生涯ストラトキャスターを愛用したジミ・ヘンドリックス。その活動をサポートしたフェンダーは、自社製のアンプもジミに提供していた。今回はそんな“ジミとフェンダー・アンプ”との関係について、使用モデルをおさらいしながら考えていこう。
文=fuzzface66 Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images
アメリカでの活動で重宝したフェンダー・アンプ
ジミ・ヘンドリックスのサウンドを体現するのにマーシャル・アンプは不可欠。しかし、デビュー後にアメリカで活動する際、現地でサポートを受けることができるフェンダーのアンプも、ステージではたびたび登場した。
マーシャルに比べると圧倒的に使用頻度は低いが、彼の音楽キャリアの中に登場したフェンダー・アンプを見ていこう。
Dual Showman(Blackface)
フェンダーのピギーバック・アンプを代表するモデルの1つである“Dual Showman”。ジミがこのアンプを初めてステージで使用したのは、1967年6月18日のモンタレー・ポップ・フェスティバルだと思われる。
メインのMarshall Super 100とリンクしてサポート的に使用していたが、同じような構成は、同年6月25日のゴールデン・ゲート・パークでのフリー・ライブや、8月18日のハリウッド・ボウルなどでも確認できる。
Dual Showman(Silverface)
1968年2月から始まる大規模なアメリカ・ツアーに向けてフェンダー社に協力を求めた際、3セットほどの真新しいDual Showmanが提供され、メイン・アンプとして使用を開始する。
しかし、フルアップで駆動させるジミの激しい使用方法に耐え切れなかったのか、当初から故障によるトラブルが頻発した。そのため、Dual Showmanはツアー早々に使用を取りやめることに。その後、ヘッドはPA用、キャビネットはモニター用になっている。
また、同年4月頃からレコード・プラント・スタジオで本格的に始まった3rdアルバム『Electric Ladyland』のレコーディング・セッションでも、Dual Showmanが多用されたと言われているが、文献によってはShowmanやBassmanだったという説もある。いずれにせよ、時期的にはシルバーフェイスでピギーバック・スタイルのモデルだった可能性が高いだろう。特に「Voodoo Chile」、「Gypsy Eyes」、「Voodoo Child (Slight Return)」などのトーンは顕著である。
なお、1969年6月22日、バディ・マイルスらとジャム・セッションをくり広げたニューポート・ポップ・フェスティバルでも、シルバーフェイスのDual Showmanを使用しているが、これがジミ所有の物だったのかは不明である。
Twin Reverb
下積み時代に何度かTwin Reverbを使用していたジミは、デビュー後のステージでも外部キャビネットを追加したスタイルで使用することがあった(1968年4月7日、NYジェネレーション・クラブでのジャム・セッションなど)。
また晩年、自身の夢のスタジオである“エレクトリック・レディ”の備えつけアンプの1つとしてもTwin Reverbを用意していた。そこでレコーディングされた数々の未発表セッションで使用されたと思われる。
ちなみに“ウォーミングアップ用”としてステージのバックヤードに用意した、シルバーフェイスのVibro Champのような小型アンプを使用している写真も残されている。