連載:『Player』盛衰記  第9回|国産コピー・モデルの登場 連載:『Player』盛衰記  第9回|国産コピー・モデルの登場

連載:『Player』盛衰記 
第9回|国産コピー・モデルの登場

2023年に惜しまれつつ休刊した音楽雑誌『Player』。楽器を扱う専門誌として『ギター・マガジン』とは良きライバル関係にあったが、その不在はやはり寂しい。音楽業界や楽器業界を盛り上げ、読者に大きな影響を与えたその偉大な55年に敬意を表して、元編集長の田中稔氏にその歴史を綴ってもらう。隔週更新。

文=田中 稔

第9回
国産コピー・モデルの登場

 60年代の国産エレクトリック・ギターやアコースティック・ギターは、海外の人気ブランドの面影を感じさせながらも、基本的にはオリジナルデザインがほとんどで、メーカーごとに個性があった。しかし70年代になると、当時海外の人気ギタリスト達が愛用していたギブソンやフェンダー・ギターに対するユーザーの憧れがより強まってきた。しかし、当時それらの輸入ギターは現在とは比較にならないほど高価で、アマチュアが手を出せるような代物ではなくまだまだ雲の上の存在だった。彼らが購入できるのは、やはり国産メーカーの製品に限られるが、「買える価格帯の中で、できる限りギブソンやフェンダーに似た製品が欲しい……」という思いが強まっていった。

 そうしたユーザーの好みをいち早く察知した国産メーカー各社は、70年代初頭から海外ブランドの人気モデルのデザインを強く意識した製品を発売するようになった。最初は何となく似たモデルが多かったが、年を増す毎にリアルなコピー・モデルが登場してきた。70年代半ばには、外観はもちろんのこと、木材、パーツ、製作方法などにも拘り、中にはデザイン的に似たロゴマークやオリジナルに匹敵するような高性能なピックアップを搭載した製品など、よりオリジナル・モデルに迫る国産コピー・モデルが各社から登場した。さらに、同じモデルであっても生産された年代によって異なる細かな仕様の変化なども再現されるようになり、フェンダーやギブソン、マーティンなどを中心に、マニアックなモデルやレアモデルのコピー製品まで登場し、コピー競争はエスカレートしていく。

 当時コピー・モデルとして人気があったブランドとしては、アリア・プロⅡ、キャンベル、フェルナンデス、フレッシャー、ギャバン、ギボン、グレコ、トーカイ、トムソン、ウェストミンスター(アルファベット順)などいくつもあり、中にはカタログで自社の製品がどれくらいオリジナルに近いかをアピールするメーカーも登場した。

 当時は製品をアメリカに輸出していたメーカーは限られ、国内販売のメーカーがほとんどだったこともその要因の一つかもしれない。しかし、コピー競争がエスカレートして行く中でギブソンやフェンダーもそれを容認していたわけではない。それらの海外メーカーから何度かコピー製品の生産、販売を中止するよういくつかの国内メーカーにクレームが寄せられ、それが裁判にまで発展したケースも出てきた。

 そうこうしているうちに、1982年にフェンダー・ジャパンが設立され、それに続いてオービル・バイ・ギブソン・ブランドの誕生など、日本でフェンダーやギブソン関連の製品が製造・販売されるようになり、トラディショナル・ブランドを取り巻く状況が大きく変わっていった。これまで高嶺の花だったフェンダー・ギターが一部日本でも生産されるようになったことで、クオリティの高い日本製フェンダー製品が国内市場に流通するようになり、フェンダー・ギターはぐっと身近な存在となっていった。

 アイバニーズは元々海外に向けたブランドとしてスタートしたが、海外輸出にまつわるコピー問題を回避するために、70年代初頭からいち早くコピー・モデルの生産を中止し、自社のオリジナル・モデルの開発に力を入れた。アイバニーズは70年代に国内でも販売されていたが、当時は高級なオリジナル・モデルが中心で、いち早く新たな時代に向けた製品開発を進めていた。

 次回は、70年代のエレクトリック・ギター・シーンに続いて、アコースティック・ギター・シーンについて紹介しよう。

国内の70年代を代表するギター・ブランドといえば、やはりグレコ。多くの人気モデルが楽器店を賑わした。
フレッシャーはフェンダー・スタイルのモデルを数多くラインナップしていた。『楽器の本 1976』より。
プレイヤー別冊『楽器の本』には、70年代半ばの音楽シ-ンを支えた国産ギターが数多く紹介されていた。
70年代前半の『Player』の表4はいつもグレコが掲載されていた。モノクロ写真が時代を感じさせる。
70年代半ば以降のグレコの広告はひと味違った内容やデザインで注目された。写真は『Player』表4。

プロフィール

田中 稔(たなか・みのる)

1952年、東京生まれ。1975年秋にプレイヤー・コーポレーション入社。広告営業部、編集部にて『Player』の制作を担当。以来編集長、発行人を経て1997年に代表取締役就任。以降も『Player』の制作、数々の別冊、ムック本を制作。48年間にわたり『Player』関連の仕事に深く関わった。現在フリーランスの編集者として活動中。アコースティック・ギターとウクレレの演奏を趣味としている。

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『Player』盛衰記