ジミ・ヘンドリックスのために特別に作られた1969年製ギブソン・フライングV ジミ・ヘンドリックスのために特別に作られた1969年製ギブソン・フライングV

ジミ・ヘンドリックスのために特別に作られた
1969年製ギブソン・フライングV

ジミ・ヘンドリックスとギブソンの関係を紐解く特集『ジミ・ヘンドリックスとギブソン〜天才ギタリストが老舗ブランドに求めたもの〜』。今回はジミが使用したギブソン・ギターとして最後となる、特別なフライングVを紹介しよう。

文=fuzzface66 Photo by Doug McKenzie/Hulton Archive/Getty Images

ジミがギブソンにオーダーした1本?

ブラック・フィニッシュにゴールド・ハードウェアを備えたこのレフティー・フライングVは、知られている限り、ジミが使用したギブソン・ギターとして7本目に確認できるモデルであり、かつ最後のギブソン・ギターでもある。

スプリット・インレイのポジション・マークやネックのバインディング、“Custom”の文字が刻まれたトラスロッド・カバー、ヘッド・ロゴの位置など、通常とは一線を画す特別仕様であることは一目瞭然だ。

これは、ジミが1969年の秋〜冬頃に、ニューヨークの楽器店マニーズをとおしてギブソンにオーダーしたモデルだったという説が最も有力だ。しかし、以前はギブソンから寄贈されたという説や、ファンが既存のレフティー・モデルを改造してジミにプレゼントしたという説まであった。いずれにせよ、このモデルはシリアルナンバー(849476)からも、1969年製と推定されている。

カスタム・フライングVを弾くジミ・ヘンドリックス
1970年8月、ワイト島フェスティバルでカスタム・フライングVを弾くジミ・ヘンドリックス。

新たな表現を探るための相棒に

1970年4月から始まった、新生エクスペリエンス(ジミ、ミッチ・ミッチェル、ビリー・コックスの3人)による“クライ・オブ・ラブ”と名づけられたツアーの初日、25日のLAフォーラム公演から使用され始める。

これまでのギブソン・モデル同様、ブルース・ナンバー「Red House」でも多用されたが、ようやくこの頃に形になってきたジミの新たな方向性を示すナンバーでも使用されることが多かった。

3rdアルバム『Electric Ladyland』発表以降、スランプに陥りながらもスタジオ・セッションで試行錯誤をくり返し続ける中で生まれた、「Dolly Dagger」、「Freedom」、「Hey Baby (New Rising Sun)」などを実験的にステージで披露する際に、このフライングVが弾かれたのだ。

1970年7月30日、ハワイ・マウイ島レインボー・ブリッジ公演のセカンド・ショウでは、楽しそうに照れ笑いを浮かべながらも、それぞれのナンバーの可能性を探るかのようにプレイするジミの姿が印象的だ。

また、この頃ようやく完成した夢のマイ・スタジオ=“エレクトリック・レディ”で、ツアーの合間を縫って、ジミの新機軸を示した数々のレコーディング・セッションが行なわれていた。上記ナンバーも演奏されたこのセッションでも、本器は多用されたことだろう(ジミはスタジオでもステージとほぼ同じラインナップでギターを使用していたため)。

この世を去る間際まで使用していた最後のギブソン

1970年8月30日イギリス、ワイト島フェスティバルでプレイされた「Red House」でもフライングVを使用。ストラトとは一味違った有機的なニュアンスと、円熟味を増したジミのブルージィなプレイとが見事に溶け合ったその演奏シーンは、本器をステージで使用したハイライト・シーンの1つともなっている(“僕のリンダはもうここにはいない”と、歌詞の一部を替え、デビューのきっかけを与えてくれたリンダ・キースについて歌っているのも印象深い)。

そしてこのあと、1970年9月6日まで続いた残りのヨーロッパ・ツアーでも、このフライングVはたびたび使用された。しかしその10日余りあとの9月18日、ジミは旅立ってしまった。

その後、しばらくはローディーのエリック・バレットが本器を所有していたが、1986年にハード・ロック・カフェが購入。一時期はダラスなどの店舗で展示されていたが、現在はロンドンにある同社の倉庫で保管されているらしい。

これまにでも何度か少し仕様を変えた本器のリイシュー・モデルが出ているが、2020年にギブソン・カスタムがほぼ完璧な姿のリイシュー・モデルを限定150本(右利き用125本、左利き用25本)でリリースした。