連載:『Player』盛衰記 第2回|『The YOUNG MATES MUSIC』 連載:『Player』盛衰記 第2回|『The YOUNG MATES MUSIC』

連載:『Player』盛衰記 
第2回|『The YOUNG MATES MUSIC』

2023年に惜しまれつつ休刊した音楽雑誌『Player』。楽器を扱う専門誌として『ギター・マガジン』とは良きライバル関係にあっただけに、その不在はやはり寂しい。音楽業界や楽器業界を盛り上げ、読者に大きな影響を与えたその偉大な55年に敬意を表して、元編集長の田中稔氏にその歴史を綴ってもらう。隔週更新。

文=田中 稔

第2回|『The YOUNG MATES MUSIC』

 月刊雑誌『Player』の前身である『ヤング・メイツ・ミュージック』(以下Y.M.M.)が創刊されたのは1968年5月15日。本来であれば、その創刊当初から時代の流れに沿って「盛衰記」を書き進めて行くべきだが、『Y.M.M.』は、雑誌でありながら書店で扱っておらず、楽器店で販売(配布?)されていたマイナーな存在だった。その『Y.M.M.』が75年春に『ヤング・メイツ・ミュージック・プレイヤー』となり、書店で扱うようになったのが76年。そのきっかけとなったのが、楽器の話題を満載したムック本『楽器の本 1976』の発刊だった。この書籍が音楽と楽器ファンの間で大きな話題となり、それを制作した『Player』の評価につながった。

創刊当時は『Player』ではなく『ヤング・メイツ・ミュージック』というタイトル。当初から音楽と楽器がテーマ。
創刊当時は『Player』ではなく『ヤング・メイツ・ミュージック』というタイトル。当初から音楽と楽器がテーマ。

 私がプレイヤー・コーポレーションに入社したのは、その『楽器の本』が出版される半年ほど前の75年11月。この「プレイヤー盛衰記」は、自分がプレイヤーに入社した頃のストーリーから書き始めることにする。プレイヤー・コーポレーションの設立から75年まで7年間に関しては、70年代のストーリーを紹介したあとに紹介するので、ご理解いただきたい。

 76年6月末に発売された『楽器の本 1976』(発売元:日刊スポーツ出版社)の表紙には、“Musical Instruments And Way Of Musical Life ~ 楽器の本 1976年号 ニューライフのための楽器カタログ”という長いコピーが掲げられていた。この書籍は、前年に読売新聞社から発売されたベストセラー『Made in U.S.A. Catalog 1975』に近いコンセプトを持っていた。このカタログ本は、当時アメリカで話題となっていた人気商品の情報やアメリカ文化をいち早く日本に紹介した内容で、当時アメリカに憧れていた日本の若者達に大きなインパクトを与えた。『楽器の本 1976』は、そのカタログ本のいわば楽器バージョンともいえるコンセプトで企画された。

 しかし、当時プレイヤーはマイナーな出版社で、50ページにも満たないパンフレットのような雑誌しか制作した経験がなく、そんな会社が320ページを越える大型ムック本を制作することは大いなる挑戦であった。海外の楽器市場をありのままにレポートした『楽器の本』は、アメリカの音楽文化に強い憧れを抱いていた日本の若者達の心をみごとにとらえ、本は即完売、企画は大成功を収めた。

『楽器の本 1976』が発売されてすべてが変わった。『楽器の本』は楽器のバイブルとして売れに売れ、すぐに完売。
『楽器の本 1976』が発売されてすべてが変わった。『楽器の本』は楽器のバイブルとして売れに売れ、すぐに完売。
NYやロス、ナッシュビルのオールド・ギター・ショップを取材・紹介し、ビンテージ・シーンの先駆けとなった。
NYやロス、ナッシュビルのオールド・ギター・ショップを取材・紹介し、ビンテージ・シーンの先駆けとなった。
英国の若き天才ギター・ルシアー、トニー・ゼマイティスも紹介していた。写真のベースは山内テツの愛器。
英国の若き天才ギター・ルシアー、トニー・ゼマイティスも紹介していた。写真のベースは山内テツの愛器。
表4はオールドタイム・ピッキング・パーラーのノーマン・ブレイクの娘、ジョイ。彼女は現在50歳くらいだろうか。
表4はオールドタイム・ピッキング・パーラーのノーマン・ブレイクの娘、ジョイ。彼女は現在50歳くらいだろうか。

 70年代半ばというと、欧米の音楽シーンは『ミュージック・ライフ』(シンコーミュージック)や『音楽専科』(音楽専科社)などの洋楽雑誌を介して日本に伝えられていたが、楽器情報を伝える音楽雑誌は皆無だった。当時『ヤング・ギター』(シンコーミュージック)、『新譜ジャーナル』(自由国民社)、『ガッツ』(集英社)などギター・プレイヤーを対象とした雑誌もあったが、すべてフォーク系でほとんどエレキ・ギターの情報は掲載されていなかった。

 日本の音楽ファンがアメリカの楽器情報に飢えていた時代に、突如世界の楽器シーンをリアルに紹介した『楽器の本 1976』は当時の楽器ファン・音楽ファンの間で大きな話題となり、数週間で完売。その後、買いそびれたユーザーや追加注文の書店、取次店から会社に問い合わせの電話が殺到し、社内は嬉しい悲鳴を上げていた。

 『プレイヤー盛衰記』のイントロダクションとして、まずは『楽器の本 1976』が発売された70年代の時代背景や音楽シーン、楽器シーンから紹介しよう。4月10日にビートルズが解散し(諸説ある)、9月18日にジミ・ヘンドリックスが他界した1970年。そんな激動の年から幕開けした70年代は、“音楽”も“楽器”も世界的に大きく変化した時代だった。そんな70年代とは、いったいどんな時代だったのだろう? 

 次回から数回にわたり、『Player』が急成長した70年代の音楽シーン、楽器シーンからふり返ってみよう。

第3回|1970年代の音楽シーン>

プロフィール

田中 稔(たなか・みのる)

1952年、東京生まれ。1975年秋にプレイヤー・コーポレーション入社。広告営業部、編集部にて『Player』の制作を担当。以来編集長、発行人を経て1997年に代表取締役就任。以降も『Player』の制作、数々の別冊、ムック本を制作。48年間にわたり『Player』関連の仕事に深く関わった。現在フリーランスの編集者として活動中。アコースティック・ギターとウクレレの演奏を趣味としている。

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『Player』盛衰記