連載:『Player』盛衰記 第8回|1970年代のギター・シーン ② 連載:『Player』盛衰記 第8回|1970年代のギター・シーン ②

連載:『Player』盛衰記 
第8回|1970年代のギター・シーン ②

2023年に惜しまれつつ休刊した音楽雑誌『Player』。楽器を扱う専門誌として『ギター・マガジン』とは良きライバル関係にあっただけに、その不在はやはり寂しい。音楽業界や楽器業界を盛り上げ、読者に大きな影響を与えたその偉大な55年に敬意を表して、元編集長の田中稔氏にその歴史を綴ってもらう。隔週更新。

文=田中 稔

第8回
1970年代のギター・シーン ②

 70年代前半は、レッド・ツェッペリン、エリック・クラプトン、リッチー・ブラックモアなど世界のロック・シーンを牽引するギタリストやバンド、アーティストが頻繁に来日公演を行なうようになった。それに伴い、コンサートに足を運ぶギター・ユーザーはアーティストの情報と共に彼らの使用する楽器に関する情報も少しずつ得られるようになった。すると「ジミー・ペイジが使っているギターがギブソン・レス・ポール・スタンダード、エリック・クラプトンが使っているギターがフェンダー・ストラトキャスターだ」「レス・ポールはセットネックなんだけど、ストラトはデタッチャブル・ネック(ボルトオン・ネック)で、ネックをボルトで固定している」といったような、ギブソンやフェンダー製品に関する知識を持ったユーザーが増えてきた。しかし、まだ各モデルの年代ごとの細かな仕様やモデル・バリエーションなどを総合的に把握している人はほとんどおらず、各モデルの歴史や仕様の変遷などは知る由もなかった。

 70年代は日本のエレクトリック・ギター・ブランドが一気に増え、楽器店には様々な国内ブランドのギターが並ぶようになった。アリア(プロⅡ)、エルク、フェルナンデス、フレッシャー、グレコ、グヤトーン、フランプトン、ハービー、H.S.アンダーソン、ジョーディ、エルマヤ、ヤマハ、ウェストミンスター(ABC順)など、楽器店の店頭を様々なブランドが賑わした。

 70年代半ばになると、人気の海外ブランドなどの輸入製品も増え、ちらほら楽器店で見かけるようになった。エピフォン、バーンズ、フェンダー、ギブソン、ギルド、リッケンバッカー、トラビス・ビーン、エコーなどが入荷されていたが、当時はまだまだ高嶺の花で、アマチュア・ギタリストが気軽に手を出せる楽器ではなかった。ギター少年達は、ショーケースの中に鎮座している憧れのギターを眺めながら「いつかはこのギターを……」と指をくわえて眺めていた……。

 70年代は国産エレキ・ギターのコピー・モデルが賑わった時代でもあった。コピー・モデルは年を追うごとにリアルでクオリティが高くなり、やがて海外のギターメーカーが驚異に感じるほどリアルな製品も生産されるようになった。次回はそんな70年代のコピー・モデルに関して紹介しよう。

70年代は、海外の音楽情報とともに海外ブランドのギターに関する情報も少しずつ入るようになってきた。
70年代は、海外の音楽情報とともに海外ブランドのギターに関する情報も少しずつ入るようになってきた。
フェンダー製品は70年代の音楽シーンを支えていた。多くのギタリストが愛用し、日本でも人気が高まってきた。
フェンダー製品は70年代の音楽シーンを支えていた。多くのギタリストが愛用し、日本でも人気が高まってきた。
70年代はフェンダーとギブソンが双璧を成し、音楽シーンをリードしていた。しかし日本ではまだ高嶺の花……。
70年代はフェンダーとギブソンが双璧を成し、音楽シーンをリードしていた。しかし日本ではまだ高嶺の花……。
ミュージシャンの愛用ギターは日本でも人気が出てきた。クラプトンはストラトをトレードマークにした。
ミュージシャンの愛用ギターは日本でも人気が出てきた。クラプトンはストラトをトレードマークにした。
ヴィンテージのグレッチを手にするギタリストもいた。彼らによって人気が復活するブランドも少なくなかった。
ヴィンテージのグレッチを手にするギタリストもいた。彼らによって人気が復活するブランドも少なくなかった。

プロフィール

田中 稔(たなか・みのる)

1952年、東京生まれ。1975年秋にプレイヤー・コーポレーション入社。広告営業部、編集部にて『Player』の制作を担当。以来編集長、発行人を経て1997年に代表取締役就任。以降も『Player』の制作、数々の別冊、ムック本を制作。48年間にわたり『Player』関連の仕事に深く関わった。現在フリーランスの編集者として活動中。アコースティック・ギターとウクレレの演奏を趣味としている。

Tag:
『Player』盛衰記