B.B.キングの生涯(後編) ブルースをポップスへ昇華させ、ブルース・ギターの道標となった功績 B.B.キングの生涯(後編) ブルースをポップスへ昇華させ、ブルース・ギターの道標となった功績

B.B.キングの生涯(後編) ブルースをポップスへ昇華させ、ブルース・ギターの道標となった功績

毎週、ひとりのブルース・ギタリストに焦点を当てて深掘りしていく新連載『ブルース・ギター・ヒーローズ』がこの4月よりスタート! 今回は“キング・オブ・ザ・ブルース”、B.B.キングのバイオグラフィ後編だ!

文:久保木靖

“田舎くささ”を払拭したアーバン・ブルースを完成。

 タレント・スカウト業をしていたアイク・ターナー(のちにアイク&ティナ・ターナーで知られる)は1949年、B.B.の演奏を耳にするや否やModernレコードに紹介。結果、B.B.はModernの子会社であるRPMレーベルとの契約に至る。

 1951年にはローウェル・フルソンのカバー「3 O’Clock Blues」がR&Bチャートの1位を獲得する大ヒットを記録し、ここからB.B.の快進撃が始まる。

 やはりフルソンの曲ながらB.B.のテーマ・ソングともなった「Every Day I Have The Blues」(1954年)をはじめ、「Sweet Little Angel」(1955年)や「Sweet Sixteen」(1959年)などの代表曲が続々と登場し、加えて「Quit My Baby」(1957年)は(R&Bチャートではなく)ポップ・チャートに顔を出した最初のヒット曲となった。

 ゴスペル調のボーカルとホーンを導入したバック・バンドが融合した新しいサウンドは、それまでブルースとは切っても切れなかった“田舎くささ”を完全に払拭し、マディ・ウォーターズでもT-ボーン・ウォーカーでもない、まったく新しいモダン・ブルース、つまりはアーバン・ブルースとなった。

 この1950〜1960年代初頭を網羅するRPM期と、続くKent/Crown期はB.B.最初の充実期と言えよう。

1969年のB.B.キング
American singer, songwriter and guitarist B.B. King (1925-2015) plays a Gibson ES-355 guitar live on stage at the Newport Jazz Festival in Newport, Rhode Island on 6 July 1969. (Photo by David Redfern/Redferns)

 ギター・プレイも独自のスタイルが完成。それまでボトルネック奏者だけがなし得ていた鋭い音の飛躍とそれに続く微分音程のビブラートを、スクイーズ・チョーキング+ビブラートという手法でより肉感的に表現。

 また、チョーキングのスピード・バリエーションが豊かなのは言うに及ばず、時にT-ボーン譲りの倍テン・フレーズが顔を出すなど実に様々な表情を見せている。

 当然、後進への影響も半端ではなく、特に自身のボーカルとのコール&レスポンスで登場する、最初と最後の音をチョーキングする倍テンのペンタ・フレーズ(1954年の「When My Heart Beats Like A Hammer」などで聴ける)は3大キングのほかの2人のほか、バディ・ガイやオーティス・ラッシュに伝播し、ひいてはエリック・クラプトンやジミー・ペイジの演奏からもこれでもかと聴こえてくる。

 これはほんの一例で、B.B.が開発したブルースの常套句は数限りなく、これを読んでいるあなたも知らず知らずのうちに弾いているに違いない。

 多才な一面として「String Beans」(1958年)を紹介しておきたい。チョーキングを交えずに延々と8分音符を連ねたフレーズはジャズ・ギタリストそのもので、B.B.がチャーリー・クリスチャンやジャンゴ・ラインハルトをフェイバリット・ギタリストにあげていたのが頷ける演奏だ。

B.Bを師と仰ぐ様々なミュージシャンとの共演。

 1962年以降はABC-ParamountやBlueswayといったレーベルに移籍。ジミ・ヘンドリックスなども取り上げスタンダードとなった「Rock Me Baby」(1964年)を放ったかと思えば、ストリングスを導入した「Thrill Is Gone」(1969年)ではブルースを見事アダルトなポップスに昇華させている。『Live At The Legal』(1965年)や『Blues Is King』(1967年)といった名高いライブ作もこの時期に録音された。

 ところで、B.B.が自分のギターを“ルシール”と名づけて愛でていたことはよく知られているが、実際のところそれが何代目まであったのかはよくわかっていない。

 初代はギブソン製L-30(ディアルモンドPU付き)だが、有名なのはセミアコ・モデルのES-335やES-355であろう。1980年にはfホールのないシグネチャー・モデル、B.B. King Lucilleも作られた。

 “私はルシールに夢中だ。ルシールが私をプランテーションから連れ出してくれた……“と、愛器がいかに人生を豊かなものにしてくれたかを切々と語る「Lucille」(1968年)という曲もある。

1979年のB.Bキング
LOS ANGELES – MAY 22: Blues musician BB King performs onstage with his ‘Lucille’ model Gibson hollowbody electric guitar on May 22, 1979 in Los Angeles, California. (Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images)

 さて、1968年の終盤あたりから、B.B.を師と仰ぐロック・ミュージシャンとの共演が増えていく。

 ピーター・グリーンやリンゴ・スターを迎えた『In London』(1971年)やU2との「When Love Comes To Town」(1987年)、ヴァン・モリソンやローリング・ストーンズを招いた『Deuces Wild』(1997年)などなど。極めつきはエリック・クラプトンとの『Riding With The King』(2000年)で、B.B.のアルバムでは最高の売り上げを記録。

 1990年には上田正樹や梅津和時、吾妻光良、山岸潤史、野呂一生など日本の“息子たち”と『B.B. King & Sons : Live』でステージを共にし、目を細めた。

 高齢になっても精力的に活動を続けていたB.B.だったが、2014年のツアーは体調不良により後半がキャンセルとなった。その翌年の5月14日、B.B.は睡眠中に死亡。89歳だった。

 当初、“毒殺された”と娘たちが申し立てたためにちょっとした騒動になるが、最終的に死因は糖尿病や冠動脈疾患が複合した結果と判明。B.B.の遺体はメンフィスのビール・ストリートを「When The Saints Go Marching In」と共に行進し、その後、生まれ故郷のミシシッピ州へ運ばれ、インディアノーラにあるB.B.キング・ミュージアムに埋葬された。