伝説の不死鳥、ピーター・フランプトンの“フェニックス”レス・ポール・カスタム 伝説の不死鳥、ピーター・フランプトンの“フェニックス”レス・ポール・カスタム

伝説の不死鳥、ピーター・フランプトンの“フェニックス”レス・ポール・カスタム

ハンブル・パイやソロで大成功を収めたピーター・フランプトンを支えたのが、1954年製のレス・ポール・カスタムだ。のちに“Phenix(フェニックス=不死鳥)”と呼ばれるようになる本器について、入手から現在にいたるまでのエピソードをお届けしよう。

文=細川真平 Photo by Richard E. Aaron/Redferns/Getty Images

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大成功を支えた、黒いレス・ポール・カスタム

今では残念ながら、話題にのぼることが少なくなってしまったピーター・フランプトン。しかし、1970年代には彼の人気は凄まじかった。

フランプトンは、1966年にザ・ハードに加入、1969年にスティーヴ・マリオットとともにハンブル・パイを結成する。1971年に発表された、ハンブル・パイのフィルモア・イーストでのステージをとらえたライブ・アルバム『Performance Rockin’ the Fillmore』は、今でも輝く大傑作だ。

しかしフランプトンはバンドを脱退、ソロに転向する。そして、1976年にリリースしたライブ・アルバム『Frampton Comes Alive!』で大成功を収める。このアルバムは、全米ビルボード・チャートで1位を獲得(合計10週)、年間No.1セールス・アルバムとなり、現在までにアメリカだけで800万枚、全世界で2,000万枚を超える売り上げを記録している。

そして、このアルバムのジャケットに登場し、彼を象徴することになったギターが、54年製のレス・ポール・カスタムだ。これには “Phenix”(フェニックス)という愛称がつくのだが、それはあとになってのこと。

前オーナーの大胆な改造が、好みとマッチする

フランプトンがこのギターと出会ったのは、ハンブル・パイ時代の1970年。サンフランシスコのフィルモア・ウェストに4日間出演した時のことだった。

ギブソン“ES-335”を使っていた彼は、ステージ上でのハウリングに悩まされていた。そんな彼のもとに、とあるファンが訪れる。

ある日の昼のセットが終わったあとのこと、ギタリストでもあるマーク・マリアナという人物が、自分の54年製レス・ポール・カスタムを貸すことを申し出た。試しにと、夜のセットでこのギターを使ったフランプトンは、ライブが終わる頃にはすっかり惚れ込んでしまっていた。

そして、残りのライブ日程のすべてをこのギターで乗り切ったあと、彼は“これを売ってほしい”とマリアナに告げた。だがマリアナは、“いいえ、差し上げます”と言って、代金を受け取らなかったそうだ。

こうしてフランプトンのものになったこのカスタムだが、マリアナの手によってかなり改造が施されていた。

54年製という最初期のモデルなので、本来はフロント・ピックアップには“アルニコV”が、リアには“P-90”が搭載された2ピックアップ仕様で、ピックアップ・カバーもブラックで統一された、本当の“ブラック・ビューティー”。

しかし、このカスタムにはセンター・ピックアップが増設され、3つのポジションにはすべてカバーがはずされた“PAF”と思われるモデルが搭載されている。これによりボディに占めるピックアップの面積が増大し、かつクリーム色のエスカッションということもあり、ルックス的には54年製とはかなり異なって見える。

ピーター・フランプトンとレス・ポール・カスタム

不運な別れ、奇跡の再会

このギターは、前述の『Frampton Comes Alive!』を始めとして、フランプトンの愛器にしてトレードマークとなり、大活躍をすることとなった。

しかし、1980年に彼が南米ベネズエラのカラカスでライブを行なったあと、このギターを含む機材を載せた貨物機が墜落するという事故が起こった。墜落現場の捜索も行なわれたが見つからず、フランプトンも涙を呑んで諦めざるを得なかった。

だが、なんと2011年になって、カラカスの近くに住むギター製作者から、フランプトンへとメールが届いた。そのギター製作者のもとに、“あの”カスタムと思われるギターがリペアに持ち込まれたというのだ。添付された分解写真を見て、フランプトンは自分のギターだと確信する。

その後の調べでわかったことは、どうやら彼のギターが格納されていたカーゴは、墜落しても無事だったようだが、それを最初に発見した現地の人間が、中に入っていたギターを売り飛ばしてしまったらしい。

しかも、フラプトンのカスタムを買った人は初心者で、すぐにギターを諦め、以来このカスタムはほったらかしにされていた。

だが時は過ぎ、この人物の10代の息子がギターに興味を持ったことから、再び表へと引っ張り出される。そして、修理が必要だと判断され、前述のギター製作者のもとに持ち込まれたのだ。

このあと、買い戻しなどについてやや紆余曲折はあったものの、約31年ぶりにこのカスタムはフランプトンのもとに戻った。

そして、“Phenixフェニックス”という愛称がつけられたのだった。

墜落事故から甦ったこの奇跡の不死鳥が、フランプトンのもとを去ることは二度とないだろう。

※英語の“フェニックス”のスペルは“Phoenix”が正しいが、このギターの愛称は“Phenix”と綴られる。

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