平成に敢行したギター・マガジン本誌『ニッポンの偉大なギタリスト100』では1位を獲得、2020年7月号『ニッポンの偉大なギター名盤100』でも1st作『Char』が首位に輝いた。昭和、平成、令和と常にトップを走り続ける“偉大なギタリスト”が生まれた背景を、Char本人の言葉から探っていこう。“日本イチ”のギター名盤を生み出した21歳までに、彼はどのような軌跡を辿ったのか――若いギタリストにこそ読んでいただきたい。
取材=福崎敬太 撮影=イノクチサトシ
俺的には“Char”っていうバンド。
新型コロナ・ウイルスでの緊急事態宣言中、JESSEさんのインスタ・ライブにCharさんも出演されていましたが、あれはどのような経緯で実現したんですか?
10年近く、5月4日は“戸越の日”ってことでライブをやっていたんだよ。最初はハイチの震災をきっかけに、JESSEたちが戸越公園でチャリティー・イベントを始めてさ。品川区や戸越商店街とも連携して、それがだんだんと大きくなっていったんだけど、今年はできなくなったから。それで、JESSEが自分のスタジオで“こういうことをやるんだけど、親父どう?”って言うから、親子だったら濃厚接触も何もねぇだろうってことで(笑)。
ですね(笑)。
あと、その1〜2週間くらい前に、JESSEと作った「Where Are You Now」って曲があって、その流れもあったね。
ほかにも“Stay ZICCA ver.”と銘打たれた演奏動画の数々もアップされていましたね。自分としても在宅ワークが続きストレスが溜まっていた中で、非常に勇気づけられました。
おぉ、それは良かった。
さて、話は変わりまして、6月にギタマガ本誌で『ニッポンの偉大なギター名盤100』という企画をやったのですが……。
らしいね。早い時期に友人からメールがあって、“え、俺聞いてねぇな”って。
す、すみません……。そして、1位に見事アルバム『Char』が選ばれたのですが、まずはその率直なご感想を聞かせて下さい。
こりゃあ参ったね……いや、光栄ですよ。前回の『ギタリスト100』も光栄な話でしたが、今回選ばれた『Char』はデビュー・アルバムだし、21歳くらいの頃の話だからね。このアルバムを作る時に“これは俺に一生ついて回る作品だな”と思ってたんだよ。
当時からすでにそう感じていたんですか?
そうだね。これが出たのは1976年の秋(9月25日)で、6月頃に「Navy Blue」と「Shinin’ You Shinin’ Day」のシングルは先行で出してたんだけど、その時にはアルバムを作ることがわかってたんだよ。で、デビュー作は一生残るものだし、年を取ってから聴いて顔を赤らめるようなものを作りたくないと思ってたんだよね。それに、当時は“アルバムを作る”っていうことは簡単にできることじゃなかったわけ。10代からスタジオ・ミュージシャンをやっていて、人のアルバム制作に関わることも多かったから、自分のアルバムを作るんだったら、ちゃんとした自分のバンドを作りたいと思ってたんだよ。
バンド、ですか?
そう。アルバムを一緒に作っていて、自分のスキルも上がるような実力のあるミュージシャンを集めたかった。それで、LAに行ってふたり(ジェリー・マゴシアン/k、ジョージ・マスティッチ/b)を見つけてきて、アルバムを作ったんだよ(編注:ドラムはロバート・ブリル)。それまでスモーキー・メディスンっていうアマチュア・バンドだったり、セッション・バンドのMad Brothersとかいろいろやってきたけど、俺的には“Char”っていうバンドなんだよ。
ソロ名義という感覚ではなかったと?
だから俺が持っているオリジナリティというよりも、そのメンバーで出せるオリジナリティを追求した結果、こういうアルバムになったんだと思うな。俺はスタジオ・ミュージシャンをやってきたから、そこでは欧米の先端の音楽をプロデューサーやコンポーザーから要求されてきたわけでね。“Char君、この曲はクラプトン風に弾いて”とか、“これはサンタナ風に”って言われて重宝されていたミュージシャンだったからさ。そこで、“じゃあ俺らしさってなんだろう”って思った時に、自分だけでは足りないと思ってメンバーを見つけてきたんだよ。
プレイヤーとして最先端の情報を持てていた。
21歳の時点で、1st作がこの先のトレードマークになると思えたのは、高いセンスや技術に裏付けられた自信があったからこそだと思うんです。今は30歳でも若手と呼ばれる時代で、平成生まれの自分からすると信じられないほど早熟な気がします。
でも、当時は俺だけじゃなかったと思うよ。俺がハタチになるまでの1965年から1975年っていう10年間は、ギターを中心とした洋楽のピークだったというかさ。ビートルズやストーンズが日本に入ってきたりした一番濃い時期だったんだよね。スタジオ・ミュージシャンをやっている1975年まで、ジェフ・ベック、クラプトン、ジミー・ペイジとか、いろんなものをかじっていて、デビューする直前はラリー・カールトンもコピーしなくちゃいけないような時代になってたから(笑)。
クラシック・ロックからフュージョンまでカバーしているわけですね。
当時はフュージョンじゃなくて、譜面に“クロスオーバー風に”って書いてあったけど(笑)。
そもそも、14歳で初のプロ仕事として、教則本の付属音源でクラプトンを完コピしたんですよね?
