スティーヴィー・レイ・ヴォーンのギター・テックが語った、“No.1”の詳細なセットアップ スティーヴィー・レイ・ヴォーンのギター・テックが語った、“No.1”の詳細なセットアップ

スティーヴィー・レイ・ヴォーンのギター・テックが語った、“No.1”の詳細なセットアップ

スティーヴィー・レイ・ヴォーンが生涯愛し続けた絶対的メイン・ギター“No.1”。本器に搭載されたピックアップや弦高などの詳細なセットアップは、すでに公になっているものも多いが、今回は改めてその真実を深掘りしていこう。1985年からスティーヴィーが亡くなるまで、彼のギター・テックを務めたルネ・マルティネスの証言とともにお届け。

文=細川真平 Photo by David Redfern/Redferns

諸説あった“No.1”の製造年

スティーヴィー・レイ・ヴォーンは1983年にメジャー・デビューし、1990年にヘリコプター事故で亡くなった。その7年の間に彼が遺したものはあまりにも大きい。そのプレイとトーンに多くのギタリストが惚れ込み、影響を受け、憧れ、今でもそれらを追い求め続けている。ジョン・メイヤーやケニー・ウェイン・シェパードがその筆頭と言っていいだろう。また、スティーヴィーよりも上の世代のレジェンドであるエリック・クラプトンやジェフ・ベックにすら大きな衝撃を与えた。

そのスティーヴィーの生涯のメイン・ギターが、彼が“No.1”、もしくは“ファースト・ワイフ”と呼んだストラトキャスター。スティーヴィーが魂を注入した、ブルース/ロック界における“世界遺産”のひとつだ。

彼はこのギターを、1973年か1974年(2つの説がある)に米テキサス州オースティンのレイ・ヘニングス・ハート・オブ・テキサス・ミュージックで入手した。1979年にデビューして世界的な人気を博すことになるシンガー・ソングライターのクリストファー・クロスが下取りに出したものだった。

スティーヴィー・レイ・ヴォーン
Photo by Gary Gershoff/Getty Images

このストラトは今では1963年製(ネックは1962年製だが、ボディが1963年製のため、ギターとしての製造年は1963年となる)だということが明らかになっている。だが、スティーヴィー自身がこのギターを1959年製と言っていたこともあって、今でも1959年製と言われることがあるが、それは間違いだ。筆者が数年前に、1985年からスティーヴィーが亡くなるまで彼のギター・テックを務めたルネ・マルティネス(その後はカルロス・サンタナやジョン・メイヤーのテックも)に取材したとき、彼はこのように語ってくれた。

このギターが1963年製なのはスティーヴィーも知っていたよ。だけど、ピックアップの裏に鉛筆書きで“59”とあって、スティーヴィーはそれを僕に見せてくれながら、だから俺は最初このギターを“59ストラト”と呼んでいたんだ

ストラトのピックアップは、1964年半ば頃まで公式にデイティング(製造日付の記入)はされなかったので、この書き込みが何だったのかは不明だ。別のソースになるが、1984年に米Guitar Player誌に掲載されたスティーヴィーのインタビュー記事の中で彼は、“ボディに“LF-1959”と書かれていたから、最初はレオ・フェンダー自身が組み立てたギターかと想像したんだけど、その後、LFのイニシャルはLouis Fuentesを指していることに気付いたんだ”と述べている。つまりルネの証言は、この話と部分的に混同している可能性もある(Louis Fuentesが誰なのかは不明だが、フェンダーの組み込み担当者だろうか? また、“1959”が何を指すのかも不明)。ちなみに、スティーヴィーは亡くなる前々年である1988年の英Guitar Player誌でのインタビューでも、このストラトを1959年製と発言していることを付け加えておきたい。

また、ピックアップがリワインドされていたという説が流布しているが、リワインドされていたか、もしくはルネによってリワインドされたかという点について、彼はこう教えてくれた。

いや、リワインドはされていなかった。これらのピックアップは、私がスティーヴィーに出会った当初から“No.1”に搭載されていたもので、今もそのままだよ

工場出荷時の状態のまま使用していた可能性も

2003年にフェンダーが、このギターのレプリカを作る目的で分析を行っている。詳細はトップ・シークレット扱いだが、いくつかの内容は公になっている。それによると、“ピックアップはストックのままに見えるが、シールドされていたので製造年は不明”だという。そのシールドというのがどの程度のものなのかは分からないが、ルネの発言とも合わせて、ピックアップはストックのままの、ボディ/ネックと同時期製だった可能性が高いと思える。また、“ピックアップの出力は決して高くない。むしろ標準より低いほう”とのことで、“リワインドして出力を上げていた”という説が単なる神話だったということが分かる。

スティーヴィー・レイ・ヴォーン
Photo by Paul Natkin/Getty Images

この分析で明らかになったように、ネックの製造年は1962年12月、ボディの製造年は1963年2月。“何も改造はされていなくて、工場から出荷されたときのまま状態だ”とフェンダーは述べている。ネックのナット幅はDサイズ。ストラトのナット幅はA〜Dサイズまであり、Bがスタンダードで、Dは最もワイドだ。指板はハカランダ(ブラジリアン・ローズウッド)で、ラウンド・ボード仕様(ネック自体にRをつけ、それに沿って指板を貼ったもの)。フレットにはベース用のものが使われていたという説があったが、これについてはルネがこう説明してくれた。

