個性的な魅力で多くのギタリストたちを虜にする“ビザール・ギター”を、週イチで1本ずつ紹介していく連載、“週刊ビザール”。今週紹介したいのは、週刊ビザール読者の基礎教養としてぜひ覚えておいてほしい1本。これまでに何度もその名前が登場しているポール・ビグスビーと、カントリーの大スター=マール・トラヴィスとの邂逅によって誕生した歴史的なモデルだ。これ自体は“ビザール”とは言えないが、ビザールを語るうえではずせないビグスビー=トラヴィスという名器について話をしよう。
文=編集部 撮影=三島タカユキ 協力/ギター提供=伊藤あしゅら紅丸 デザイン=久米康大
Bigsby=Travis
エレクトリック・ギターの歴史で最重要の1本。
この週刊ビザールという連載において非常に重要な情報のひとつを、基礎知識として紹介しておきたい。それはエレクトリック・ギターのマイルストーン的存在であるビグスビー=トラヴィスである。
“ビザール・ギター”というカテゴライズは、当然ながら後年に生まれた呼称で、いわゆる正統派に入らない個性が際立ったギターたちを形容する表現だ。しかし今回紹介するビグスビー=トラヴィスは、1940年代後半〜60年代頃までのエレクトリック・ギター黎明期に、ギター製作家たちに絶大な影響を残した歴史的な1本である。
そして、これを創り出したのが、ポール・A・ビグスビーという傑物。この週刊ビザールでも、すでにその名前が何度も出てきているのは周知のとおりだろう。今回はそんなビグスビーについて、今後のためにも基礎知識として詳しく紹介しておきたい。
今日ではビブラート・ユニットで広く知られるビグスビーだが、創業者のポールがギター業界に本格的に足を踏み入れたのは1940年代半ばのこと。カントリー&ウェスタンの大スターであるマール・トラヴィスとの出会いがきっかけだった。
ロサンゼルスの郊外=カリフォルニア州ダウニーでカスタム・バイク・ショップを営んでいたポールは、西海岸に移ってきたマール・トラヴィスと出会う。マールはすでにカントリー・ミュージック界の大スターで、ヒットソングを何曲も出しているシンガー・ソングライターであり超絶ギタリストであった。そして彼は同時にバイクの愛好家でもあり、音楽とバイクを愛する2人は意気投合。ある日、ポールはマールが愛用していたギブソンL-10のカウフマン・ビブラートのチューニングについて相談を受けた。そして、バイクのカスタム・パーツなどでアルミ鋳造の技術や機構についての知識を持っていたポールは、より優れた機能を有する新しいビブラート・ユニットを生み出す。それが現在まで続くビグスビー・ビブラートの始まりである。
これに大満足のマールは、自身が持っている新たなギターのアイディアをポールに託すこととなる。それが1946年のこと。そして自身の工房を構えたポールは、翌年、この考えをもとにビグスビー=トラヴィスを生み出した。
この時、マールが愛用していた高出力のスタンデル・アンプとギブソンの箱モノによるハウリングへの対策として、“ボディの共鳴胴をなくす”という当時としては大胆な発想に至る。おそらくマールの中には、当時すでにカントリー界で多用されつつあった「ラップ・スティール」の存在があったと思われる。ハワイアン・スタイルでできるのだから、スパニッシュ・スタイルでもできるはずだと考えたと思われる。
※リッケンバッカーのベークライト・ステールDB-6にはフレットを付けたElectro-Spanish Model Bが30年代から存在しており、これがエレクトリック・ソリッド・ギターの開祖とされるが、あまり普及はしていなかったようだ。
こうしたアイディアの元に生まれたギターは、厳密には電装系を組み込んだ、くり抜きボディに蓋をした“セミ・ソリッド”ではあるが、これが今日の“ソリッド・ギター”の源流となった。
さらに、3対3ペグのチューニングにやりづらさを感じていたマールは、片側6連ペグをオーダー。漫画も得意としていたマール自身が、フィドルのヘッドのシェイプを元にデザインしたヘッド形状は、後々までビグスビーのシグネチャー・デザインになり、ハンク・トンプソンたちは、自身の生ギターのヘッド&ネックの改造をポールに依頼している。また、マール・トラヴィスの愛器である戦前のマーティンD-28もこのヘッド&ネックに改造され、こちらも人気を博した。最近ではMartin社から同モデルが復刻されている。
カントリー・ミュージシャンが愛用したレザー・クラフトのカバリングにヒントを得たエルボー・パッドを始めとする木製の装飾やバイク・パーツの工法を応用したキャスト・アルミニウムの金属製パーツなども、ビグスビー工房によるもので、どれもオリジナリティに満ちている。
ビグスビー=トラヴィスはマール自身のために2本作られ、現在はそれぞれ“カントリー音楽の殿堂”に展示されている。今回の写真の個体は、ポールのダウニーの工房に埋もれていた1947年製造の部材&パーツを2003年に組み上げたもので、シリアル番号もマールのモデルから続いているナンバーが付けられている。いわばNOS(NewOldStock)で、当時と同等のものだ。細部の処理を見れば、その技術力の高さがうかがい知れるだろう。
こうして、エレクトリック・ソリッド・ギターが俄然注目を集め、今日の隆盛の礎を築くことになるわけだが、マール・トラヴィスという大スターが持ったことは、ギター史のエポックを創り出したといえるだろう。当時ポピュラーになりつつあったSOUNDIEという映像付きのジュークボックスやテレビ放送を通じて、マールとビグスビーのギターの姿は広く知られていった。
ビグスビーはその後、グラディ・マーティンやビリー・バードなど、数多くのスターたちにギターを提供。それらのアイディアは世界中のギター制作家たちに影響を与え、そこから生まれたギターはスタンダードになったものもあれば、ビザールと化したものもある。このように、エレクトリック・ギターが様々な発展を遂げる時代に、ビグスビーは常にその最先端にいたのだ。
だが、ポール自身はギター・ビジネスに疲れてしまいリタイア。“ビブラート・ユニット”にその名を残すことになる。このギターについて知識を持ったうえで、もう一度“週刊ビザール”を読み直してみるのもおもしろいだろう。