そう、クラプトン“役”(笑)。
そういう仕事を14歳でできるって、物凄いですよね?
恵まれていたといえば恵まれていたし、偶然といえば偶然だよね。そんな子供に仕事をくれたわけだからさ。それも、たまたま俺を引っ張り上げてくれたプロデューサーの方がいたんだよ。それがもう亡くなってしまったけど、のちに『Char』のプロデューサーになってくれた萩原克己さん。彼はギタリストだったんだけど、プロデューサーの方向に移ろうとしていた時に俺のプレイを見て、彼の仕事は全部俺に回してくれた。それで、“ジャズ・ギター、クラシック・ギターの教則本はあるけど、ロック・ギターはないから、Char君なら作れる?”って。
そういう方に見つけてもらえるっていうのは、実力の高さや運の良さもあると思うのですが、ほかに若い頃にやっていてよかったと思う経験ってありますか?
やっぱり、若い時に同じ世代のいろんな国のやつとセッションしたことかな。そこで、「御山の大将」みたいな自分をかなりギャフンと言わされたね。
というと?
アメリカン・スクールやジャーマン・スクールとか、いろんなインターナショナル・スクールのパーティーがあってさ。そのパーティーは生バンドじゃなくちゃいけないんだよ。で、高校の頃、そういうところに外人の友達と一緒に行くと、そこに出ていたバンドが求めていたものが、同じ高校生でも全然違うというか。バンド内でドラムとベースが喧嘩していて、内容は女かドラッグなのかなって思って聞いてたら、“ハネ方の違い”。
おぉ……高校生ですよね?
そう、10代だよ。“お前は全然わかってねぇよ!”ってやっているわけ。“ZZトップばっかり聴いてっからだよ!”とか(笑)。ベースのやつが“もっとダニー・ハサウェイとかスティーヴィー・ワンダーを聴けよ”って言ってるんだよ。
ハイレベルすぎです(笑)。
すごいでしょ? スモーキー・メディスンでもどこでも、アマチュアの時にそういう会話にまでなったことがないから、それはやっぱり目から鱗だった。要するに“どうアンサンブルをタイトにするか”なんだよね。ドラムとベースって日本だとジャンケンで負けたやつか、蔵でも持っているやつか(笑)。でも、そこで“バンド・サウンドの元を作っているのがドラムとベースなんだ”って気づかされたな。
10代からいろんな国のミュージシャンたちとのつながりがあったのは刺激的ですね。
彼らをとおして、日本では全く馴染みのないアーティストの曲も耳にすることができたしね。当時はインターネットもないわけで、ロンドンにいたヤツじゃないと知らないこととか、LAやNYにいたヤツしか知らない音楽を、日本に帰ってきた時に“こいつがすげえんだよ”って教えてくれたんだよ。そういう環境もあったから、評論家さんとは違う、プレイヤーとして最先端の情報を持てていたね。
間違えたりバラバラになったりすることが
なんでそんなに怖いんだろうって思う。
Charさんは企画やフェスなどで若いミュージシャンと共演されることもありますが、印象に残っているバンドやギタリストはいますか?
それはみんな残っているよ!
例えば一緒に演奏して感じることなどは……?
何を言わせたいんだよ(笑)。みなさん個性的で素晴らしいよ。……ただ、イヤモニでロックがよくできるなって思う(笑)。
“イヤモニでロック”……改めてそう聞くとたしかに違和感があるかもしれませんね(笑)。
人の音が聴こえないじゃん、アレ。しかもクリックを聴きながら……あのスタイルが始まってからのテンポが、全然ロックじゃないんだよね。タイトなのとも違う。人間がやっているんだから、例えば4人のバンドがすごくグルーヴする時もあれば、“あ、今日ダメじゃん”っていう日もある。それは外タレを観ていても、昔はそういう時があった。うまく日本語が見つからないけど……テキトーさとかあやふやさがロックにはないとダメなんだよ。そうじゃないのが今の流行なのかもしれないけど、なんでそんなに間違えたりバラバラになったりすることが怖いんだろう?って思う。でも今は、そうやってでき上がったものしかミュージック・チャンネルでも流れてこないから、持っていかれないんだよ。皆さんちゃんと弾いたらうまいんだろうなって思うから、余計なものをとったら、もっとこの子たちの個性が出て、“やべえ! 俺も練習しなくちゃ!”って思わせるものが出てくるんじゃないかなって。そのほうがおもしれえじゃんって思うけど……あ〜あ、嫌われるな(笑)。
いやいや、まさに金言ですよ! また、今は聴ける音楽の幅も広くなって、なかなか“全員が認めるギター・ヒーロー”が生まれにくい時代だと思うんです。パワフル・プロ野球じゃないですけど、例えばギター・ヒーローを育てるゲームがあったら、Charさんはどう育てますか?