当時はフレットの種類がスモール、ミディアム、ジャンボしかなかったんだ。ミディアムがフェンダーのギターに使われていたもので、ジャンボはベースに使われていた。私はリフレット用にはいつも、その時販売されている中で一番大きなフレットを探していてね。それでスティーヴィーのギターにも、ベースに使われるジャンボ・タイプを使ったんだよ

ボディー材はアルダー。ピックガードをブラックに、シンクロナイズド・トレモロ・ユニットをゴールドの左利き用に替えたのは1977年ごろのこと。ブリッジ下に“CUSTOM”というステッカーが貼られたのも同じ頃のことと思われる。左のホーン部分に“SRV”というレタリング・ステッカーが貼られたのは、正確な年は不明だが、それよりも前のことだ。ただしこれも、1977年ごろには書体の違う新しいものに変わっている。

“No.1”は、ただ手入れをするだけだ。芸術品だからね。
──ジミー・ヴォーン

また、1981年から1983年までのどこかのタイミングで、ヘッドの傷んだFenderデカールと、消えてしまった“ORIGINAL Countor Body Pat.Pend”デカールが新しく貼り直されている。ピックガードに“SRV”のレタリングが貼られたのは案外遅く、1983年半ばごろ。前任ギター・テックによってステッカーがまるごと貼り付けられていたが、ルネの代(1985年〜)になって文字の周りを切り抜くようになった。またその後、デザインも何回か変わっている。

スティーヴィーは太い弦を使用していたことで有名だが、これについてルネはこう教えてくれた。

私がスティーヴィーに初めて会った時には、[.013-.060]というかなり太いゲージを使っていた。当時、それ以上太い弦は作られていなかったよ。その太い弦のせいで指を傷つけることが多かったから、私は彼のトーンを維持しながらも指には優しいセットを考案したんだ。

[.011/.015/.019(プレーン)/.028/.038/.058(巻弦)]というセットで、巻弦はハーフ・ラウンドだ。GHSの弦を使ったんだが、テンションが高めで、半音下げチューニングに適していたね。彼は常に半音下げだったから。とても気に入ってくれたよ。このセットはその後、GHSから発売された。今でも購入できるけど、パッケージにスティーヴィーの名前は書かれていない。“Nickel Rockers Low Tune”というのがそれだよ

弦高はどうだったのだろうか?

まず1フレット目は、1弦から5弦までは1/64インチ(0.015インチ、0.381mm)だ。6弦はちょっと高くて1/64+(プラス)。プラスというのは、1/64インチの目盛りよりも少し上の位置を指す。12フレットは4、5、6弦の低音側がすべて4/32インチ(0.125インチ、3.175mm)。高音弦側は3.5 /32インチ(0.109インチ、2.77mm)。すべてのギターがこのセットアップだったよ

このように、かなり高めの弦高だった。また、ピックアップの高さについても聞いた。

音を聴いて測っていたね。ピックアップというのは、1つずつ異なるものだからね。5ウェイ・セレクターだったら、均一な音量で5種類のトーンが出せるようにと心がけたよ。ただ、高過ぎるとストリング・プル(ピックアップの磁力が弦を引きつけることによって、低音弦の音程を不安定にし、サステインを減少させてしまう現象)を起こしてしまう。高すぎないこと、これは絶対だよ

“No.1”は、1990年7月7日、ニュージャージー州ホルムデルのガーデン・ステート・アーツ・センターでのライブの直後、ステージ上から物が落下してきてネックが破損。これに関して、ルネはこう語ってくれた。

“No.1”のネックはその時、指板をリペアする必要があったのではずして、代わりに“RED”と呼ばれていたストラトのネックを付けてあったんだ。そして、“RED”には予備の左利き用ネックを取り付けておいた。だから、“No.1”のオリジナル・ネックは損傷しなかったし、今ではそのオリジナル・ネックが“No.1”に付けられているよ。私とスティーヴィーが古いストラトを数本買って、そこから選んだネックに交換した……という噂もあるようだけど、それはしていないね

この事故の後、オリジナル・ネックのリペアがまだ済んでいなかったために、代替用のネックがフェンダー・カスタム・ショップにオーダーされた。1990年8月26日、ウィスコンシン州イースト・トロイのアルパイン・ヴァレー・ミュージック・シアター公演がスティーヴィーのラスト・ステージとなったが、このとき“No.1”にはフェンダー・カスタム・ショップ製のネックが付けられていた。

“No.1”はスティーヴィーの逝去後、兄のジミー・ヴォーンによって大事に保管されており、展示イベントなどで時折、人前に出ることもある。ジミーへのインタビューで、彼はこう語ってくれた。

“良い場所に保管して、大切にしているよ。どこかに持って行く時、ちょっと構えてみたりはするけど、ずっと弾き続けたりはしないね。俺には自分のギターがあるんだから、そっちを弾くよ(笑)。“No.1”は、ただ手入れをするだけだ。芸術品だからね”

スティーヴィー・レイ・ヴォーン
Photo by David Redfern/Redferns