達郎サウンドを支えたギタリスト、まずひとり目は何と言ってもこの人。ギター・マガジン本誌で何度も取り上げている、松木恒秀である。エリック・ゲイルやデヴィッド・T・ウォーカーに匹敵する、極上のタッチが生むメロウなバッキングはまさに一級品。達郎作品に欠かせない、核のひとつと言っていいだろう。
文=井川恭一
ライブ盤で魅せた
多彩なギター・プレイ
山下達郎より4学年上の松木恒秀(1948年~2017年)は、当時既に歌伴ギタリストとして活躍していた(沢田研二「危険なふたり」のイントロ・フレーズは有名)。
74年にカナダの少年ボーカリスト、ルネ・シマールのレコーディングにコーラスで参加した達郎と初めて顔を合わせ、翌75年の吉田美奈子のライブ・アルバム『MinakoⅡ』(達郎は大貫妙子、ハイファイセットから成るコーラス隊の一員として参加)でも中野サンプラザのステージで共演し、それが達郎のアルバム『SPACY』(77年)の参加へとつながっていく。
松木は20歳を少し過ぎた頃、クインシー・ジョーンズ「Love And Peace」でのエリック・ゲイルのプレイを聴いて感銘を受け、ハートフルなプレイを志したという。
その後すぐ、日本のジャズ・ファンク(当時はクロスオーバーと呼ばれた)の先駆ともいえる稲垣次郎(sax)のバンド=ソウル・メディアに参加し、ベースの岡沢章とともに、若手ではピカイチのファンキーなフィーリングをもつプレイヤーとして注目され、そこに16ビートを叩かせたら群を抜く村上ポンタが加わり当時のスタジオシーンで最もグルーヴィなリズム・セクションとなった。
そして、達郎のライブ・アルバム『IT’S A POPIIN’ TIME』(78年)に起用されたこのリズム隊が、歴史的とも言える名演を聴かせる。
何といっても、各プレイヤーの息遣いまでが伝わってくるヴィヴィッドなライブ・サウンドが素晴らしく、とりわけ松木の「ピンク・シャドウ」でのミュートを効かせた小気味よいバッキング・リフ、「エスケイプ」での入魂の長尺ソロ、「ソリッド・スライダー」でのエレピ・ソロをピアニシモからフォルテシモまで盛り上げていくカッティングなど、達郎を渋く、ときに熱く支える名演のてんこもり状態。
また特筆すべきは、このときメンバー全員が20代という若さであるということ。その驚異的な早熟ぶりは奇跡とさえ思える。
ギブソン ES-350などを愛用。
職人肌で粋なスタイル。
その後、松木はタモリのTV番組『今夜は最高!』にレギュラー出演したザ・プレイヤーズを経てリーダーバンド=What is HIP?を結成。スタッフを思わせるバンド・サウンドは根強い人気を集め、六本木ピットインでマンスリー・ライブを行ない、ギブソンES-350、アイバニーズのセミアコ、ヤマハのソリッド・タイプの松木モデルなどを使用して、コクとキレがあるプレイを聴かせた。
その人懐っこい天真爛漫な笑顔が、年齢を重ねるにつれ、いつしか丸坊主でドスのきいた風貌に変わるも、落語好きな松木がぼそぼそと語るMCはたいそう味があり場内を笑わせた。
まさに松木恒秀は職人肌で粋なギタリストの代表格だった。亡くなる前年の新宿ピットインでのライブには達郎が飛び入り参加し、一緒に来ていた竹内まりやも客席で久々のふたりの共演を見守ったという。
松木恒秀が参加した主な作品
『SPACY』 山下達郎
RCA/BVCR-17014
『IT’S A POPPIN’ TIME』 山下達郎
RCA/BVCR-18025
『MOONGLOW』 山下達郎
RCA/BVCR-17016