2023年に惜しまれつつ休刊した音楽雑誌『Player』。楽器を扱う専門誌として『ギター・マガジン』とは良きライバル関係にあっただけに、その不在はやはり寂しい。音楽業界や楽器業界を盛り上げ、読者に大きな影響を与えたその偉大な55年に敬意を表して、元編集長の田中稔氏にその歴史を綴ってもらう。隔週更新。
文=田中 稔
第34回
書店販売の反響が思わぬところで……。
前回は、『Player』が1976年10月号(Vol.101)から楽器店に加えて書店発売が開始され、新たな販路を得たところまでを紹介した。当時どれくらいの部数を制作し、販売していたかは知らされていなかったが、明らかに10,000部には達していなかったと思われる。
しかし、それでも書店販売されたことに対する読者の反応や、楽器関連のクライアント、レコード会社、音楽雑誌関連の人たちから“書店で見たよ”という反応が寄せられるようになった。そんな時は、“これでやっとほかの音楽雑誌と同じ土俵で勝負ができる……”と、正直嬉しかった。
当時の発売日は毎月15日だったが、早い書店では発売して数日で売り切れてしまい、取次店から追加注文がくることも少なくなかった。それまでは一部の楽器店でしか見ることがなかった『Player』は、楽器店にあまり行かない音楽ファンや隠れ楽器マニアの目にも止まるようになり、その存在が知られるようになっていった。
私が1年前プレイヤーに入社した頃、よくレコード会社を回って、新譜の音源と資料をもらってくる用事を頼まれた。
大手レコード会社の場合、制作がいくつかの班やレーベルに分かれているため、1つのレコード会社でも毎月数十タイトルの新譜リリースがある。もちろん媒体のキャラクターもあるのですべての音源をもらうことはないが、多い時は1回に10タイトルくらいは新譜音源をもらっていた。
当時はインターネットもCDもない時代で、音源をもらうにはアナログ・レコードしかない(一部のレコード会社ではカセット・テープによるサンプル音源も使用された)。
10タイトルといっても、1枚の新譜に対して2~5枚ほどの白盤(白いラベルにアーティスト名とアルバム名などが書かれた非売音源)を渡されるので、それが10タイトルとなると、30~40枚の白盤を受け取ることになる。1枚のレコード盤の重さはたかが知れているが、30~40枚となると、なかなかの重さだ。
当時レコード会社には、レコードを運ぶための専用の手提げ紙袋が用意されており、それに入れて白盤を渡されるのだが、時にはレコードの重さに耐えられず手提げの紐がはずれたり紙袋の底が破れたりして、何度か困った経験もあった。
もちろんレコード会社の担当者には事前に電話を入れて、“何日の何時頃に新譜の音源を受け取りに行きたいので、よろしくお願いします”と連絡してあるが、その時間に行っても担当者は不在で音源も用意されていないということがしばしばあった。そんな時は、“あ~、マイナーな雑誌に対する扱いは……”と切ない思いで会社に戻ってきた。
あとで知ったことだが、当時シンコーミュージックなどのメジャー雑誌やメジャー出版社の場合は、編集者がレコード会社に出向くことはあまりなく、レコード会社のプロモーターが編集部に新譜音源や資料を届けるというのが一般的だったようだ。
76年10月号から『Player』が書店で発売されるようになると、レコード会社の対応も少しずつ変わってきた。それまでのように音源や資料をレコード会社に受け取りに行くこともあったが、レコード会社のプロモーターが白盤を持って編集部に来てくれることが増えてきた。
また、それまではほとんどアーティスト取材の話もなく、取材はいつも編集部からレコード会社にお願いする一方だったが、書店での売れ行きが好調になるにつれて、レコード会社の方から積極的に取材の話が振られるようになった。
本誌の書店販売は、会社にとって売り上げ増加に直結したことは言うまでもないが、レコード会社の対応など思わぬところでも影響が出るようになり、編集員の1人としてありがた味を感じていった。
1970年代は、ヴァージン・レコードやフォーライフ・レコード、アルファ・レコードなど、新しいレコード会社が次々に誕生していた。それらの多くは新たな洋楽アーティストや洋楽に影響された新しいタイプの日本人アーティストが活躍する場となっていった。
新たなレコード会社のプロモーターは最初から我々に対してもフレンドリーな対応で、レコード会社に出向いて音源や資料をもらうことはあまりなかった。
西新宿の片隅にある小さな出版社プレイヤー・コーポレーションの編集部にも積極的にプロモーション活動を行ない、それまで以上にレコード会社の人々との交流も盛んになっていった。
当時の編集長だった河島彰さんは、そんなレコード会社のプロモーターや制作の担当者とも親しくなっていた。もともと話好きの性格もあり、レコード会社の人が来ると1時間でも2時間でも仕事の手を休めて、好きな音楽や楽器の話はもちろんのこと、趣味の話や昔話に花を咲かせることがあり、プレイヤーの編集室は良い意味でも悪い意味でも、音楽好きの人たちの社交の場となっていた。



著者プロフィール
田中 稔(たなか・みのる)
1952年、東京生まれ。
1975年秋にプレイヤー・コーポレーション入社。広告営業部、編集部にて『Player』の制作を担当。以来編集長、発行人を経て1997年に代表取締役就任。以降も『Player』の制作、数々の別冊、ムック本を制作。48年間にわたり『Player』関連の仕事に深く関わった。
以後はフリーランスの編集者として活動し、2025年4月、クラプトンに魅せられた10人のE.C.マニアのクラプトン愛を綴った『NO ERIC, NO LIFE. エリックに捧げた僕らの人生.』(リットーミュージック発刊)を制作。2025年9月、電子マガジン「bhodhit magazine(バディットマガジン)」の名誉編集長に就任。
アコースティック・ギターとウクレレの演奏を趣味としている。