パット・シモンズが率いたドゥービー・ブラザーズのアメリカン・グルーヴ パット・シモンズが率いたドゥービー・ブラザーズのアメリカン・グルーヴ

パット・シモンズが率いた
ドゥービー・ブラザーズのアメリカン・グルーヴ

ドゥービー・ブラザーズ創設メンバーの1人であり、唯一バンドの全期間で在籍し続けているのが、パット・シモンズ。彼らのアイデンティティを作り上げ、サウンドの方向性が変化しても“らしさ”を保ったのが彼のギターだった。今回はギタリストとしてのパットを紹介しつつ、トム・ジョンストン期/マイケル・マクドナルド期それぞれにおける彼の存在について考えていこう。

文=近藤正義 Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images

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サムピック&セミアコというスタイルのルーツ

幾多のメンバー・チェンジをくり返してきたドゥービー・ブラザーズの中で、デビュー・アルバム以来、バンドの全歴史をとおして在籍した唯一の人物、それがパット・シモンズだ。

ドゥービー・ブラザーズを結成する以前はサンホセのローカル・クラブでブルーグラスやフォーク・ミュージックをプレイしていた。フォーク畑の出身ということもあり、当初はフィンガーピッキングや変則チューニングによる独特なアコースティック・ギターが売り物だったようだが、トム・ジョンストンのギターやバンドのロッキンなサウンドの影響を受け、次第に個性的なロック・ギタリストへと成長していった。サムピックを使ってセミ・アコースティック・ギターを弾く彼の一貫したスタイルは、その名残だろうと思われる。

トムとのツイン・ギターによるスタイルは、デビュー前の音源を収録したアルバム『メイク・イット・イージー』(1993年)を聴くとすでに完成しており、『トゥルーズ・ストリート』(1972年)でも「ママロイ」、「トゥルーズ・ストリート」といったアコースティック・ナンバーだけでなく、「ドント・スタート・ミー・トゥ・トーキン」ではオールマン風のツイン・リードも聴かせている。

自身のスタイルを保ちつつも変幻自在に

そして彼はギタリストとしてだけでなくボーカリスト、ソングライターとしても、前期はトム・ジョンストン、後期はマイケル・マクドナルドに次ぐ二番手として良い味を出し続けた。

前期では彼とトムが良いバランスでお互いに影響を与え合っており、トムが歌うソウルフルでロック色の濃いメロディをフォークっぽいソフトなカッティングのギターが味つけする、「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」に代表される典型的な手法は、バンドの個性となって定着した。彼の独壇場であるケイジャン風味の「ブラック・ウォーター」がバンドにとって初の全米ナンバーワンを獲得したのも、アメリカのマーケットならではの現象だろう。

後期になるとマイケルの陰でルーツ・ミュージックやアコースティックな味わいも残しながらも、マイケルを凌ぐようなAOR調の曲も提供している。これは、もともと彼の書く曲がメロディアスでフォーキーであったため、AOR調にアレンジすることも自然に行なえたからであろう。前期と後期でバンドのサウンドが様変わりしても、彼の曲やボーカルがあれば従来のドゥービー・ブラザーズらしさが幾分でもキープできていた、という事実は忘れてはならないのではないだろうか。

彼の作曲よる洗練されたAOR調の曲は、『ドゥービー・ストリート』(1976年)に収録された「8番街のシャッフル」、「リオ」、『運命の掟』(1977年)に収録の「エコーズ・オブ・ラブ」、「運命の掟」など。

一方で彼のルーツを感じさせる曲なら『運命の掟』(1977年)に収録された「きこりのラリー」や、『ミニット・バイ・ミニット』(1978年)に収録の「スウィート・フィーリン」における二コレット・ラーソンとのデュオ、「スティーマー・レイン・ブレイクダウン」ではインストでカントリー・ギターを聴かせてくれる。

彼の場合、自作曲のリズム・ギターはまず間違いなく自分で弾いており、オブリガードや幾分シャープなリードはジェフ・バクスターが弾いている。一方、「ディペンディン・オン・ユー」などで聴けるオーバードライブしたリード・ギターは、一聴してわかる彼ならではのロックなフレージングだ。70年代の当時、使用していたギターはエレクトリックがギブソンES-335、アコースティックはマーティンと思われる。