ポピュラー・ミュージックの歴史上、最も偉大で重要な存在の1人、ボブ・ディラン。ジミ・ヘンドリックスを筆頭に、ギタリストにも多大な影響を及ぼしてきた。今回はそんな偉人を支えた名手たちにフォーカス! ディランの長い活動歴の中で、どんなギタリストたちが彼とともに音楽を鳴らしてきたのかを、一挙に見ていこう。
文=小川真一 Photo by Charlie Steiner – Highway 67/Getty Images
No.1 マイク・ブルームフィールド
歴史的瞬間を共にした男
ボブ・ディランを支えたギタリストといえば、まず頭に浮かぶのがマイク・ブルームフィールドの名前だ。65年の7月に行なわれたニューポート・フォーク・フェスティバルのステージにディランと共に登場し、爆音で「マギーズ・ファーム」を演奏した。これこそが、フォーク・ロックが狼煙をあげた瞬間であり、一瞬にして世界を変えていった。
同年の6月には、ニューヨークのコロムビア・スタジオにおいて、アル・クーパー(k)、ハーヴェイ・ブルックス(b)らと一緒に、フォーク・ロック誕生の記念碑的な名盤『追憶のハイウェイ 61』のレコーディング・セッションに参加。ブルームフィールドは「ビュイック6型の想い出」などで、鋭いギターを響かせている。
また、ディランの未発表テイクを集めた『ザ・カッティング・エッジ1965-1966』には、20テイク以上の「ライク・ア・ローリング・ストーン」が収められていて、名演ができあがっていくさまが克明に記録されている。
No.2 ロビー・ロバートソン
名セッションを多く残した盟友
ボブ・ディランは65年の8月から、“ザ・ホークス”と名乗っていたバンドをバックに従えてツアーを始める。このバンドにいたのが、ロビー・ロバートソンだった。当時の映像を観ていると、短めのストラップでギターを構えたロビーがエキセントリックなソロを弾く姿が映し出される。
“ザ・バンド”とグループ名を変えたロビー・ロバートソンたちと、ボブ・ディランの関係は続き、ウッドストックでのセッションを集めた『地下室(ザ・ベースメント・テープス)』、74年のライブ盤『偉大なる復活』、ザ・バンドの解散コンサートとなった78年の『ラスト・ワルツ』などの名作を残しているが、両者の共演の最高峰は74年のスタジオ録音盤『プラネット・ウェイヴズ』になるだろう。
このアルバムの中でロビー・ロバートソンは、「ゴーイング・ゴーイング・ゴーン」や「いつまでも若く」などで、まさに神業と呼ぶのが似つかわしい渾身のギター・ソロを聴かせている。
No.3 ジョージ・ハリスン
ボブ・ディランと肩を並べる英国の傑物
ボブ・ディランとジョージ・ハリスンが出会ったのは64年頃。ディランの英国ツアー、ザ・ビートルズの全米ツアーなどでその親交を深めていった。ビートルズ『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のジャケットにディランの写真が掲載されているなど、互いに対するリスペクトは、多大なるものがあったはずだ。
68年の秋にジョージ・ハリスンは単身、ディランがいたウッドストックを訪れ、レコーディング・スタジオに入り9曲を録音。その中の1曲「イフ・ノット・フォー・ユー」は、帰国後の70年にリリースされたジョージのソロ・アルバム『オール・シングス・マスト・パス』に収録された。
未発表に終わったディランとジョージのセッションは、ボブ・ディランのアーカイブ・シリーズ『1970(50th Anniversary Collection)』で日の目を見ることとなったが、 ディランの歌に寄り添っていくジョージのギターが素晴らしい。この2人の友情物語は、71年夏の“コンサート・フォー・バングラディッシュ”まで続いていくのだ。
No.4 トム・ペティ&マイク・キャンベル
次世代フォロワーもピックアップ
トム・ペティとマイク・キャンベル、この2人とボブ・ディランが共演するきっかけとなったのは、85年に行なわれたチャリティー・コンサート“ファーム・エイド”でのステージだった。これを契機に約2年間にわたるジョイント・コンサートが始まっていく。
ギターのマイク・キャンベルはライブだけでなくボブ・ディランのスタジオ・レコーディングにも招かれ、85年の『エンパイア・バーレスク』、翌年の『ノックト・アウト・ローデッド』に参加し、2009年に制作された『トゥゲザー・スルー・ライフ』では全編にわたりメイン・ギタリストとしてフィーチャーされている。よほどマイク・キャンベルのプレイが気に入ったのであろう。
