ロビー・ロバートソンの改造テレキャスター  ボブ・ディランの音楽を温かく包み込んだハムバッカー・サウンド ロビー・ロバートソンの改造テレキャスター  ボブ・ディランの音楽を温かく包み込んだハムバッカー・サウンド

ロビー・ロバートソンの改造テレキャスター  ボブ・ディランの音楽を温かく包み込んだハムバッカー・サウンド

2023年8月9日にこの世を去ったロビー・ロバートソン。彼が盟友ボブ・ディランから譲り受けたテレキャスターは、ピックアップをハムバッカーに交換され、ザ・バンドの多くの名曲を彩ってきた。後年にはビグスビーが取り付けられるなど、大胆な改造も施された1本だが、ロビーにとってこのテレキャスターはどんな存在だったのだろうか。

文=細川真平 Photo by Gie Knaeps/Getty Images

ロビー・ロバートソンがボブ・ディランに薦めたレア仕様のテレ

元ザ・バンドのギタリスト、ロビー・ロバートソンは、2023年8月9日、癌のために亡くなった。80歳だった。

ソロを弾きまくる、いわゆる“ギター・ヒーロー”タイプではなかったが、そのプレイはファンのみならず、多くの世界的なプロ・ミュージシャンたちをも虜にした。

ザ・バンドの前身は、カナダのトロントに活動拠点を移したアメリカのロックンローラー、ロニー・ホーキンスのバックを務めたザ・ホークス。ロビーは1958年に、当初はベーシストとしてこのバンドに参加し、その後ギターを担当するようになる。

1960年の一時期、ロイ・ブキャナンがこのバンドに参加したことがあった。ロニーはその時にロイから様々なことを学んだという。その中の大きな1つがピッキング・ハーモニクスだ。ロビーはロイから学んだこのテクニックをその後、自分のトレードマークとしていくが、その影響はエリック・クラプトンにも引き継がれた。

もちろん、エリックがロイの音源やライブから直接学んだ面もあるかもしれないが、そのプレイのニュアンスはどちらかと言うとロビーに近いし(例えば、デレク・アンド・ザ・ドミノスの「Bell Bottom Blues」のソロ)、ブラインド・フェイス期に彼がザ・バンドに惚れ込んで、“本気でメンバーになりたいと思った”というエピソードからしても正しいように思える。

また、ロビーはザ・ホークス時代からテレキャスターを使っているが、それもロイからの影響があったのかもしれない。

その後、ボブ・ディランという新たな重要人物が、ロビーの人生に登場する。

フォーク・ギターでの弾き語りスタイルで世に出たボブは、1965年7月に行なわれたニューポート・フォーク・フェスティバルで、初めてストラトキャスターを携え、ポール・バターフィールド・ブルース・バンドをバックに従えて演奏した。

この伝説のステージ以降、彼は“エレクトリック化”していくことになるのだが、1964年にロニーのもとを離れ、独立したバンドとして活動を続けていたザ・ホークスが、1966年のワールド・ツアーからそのバック・バンドとして抜擢されることになる。

さて、ニューポートでボブが使ったストラトキャスターは、その後のある時点で、行方がわからなくなっていた。彼はこのギターを、あるコンサートの後に会場から乗った飛行機の中に置き忘れてしまい、パイロットはこの忘れ物に気づいたものの、返しそびれたままになってしまったのだという(ボブ側からも特に連絡はなかったというから、そういう牧歌的な時代だったのだろう)。

2013年になって、亡くなったパイロットの娘がこのギターをオークションに出品し(そこに法的な疑問は感じるのだが……)、ギターとして当時では最高値となる100万ドル近い価格(約1億円)で落札された(エリック・クラプトンの“ブラッキー”を超える額だった)。

話が逸れてしまったが、つまり1966年のワールド・ツアーを控えたボブは、新しいエレクトリック・ギターを入手する必要があったのだ。

そこでボブは、ロビーを伴って楽器屋を巡り、彼の薦めに従ってテレキャスターを購入した。これは65年製の新品で、アルダー・ボディ、ブラック・フィニッシュ、シリアルナンバーは“L97811”だった。

これが実はなかなかレアな仕様で、この年にはフェンダー・ロゴはすでにトランジション・ロゴに変わっているはずだが、これはスパゲティ・ロゴのまま。そして、メイプル・ワンピース・ネック/指板ではなく、この年にオプションとして登場したばかりのメイプル・ネック+貼りメイプル指板となっている。

ボブはライブでもスタジオでもこのテレキャスターを愛用し、この時期の名盤『Blonde on Blonde』(1966年)の中でもこのギターの音を聴くことができる。

ディランから譲り受けたテレキャスターでデビュー作を奏でる

1966年7月にバイク事故を起こしたことをきっかけにボブは、ニューヨーク州ウッドストックに隠遁。そして、ザ・ホークスと共にデモ音源を録音する日々を送る。

その時の音源は、1975年になって『The Basement Tapes(地下室)』としてリリースされることになるが、ザ・ホークスもバンド名を“ザ・バンド”に変え、この時期のセッションで生まれた楽曲を収録したアルバム『Music From Big Pink』で1968年に単独デビューを果たす。

このウッドストックでのセッション期間中に、ボブのテレキャスターはロビーに譲られた。その経緯まではわからないが、『Music From Big Pink』で聴けるのがこのテレキャスターのサウンドだ。

そして、1969年のどこかのタイミングだと思われるが、ロビーはこのギターの塗装を剥がし、木部が露出した状態にする。楽器に呼吸をさせることができ、手触りもいいということで、この時期にミュージシャンの間で塗装を剥ぐことが流行ったようで、ロビーもそれに倣ったのだろう。その理由からするに、表面にクリア塗装は吹かれていないだろうと推察する。

次に、1971年前半頃(詳細時期は不明)、フロント・ピックアップがギブソン“PAF”に替えられる。

テレキャスターを弾くロビー・ロバートソン
1971年6月、塗装が剥がされPAFが付けられたテレキャスターを弾くロビー・ロバートソン。

彼がピックアップを交換した理由はわからないのだが、同じ改造を施しているキース・リチャーズの“ミカウバー”に“PAF”が付けられたのが’72年だから、それよりも早い。ひょっとしたら“ミカウバー”は、ロビーの改造テレキャスターからの影響があっただろうか?

ロビーの“PAF”は、アジャスタブル・ポールピースがブリッジ側になるように、通常とは逆向きで取り付けられているのだが、これは“ミカウバー”も同じで、そんなところにも関連性を感じてしまう。

ロビーのこの改造テレキャスターは、1974年にストラトキャスターにその座を奪われるまで、彼のメイン・ギターとして活躍した。

1972年リリースのライブ・アルバム『Rock of Ages』が、このテレキャスターのサウンドを最も堪能できる作品だろう。

大胆な改造が施された最後の姿

第一線を退いたあとも、このギターは大事に扱われていたようで、2000年頃にはビグスビー・ビブラート・ユニットが付けられている。

しかし、2018年にオークションに出品され、49万ドル(約5,400万円)で落札された。このオークションに出品する際に、ロビーはこう語っている。

誰がこのギターを手にすることになったとしても、愛を持って扱う必要がある。だって彼女は、信じられないほどに素晴らしい働き者だからね

ギター・マガジン2023年9月号 『いとしのテレキャスター』

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