2024年5月7日、スティーヴ・アルビニが心臓発作により、61歳という若さでこの世を去った。10年ぶりとなるシェラックの新作『To All Trains』のリリースを翌週に控えており、バンドはツアーの準備をしていたという中での悲しいニュースだった。彼はギタリストとして唯一のスタイルを打ち出していただけではなく、レコーディング・エンジニアとしてニルヴァーナの『In Utero』やピクシーズ『Sufer Rosa』なども手がけ、USオルタナティブ・ロックの土台を築き上げた偉人である。本記事では、彼が生涯貫き通した揺るぎのないオルタナティブな哲学を紹介する。
文=村田善行 写真=Paul Natkin/Getty Images
繊細な部屋鳴りまでも収める
優れたレコーディング・エンジニア
スティーヴ・アルビニのことを知らなくても、90年代初頭あたりのアメリカン・アンダーグラウンド・ロックを聴いていれば、誰でもその音に出会うはずだ。ニルヴァーナの『In Utero』(93年)あたりから日本の田舎の少年にもスティーヴ・アルビニという名前が知れてきたが、同時期、自然に“アルビニ・サウンド”には触れていた。
ピクシーズ『Surfer Rosa』(88年)、ヘルメットの『Meantime』(92年)や『Demos Produced By Steve Albini EP』(リリース年不明)、PJハーヴェイ『Rid Of Me』(93年)、タッド『Salt Lick』(90年)、ジョウブレイカー『24 Hour Revenge Therapy』(94年)、ZENI GEVA『Desire for Agony』(93年)、Tar『Toast』(93年)など、“すでにこんなにもアルビニ録音に触れて、所有していたのか”と驚いたものだ。まさに欲している“時代の音”だった。
その頃に『Never Mind The Bollocks, Here’s The Sex Pistols』を連想させる色合いや、日本のエロ漫画(『やる気まんまん』)を引用したジャケットにそそられて手に入れたビッグ・ブラックの『Songs About Fucking』(87年)と、友人から聴かされたレイプマンの『Two Nuns And A Pack Mule』(88年)や『Inki’s Butt Crack b/w Song Number One』(89年)のエクストリームなサウンドに、“これがアルビニか!”と仰け反った。とにかくジャケを含めて、80年代後半にこの音が存在したことに驚愕した。
だが、すでに所有してた音源のミュージシャンが、“なぜアルビニに仕事を依頼したのか?”を理解できるようになったのは、もっと後年になってからだった。
アルビニが手がけた音源は、独特の空気感/部屋鳴り、繊細な音を持っている。特にドラムが素晴らしく、まさにバンド・メンバーがそこで体感している音に近いサウンドだ。PJハーヴェイ の『Rid Of Me』はルーム感が特に素晴らしく、それを逃さないことで音楽に集中できた。“RAWで繊細、かつダイナミック“と、文字にすると陳腐だが、とにかくバンド・サウンドを味つけせず、部屋の空気まで見えてくるような音が収められている。
ラウドなバンドでは音圧感も十分にありつつ、各楽器の音がとにかく分離して聴こえ、ヘヴィでありながらクリア。まるでスタジオ・ライブを目の前で聴いているかのようだ。バンド本来の荒々しいダイナミクスを損なうことなく、見事に音源に収めることができたのは、本人がそういう音楽に精通していたからだろう。
“理解されにくい素晴らしい音楽”を
アーティストの感性を持って録音
アルビニは以前、“エンジニアという仕事は責任重大だ。私にとってレコーディングは毎日の仕事だが、バンドにとっては録音できる唯一の機会かもしれない。その貴重な機会をいかに無駄にせず、バンド・サウンドを正しく音源に残せるか?”と語っていた。
彼はエンジニアの仕事を始める前、自身の周辺を始めとする多くのパンク・バンドから“レコーディング・エンジニアやサウンド・エンジニアと話が通じない(出したい音や録音したい音が理解されない)”という悩みを聞いていたという。そういったこともあり、友人たちのレコーディングを手伝い、エンジニアリングの腕を磨いた。それはビッグ・ブラック時代にレコーディングを依頼したジョン・ローダー(クラスのレコーディング・エンジニア兼財務マネージャー)からの影響が大きかったようだ。
70年代後半、クラスの音楽を理解できるレコーディング・エンジニアがほとんどいなかったことは想像に難くない。クラスの精神、DIY、パンクやエクストリーム・ミュージックの表現を理解できるのは、同じマインドを持った人間しかいなかった、ということなのだろう。アルビニはジョン・ローダーと同じように、“理解されにくい素晴らしい音楽”を、アーティストの感性を持ってレコーディングし続けた。
アージ・オーバーキル(アルビニとUOKの関係は興味深い)、ブッシュ、ニルヴァーナ、そしてロバート・プラント&ジミー・ペイジの『Walking Into Clarksdale』(ペイジの音をアルビニが録るとこんなにも芳醇なのか!と驚愕する)を録音し、名声を手に入れたあとの2000年以降も、変わらず低予算でアンダーグラウンド・バンドのレコーディングを請け負った。
アルビニの死後、サーストン・ムーアやブッチ・ヴィグ、ZENI GEVAの田畑満氏といった長年の友人だけでなく、多くのメジャー・アーティスト、音楽評論家や著名なレコーディング・エンジニア、そして“リアル”・バンドマンと多くのリスナーが、“彼は私たちの友達であり、ヒーローだった“と、追悼の意を表している。