いやぁ〜、やっぱりセッションだよね。本当に基本中の基本のスリー・コードでも、ワン・コードでもツー・コードでもいいんだよ。自分がカッティングしている時に相手を聴く、要するに楽器で会話をするっていうこと。今はそれの訓練がないんじゃないかな? 「何とかミュージック・スクール」に行った時に、ひとりでスタジオに入ってドア閉め切って練習しているのを見かけることがあってさ。本来ならそこの小社会の中で人間性がぶつかって、 “誰々がお前なんかより全然うまいって言ってたぜ”とか、“馬鹿野郎、俺のほうが全然指が速えよ”みたいな、そういうコンペティションがあるべきで。今はそういうふるいにかけられることが、ないんだと思う。
でも、音楽で優劣がつけづらいこともありませんか?
でも、俺らの時は勝ち負けだから。“どこの高校のあいつがCharよりうまいって言ってたよ”とか言われたら、“じゃあ文化祭行こうぜ……、つぶす”って。
怖ぇ(笑)。
相手がプロでも、“つぶす”って(笑)。でも、若い時ってそれができるし。
恥ずかしながら、私も学生の頃は思っていました(笑)。
でしょ? そうやって自分の世界が広がっていくと、すごいやつもでてきて、それで全体が上がる。たぶん、俺らの時代は、今より1000倍はギタリストがいたと思うんだよ。そのほとんどが“俺のほうがうまい”って思っているやつだったわけで(笑)。
戦国時代ですね(笑)。ちなみにギターうんぬんは関係なしで、ひとりの男としてお聞きしたいのですが、Charさんが思う“漢たるもの、かくあるべし”みたいな考えはありますか?
ハハハ(笑)。なんだろうな……さっきまで真面目にギターを練習する動機みたいのを話したけど、その裏側には“カッコつけたい”とか、はっきり言うと“女の子にモテたい”、“キャーキャー言われたい”っていうのがあるわけで。それは男子全員が持っている願望だと思うんだよ。で、それって容姿とか見た目じゃなくて、そいつが持っている“やりたい”と思うことをやっているかどうかなんだよな。それを貫いて、かつ極めては壊し、極めては壊しっていう。俺もそこの域にはいっていないけど、俺が尊敬する男っていうのはそこだと思う。
……沁みます。それでは最後に、若いギタリストへ向けてメッセージをいただけますか?
エレキ・ギターの歴史なんてそんなに古いもんじゃないから。クラシックになると2世紀も3世紀も遡らなくちゃいけなくて、つまり一生捧げないとできない音楽なんだよ。でも、エレキ・ギターやロックっていうのはたかだか100年もないわけで、ちょっと興味があるんであれば、遡ってその辺の音楽を聴いてみてもらいたい。そうすると新しい発見がいろいろと出てくると思うし、これからのギター人生のプラスになる。ひいては英語の歌詞とかをしっかり理解しようとするならば、その時代の社会背景とか言いたかったことが伝わってきて、その人の知識として作曲能力や作詞能力になっていくんじゃないかなと。“勉強”って言うと堅くなっちゃうけど、今は簡単にダウンロードできるんだからさ。試聴してみて、そのうえに今の音楽があるってわかると、次に自分が何をしたいかっていうものの、ひとつの指針になるのかなと思うよ。
>Special|令和時代も語り継ぎたい――平成生まれが語るCharのすごさ。
Char
本名・竹中尚人(たけなか ひさと)。1955年6月16日、東京生まれ。1976年「NAVY BLUE」でデビュー後、ソロ活動と並行してJohnny, Louis & CharやPsychedelix、BAHOでも活動を行なう。2009年に“ZICCA RECORDS”を設立し、現在はオリジナル楽器ラインZICCA AXにて、Fenderとのコラボ・モデル“Char 2020 Mustang -Zicca Limited Model-”を発売中。
最新作
『STAYING ZICCA』 Char
Zicca/ZRST-SZ01/8月19日リリース