2023年に惜しまれつつ休刊した音楽雑誌『Player』。楽器を扱う専門誌として『ギター・マガジン』とは良きライバル関係にあっただけに、その不在はやはり寂しい。音楽業界や楽器業界を盛り上げ、読者に大きな影響を与えたその偉大な55年に敬意を表して、元編集長の田中稔氏にその歴史を綴ってもらう。隔週更新。
文=田中 稔
第4回|急増した70年代の来日公演(前半)
60年代から、海外のポップス系やフォークソング系、ロック系を中心に来日公演が行なわれるようになった。70年代になると、当時の音楽シーンを反映してよりロック系の大物アーティストの来日が急増し、公演ラッシュが始まった。当時どのようなアーティストが日本で公演を行なっていたのか、ここで確認してみよう。70年代の来日アーティストはかなり多いので、まずは70年代前半に来日した代表的なアーティストから紹介する(数字は公演数)。
[1970年]
・3月 ブラザーズ・フォー(2公演)
・6月 ドノヴァン(3)
・9月 ピ-ター・ポール&マリー(1)
・11月 カーペンターズ(1)
・12月 アイク&ティナ・ターナー(1)
・12月 ジョン・メイオール(1)
[1971年]
・2月 ブラッド・スウェット&ティアーズ(2)
・2月 B.B.キング(6)
・4月 フリー(2)
・6月 シカゴ(3)
・7月 グランド・ファンク・レイルロード(2)
・8月 ピンク・フロイド(3)
・9月 レッド・ツェッペリン(5)
・9月 UFO(1)
・10月 エルトン・ジョン(6)
[1972年]
・2月 クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(3)
・3月 シカゴ(7)
・3月 ピンク・フロイド(6)
・3月 ビー・ジーズ(4)
・4月 チェイス(3)
・5月 テン・イヤーズ・アフター / プロコル・ハルム(3)
・6月 カーペンターズ(1)
・7月 ジェスロ・タル(2)
・7月 エマーソン・レイク&パーマー(2)
・8月 ディープ・パープル(3)
・9月 B.B.キング(5)
・9月 ジェイムス・ギャング(3)
・10月 レッド・ツェッペリン(6)
・10月 T・レックス(4)
・11月 ゲス・フー(3)
・12月 スリー・ドッグ・ナイト(5)
[1973年]
・1月 (※ザ・ローリング・ストーンズ来日中止)
・1月 ジェイムス・テイラー(5)
・2月 ジェームス・ブラウン(5)
・3月 イエス(4)
・3月 ユーライア・ヒープ(5)
・3月 ドノヴァン(6)
・4月 デヴィッド・ボウイ(9)
・4月 シカゴ(11)
・5月 ハンブル・パイ(4)
・5月 ベック・ボガート&アピス(4)
・5月 テン・イヤーズ・アフター(5)
・6月 ディープ・パープル(5)
・6月 サンタナ(12)
・8月 マウンテン(5)
・8月 ニッティ・グリッティ・ダート・バンド(7)
・9月 ビー・ジーズ(12)
・10月 T・レックス(5)
・11月 レオン・ラッセル(3)
・11月 スリー・ドッグ・ナイト(6)
[1974年]
・1月 ムーディ・ブルース(5)
・1月 ロリー・ギャラガー(5)
・1月 フェアポート・コンヴェンション(2)
・2月 エルトン・ジョン(11)
・2月 フェイセス(4)
・4月 ポール・サイモン(5)
・5月 カーペンターズ(8)
・6月 フォーカス(4)
・8月 ジェスロ・タル(4)
・8月 ニッティ・グリッティ・ダート・バンド(14)
・10月 エリック・クラプトン(4)
・11月 スージー・クアトロ(5)
・11月 ビー・ジーズ(15)
・11月 サンタナ(16)
・12月 ウォー(4)
71年7月、後楽園球場でのグランド・ファンク・レイルロードの初来日公演は、土砂降りの雨が降る最悪の天候の中で行なわれた。バンド・メンバーはもちろんのこと、観客もずぶぬれになりながら公演は最後まで行なわれ、伝説の“嵐を呼ぶ公演”として語り継がれた。
歴代の海外アーティストの中でこれまでに最も多くの観客を集めたエリック・クラプトンの初来日公演は、74年10月の武道館だった。以来、クラプトンの来日公演は現在まで続いており、2023年4月15日に“武道館100回公演”を記録した。70年代後半の来日公演は次回に続く……。





第5回|急増した70年代の来日公演(後半)>
プロフィール
田中 稔(たなか・みのる)
1952年、東京生まれ。1975年秋にプレイヤー・コーポレーション入社。広告営業部、編集部にて『Player』の制作を担当。以来編集長、発行人を経て1997年に代表取締役就任。以降も『Player』の制作、数々の別冊、ムック本を制作。48年間にわたり『Player』関連の仕事に深く関わった。現在フリーランスの編集者として活動中。アコースティック・ギターとウクレレの演奏を趣味としている。