ジミ・ヘンドリックスのキャリア初期を支えたエピフォン・ギター『ジミ・ヘンドリックスとギブソン』番外編 ジミ・ヘンドリックスのキャリア初期を支えたエピフォン・ギター『ジミ・ヘンドリックスとギブソン』番外編

ジミ・ヘンドリックスのキャリア初期を支えたエピフォン・ギター
『ジミ・ヘンドリックスとギブソン』番外編

ジミ・ヘンドリックスとギブソンの関係を紐解く特集『ジミ・ヘンドリックスとギブソン〜天才ギタリストが老舗ブランドに求めたもの〜』の番外編をお届け! 1957年にギブソンが買収し今日まで兄弟ブランドとして続くエピフォンも、ジミのキャリア初期を支えた重要なブランドだ。そしてCrestwood、Wilshire、Coronetと、この頃から左にコンバートしやすいダブルカッタウェイのソリッド・モデルを選んでいた、というのも興味深い事実。今回は、そんな若きジミ・ヘンドリックスが使用したエピフォンのモデルについてのお話。

文=fuzzface66 Photo by Nigel Osbourne/Redferns/Getty Images

情報が著しく少ない、ジミが手にしたエピフォン

1962年7月、ジミ・ヘンドリックスはアメリカ軍第101空輸師団を除隊した。そして、その2ヵ月後に除隊したビリー・コックスと共に、軍隊時代から組んでいたバンド、“ザ・キング・カジュアルズ”をテネシー州クラークスヴィルで再編成する。

この再編成されたキング・カジュアルズでの1年ほどの活動の中で、ジミは複数のエピフォン・ギターを使用していた。しかし、残された写真などが少なく、正確な情報を把握するのは非常に困難でもある。

まず軍隊時代に、ジミはグヤトーンのLG70を入手している。これはグヤトーンが海外輸出用に作ったもので、冠されたブランドはアイバニーズ、あるいはケイ、エコーなど諸説ある。入隊前から使用していたダンエレクトロ(通称ベディ・ジーン)を下取り、あるいは知人に売るなどしてお金を工面し、ローンで購入したようだ。

このLG70は、上述のキング・カジュアルズ再編成当初まで使用されていた(その頃にジミと知り合ったラリー・リーも、ジミが使用していたことを記憶している)。しかし、ローンが払えず1962年11月頃に返品されたという。

その直後に何のギターを使っていたかは不明だが、1962年12月頃に撮られたキング・カジュアルズとのステージ写真では、ジミがエピフォンのCrestwoodとみられるギターをプレイする姿が写っている。ブロックもしくはオーヴァル・インレイのポジション・マークに白いピックガードで、ビブラート・ユニットも付いているように見える個体だ。おそらくこれが最初のエピフォン・ギターだと思われるが、いつ頃入手したのかはまったくわかっていない。

また、年末にジミは祖母のいるバンクーバーへと一度戻り、地元のバンドに参加したり、アメリカ南部を回ったりもしているが、そこでもCrestwoodをプレイしていたのかどうかは不明である。

さらなるエピフォン・ギターがジミのキャリアを彩る

そして、翌1963年3月頃にナッシュビルに戻り、再びキング・カジュアルズと活動するようになるが、この頃にクラークスヴィルの楽器店で、ビリーに連帯保証人になってもらって購入したのが、2本目のエピフォン・ギター、Wilshireだったとみられる。

ビブラート・ユニットが搭載されたこのWilshireは1961年製と言われており、さらにジミによって、ちょっとしたドレスアップが施される。

まず、1963年3月にザ・ジョリー・ロジャー・クラブで撮られた写真では、ドット・インレイ指板の17フレットにだけ、ブロック・インレイを模したようなテープが貼られているのが確認できる。同年5月19日のデル・モロッコ・クラブで撮られた写真では、黒かったピックガードが白に塗り替えられている(ジミはこの写真を、父アルに手紙で送っている。また、これらのドレスアップは、ジミがステージでのショウ・アップの大切さを意識し始めたからなのかもしれない)。

そして、ラリー・リーに誘われてカーティス・メイフィールドらのツアーに参加した夏頃の写真では、今度はWilshireではなく、エピフォンのCoronetらしきギターをプレイしているジミが写っている。しかし、通常のポジション・マークがドット・インレイのところ、1フレットまであるブロック・インレイで、かなり白飛び気味のモノクロ写真であるため、ほかのモデルである可能性も否めない。

ジミのエピフォン・サウンドが聴ける曲は?

これらのエピフォン・ギターをジミは、それぞれ買い換えてプレイしていたのか、あるいは同時に所有していたのか、ハッキリしない。ただ、あるツアーでほかのバンドとトラブルになり、そのバンド・メンバーがジミのギターをツアー・バスから投げ捨てた際、ジミはもう1本のギターを、ジャガイモの袋に包んで隠し持っていたというエピソードがある。このように2本のギターでツアーを回っていたこともあるため、同時所有説も否定はできない(あるいは“片方を使って、もう片方を質に入れる”というようなことをしていたかもしれない)。

いずれにせよ、この時期にこれらのエピフォン・ギターですでにジミがトリッキーなプレイを披露していたことは明らかで、背中弾きや歯弾きはもちろん、20メートルもあるケーブルを使って客席でプレイすることもあったという。

また、この頃から猛烈にギターを練習するようになり、座っていようが、立っていようが、歩いていようが、常にギターを弾いている状態だったらしい。そのあまりの熱中ぶりに、周りからは変人扱いされていたそうだ(ギターを持ったまま映画館へ入っていったこともあったという)。

キング・カジュアルズとの活動は、ジミがニューヨークに拠点を移す直前の1963年末まで続いたが、翌64年3月頃にアイズレー・ブラザーズに加入するまではエピフォンを使い続けたとみられる。

そのため、この頃にロニー・ヤングブラッドとレコーディングした「Go Go Shoes」や「Goodbye Bessie, Mae」、ドン・コヴェイとレコーディングしたヒット・ナンバー「Mercy, Mercy 」、アイズレー・ブラザーズと最初にレコーディングした「Testify」などでも、CrestwoodあるいはWilshireをプレイした可能性はある。

とにかく、ジミの本格的な音楽活動は、これらのエピフォン・ギターとともに始まったと言えるだろう。そして、本物のブルースを奏でるのに必要な“苦悩”や“汚れ”を、このあとニューヨークでさらに積み重ねていくことになる。