トム・ペティも、ディランと共同で「マイ・マインド・メイド・アップ」を作ったり、ディラン、ペティ、キャンベルの3人で「ジャミン・ミー」を書くなど、様々なコラボレートを行なった。
No.5 チャーリー・セクストン
スター性を隠しきれないサポート・ギタリスト
日本では“チャリ坊”の愛称でも親しまれているチャーリー・セクストン、そのデビューは鮮烈だった。アルバム『ピクチャーズ・フォー・プレジャー』で世に出たのが85年、その端正な容姿、類まれなる実力でたちまちのうちに人気者となった。来日して日本の歌番組に出演したり、ジーンズのCMにも起用されたほどだ。
この彼がボブ・ディランのツアー・ギタリストになったのには驚かされた。99年から約3年間ライブでのサポートを行ない、2001年のアルバム『ラヴ・アンド・セフト』に全面参加し、ラリー・キャンベルとともにアメリカのルーツ・ミュージックに則った渋味のあるギターを聴かせてくれた。
チャーリー・セクストンは、2009年にボブ・ディランのツアーに復帰。2010年の日本公演でその姿を見たのだが、やはり華がある。それほど派手ではないのだが、その立ち振る舞いがスターらしかった。
No.6 ボブ・ブリット、ダグ・ランシオ&ドニー・ヘロン
最新のボブ・ディランを支える三羽烏
現在のボブ・ディランを支えるギタリストたちを紹介しておこう。2021年から始まった“ラフ&ロウディ・ウェイズ・ワールド・ワイド・ツアー”には、ボブ・ブリット、ダグ・ランシオ、ドニー・ヘロンの3人のギタリストが同行している。
ボブ・ブリットはレオン・ラッセル、デルバート・マクリント、ジョン・フォガティらとの共演歴を持つギタリスト。ボブ・ディランとは97年のアルバム『タイム・アウト・オブ・マインド』以来の付き合いだ。
ナッシュビル出身のダグ・ランシオは、かつてジョン・ハイアットのツアーのメンバーであった。ほかにもナンシー・グリフィス、スティーブ・アール、ビリー・ジョー・シェイバーらとのレコーディングに参加。ボブ・ディランとのツアーは“ラフ&ロウディ・ウェイズ〜”からとなる。
ボブ・ブリットもダグ・ランシオも、ともに落ち着きのあるベテラン・ギタリスト。今回(2023年)の来日公演でも、前に出すぎることも引きすぎることもなく、節度を持ってボブ・ディランをサポートしていた。
ドニー・ヘロンは長い間“BR549”というカントリー・ロック系のバンドにいたマルチ・インストゥルメンタル奏者。今回の来日ステージでも、ペダル・スティール、バイオリン、マンドリン、ラップ・スティールなどを弾きこなしていた。
2005年頃からボブ・ディランとの付き合いが始まり、2006年のアルバム『モダン・タイム』に、ベーシストのトニー・ガルニエらと共に参加。その後も、ボブ・ディランのアメリカーナ・サウンドを支える、重要な枠割を担っている。
まだまだいる、ボブ・ディランが愛したギタリストたち
初期のボブ・ディランのレコーディング・セッションには、アコースティック・ギターの名手で60年代のフォーク・シーンを支えたブルース・ラングホーンが参加していた。ほかにも、ウッドストック派のハッピー&アーティ・トラウムや、デヴィッド・ブロムバーグなども起用している。
ディランはエリック・クラプトンとも親交があり、76年にはクラプトン、ボブ・ディラン、それにザ・バンドのメンバーやロン・ウッド、ジェシ・エド・デイヴィスらが加わったアルバム『ノー・リーズン・トゥ・クライ』が作られた。
75年にボブ・ディランやジョーン・バエズが参加して行なわれたローリング・サンダー・レヴューには、デヴィッド・ボウイとの共演で知られるミック・ロンソンが参加していたり、意外な人脈のギタリストを抜擢してくることがある。
83年に発表したアルバム『インフィデル』には、ダイアー・ストレイツのマーク・ノップラーと、元ローリング・ストーンズのミック・テイラーが参加。
今回の来日公演では、グレイトフル・デッドの曲をカバーして評判になったが、87年にはそのデッドやジェリー・ガルシアと共演したライブ盤『ディラン&ザ・デッド〜ライブ』をリリースした。
このようにボブ・ディランとギタリストの関係は実に多彩。ディランは様々なギタリストをおびき寄せる、不思議な磁場を持っているように思えてならないのだ。