ジミ・ヘンドリックスとマーシャル・アンプの絆 ジミ・ヘンドリックスとマーシャル・アンプの絆

ジミ・ヘンドリックスとマーシャル・アンプの絆

ジミ・ヘンドリックスが使用したアンプと言えば、真っ先にマーシャルのロゴが思い浮かぶだろう。今回はジミとマーシャルとの出会い、そして彼が使用してきたモデルについて紹介しよう。

文=fuzzface66 Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images

マーシャル・アンプとの出会い

ジミがマーシャル・アンプと出会ったのは、渡英してまだ6日目である1966年9月29日、ロンドンのブレイセズ・クラブで行なわれた“ブライアン・オーガー&ザ・トリニティ”のステージに飛び入り参加した時のことである。

ストラトキャスターだけを持参したジミは、トリニティのギタリストであるヴィック・ブリクスのアンプを使うことになったのだが、それがプロトタイプのマーシャル・アンプだった。

アメリカ時代からそうしていたように、ジミはアンプのボリュームを目いっぱい上げたが、目盛りを5以上にしたことがないブリクスは、“とんでもない爆音になる”と顔面蒼白になった。しかし、そんな彼の状況を察したジミは、ブリクスに向かって“心配しなくても大丈夫だよ。ギターのボリュームは下げてあるから”と言い、「Hey Joe」をプレイしたという。

JTM45/100 Super 100

そしてこの日から9日後、ジミはドラムに採用したばかりのミッチ・ミッチェルに連れられて、ロンドンにあるジム・マーシャルのショップを訪れた。そこで、JTM45を100W仕様に変更したJTM45/100 Super 100(KT66管仕様)を2台(3台説もあり)と、1982A/Bそれぞれのキャビネットを2台ずつ購入した(Bキャビネットは通常よりもやや長いタイプで、“ピンストライプ”と呼ばれるフレット・クロスが張られていた)。

ちなみにミッチは、このショップで開催されていた“ジム・マーシャル・ドラム・スクール(※1)”の元生徒であり、店の手伝いをしていたこともあった。マーシャルに興味を持ったジミから“俺と同じ名前のジェイムズ・マーシャルって人に会ってみたいな(※2)”と言われ、2人をつないだそうだ。

そしてジミは、この時に購入したSuper 100を少なくとも1年以上は愛用し、ヨーロッパ時代はもちろん、モンタレー以降にアメリカでも熱狂的な人気を獲得していく頃までは使用していたと推測される。また、マネージャーのチャス・チャンドラーや、当時のスタジオ・エンジニアなどの証言によると、1stアルバム『Are You Experienced』のレコーディング・セッションでもメインとして使用された可能性も高い。

※1:マーシャルの創設者であるジム・マーシャルは、ドラマーとして活動していた。
※2:ジミ・ヘンドリックスの本名は“ジェームズ・マーシャル・ヘンドリックス”。

Super P.A. 100

そのSuper 100を使用している期間、ステージにおいてPA用として追加されたのがSuper P.A. 100だった。またSuper 100にトラブルがあった際は、そのままギター・アンプとして使用されることもあったようだ(1967年10月9日パリのオリンピア劇場では、スペアとして右側にセットされている)。

T1959 Super Tremolo 100

1967年12月22日にロンドンのオリンピアで行なわれた“クリスマス・オン・アース”で、トレモロ機能を搭載したT1959が初登場する。

このモデルは翌1968年のアメリカでのステージにも度々登場しており、有名なところでは5月18日のマイアミ・ポップ・フェスティバルが挙げられる。

また、同年11月中に行なわれたほとんどのステージでも、2台のT1959をリンクして使用している様子が確認できる。しかし、いずれもチャンネル1にインプットされており、トレモロ機能は使っていなかった。

1959 Super Lead 100

1959 Super Lead 100をジミが使い始めた時期は、はっきりとは特定できない。ただ、1968年5月下旬から始まった、イタリアやスイスを含む短いヨーロッパ・ツアーにおいて、“バスケットウィーブ”と呼ばれるフレット・クロスを持つキャビネットとともにヘッドも一新されているため、少なくともこの時期にはSuper Lead 100に切り替わっているものと考えられる。

また、同年7月下旬から始まった2回目のアメリカ・ツアーでは、フロント・パネルの“JTM”ロゴが反転した“ブラック・フラッグ”と呼ばれるレアなモデルも登場している。なお、アメリカ公演で使用されたキャビネットは、引き続きピンストライプ仕様だったが、ボロボロに破れている。

ジミ・ヘンドリックスとマーシャル1959 Super Lead 100
1968年9月、ジミ・ヘンドリックスと2台の1959 Super Lead 100(右側が“ブラック・フラッグ”モデル)。

そして1969年2月、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホール公演で3セット一式が新調されたが、4月からアメリカで始まったエクスペリエンスとの事実上のラスト・ツアーで、ポラリティ・スイッチが追加されたUS仕様と呼ばれるモデルへと一斉に切り替わっている。

以降、その都度買い替えなどはあったかもしれないが、ジミは生涯にわたって、このポラリティ・スイッチ付きのSuper Lead 100を愛用し続けた。

ポラリティ・スイッチ付きのSuper Lead 100を鳴らす、1970年マウイ島でのステージ。