その後、テンプテーションズや初期のスティーヴィー・ワンダーに親しみ、ウェス・モンゴメリーやケニー・バレルのレコードを聴いてギター奏法を研究。間近で観たジャック・マクダフ(org)・バンドのパット・マルティーノやジョージ・ベンソンには大きな衝撃を受けたと語っており、時折挟み込む速いパッセージのルーツはここにありそうだ。

 そして17歳の時、ピッツバーグを訪れたチャールズ・アーランド(org)に見出されて本格的なプロ活動へ。この時、アーランドのグループのギタリストが演奏中に寝てしまうというハプニングが起きた。それを見たポンダーはチャンスとばかりに、発売されたばかりのアーランドのシングル「Daily Dozen」のソロを弾いて聴かせたことがスカウトのきっかけだ。

 さて、衝撃の出会いは18歳の時に訪れた。

 アーランドとの仕事でアトランタを訪れた際、別のクラブに出演していたウェス・モンゴメリーのステージへ飛び入りする機会を得たのだ。この時ポンダーは、ウェスのギターで、ケニー・バレルの「Chitlins Con Carne」を恐る恐るプレイ。すると、その演奏をいたく気に入ったウェスは、その後ポンダーが演奏しているクラブに足繁く通ってきたという。ポンダーはのちに“あのウェスの前で演奏するんだぜ、口から心臓が飛び出るほど緊張したよ”と述べている。ポンダーがピック弾きをやめ、親指ピッキングに移行したのはこのあとだ。

 ポンダーは1970年代にはフィラデルフィア、のちにニューヨークに移り住み、リーダーとして活動、アルバムもコンスタントに作られていく。デビュー作『While My Guitar Gently Weeps』(1973年)こそ後期ウェスを意識したサウンド作りが見られるが、これと前後してジミー・マクグリフのグルーヴ・マーチャント盤に参加してジャズファンクの洗礼を受けると、続く2nd作『Illusions』(1976年)ではオリジナルのファンク・チューンやミラクルズの「Do It Baby」を揃え、“ファンク度”という点では最高値へ。

 続くストリングスを本格導入した3rd作『White Room』(1977年)と4th作『All Things Beautiful』(1978年)はファンクとメロウネスが両立し、進むべき道が示された格好。スウィートなウェス、ソルティなベンソンといった面も散見されるが、フレーズの歌わせ方や速いパッセージの挟み込みなどに独自の魅力が感じられる。特に『All Things〜』は、デビュー作で失敗気味だった後期ウェス・サウンドを時代に見合った極上のスムース・ジャズに磨き上げた傑作で、ベンソンの『Breezin’』をも彷彿する。

 メロディを弾く際、例えば、デヴィッド・T・ウォーカーが“人間の声”のように表現することに注力する一方、ポンダーはあくまでジャズ奏者として最良の音の選択をすることに神経を使っている(ソウルを奏でるにはジャズに寄りすぎているとも言えるが)。

 そういうわけで、サイドマンとしての仕事はオルガン入りのジャズ系のものが圧倒的に多い。個人的にはチャールズ・アーランドの『Smokin’』(1977年)やウィリス・ジャクソン(ts)の『In The Alley』(1977年)、ヒューストン・パーソン(ts)の『Stolen Sweets』(1977年)などのミューズ諸作におけるブルージーなジャズ・プレイにポンダーならではのソウルを感じる。

 1980年代以降は『Jump』(1989年)のようによりソウル・ジャズへ接近し、21世紀に入ってからは『Thumbs Up』(2001年)に代表されるストレートアヘッドなジャズへ舵を切って評価を得た。2007年の「Somebody’s Child」(同タイトル・アルバム収録)はJazzWeekのラジオ・チャートで3位を記録している。 ポンダーは2013年9月16日、肺がんのため生まれ故郷ピッツバーグで67歳の生涯を閉じた。キャリアを通して20枚を超えるリーダー作を残したが、生涯充分な収入を得られず、貧困に苦しんでいたとも伝えられている。

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