Special Talk Session | フジイケンジ(The Birthday)× KOHKI(BRAHMAN) Special Talk Session | フジイケンジ(The Birthday)× KOHKI(BRAHMAN)

Special Talk Session | フジイケンジ(The Birthday)× KOHKI(BRAHMAN)

2011年のイベントで初共演。2014年からは対バン・ツアーを通じ、数々のステージをともにしてきたThe BirthdayとBRAHMAN。今回、フジイケンジとKOHKIのギタリスト対談が実現! お互いをリスペクトし合っている2人に、影響を受けた音楽やサウンドメイクについてなど、ざっくばらんに話してもらった。対談を進めていくうちに、新たな事実の発覚が……!?

取材・文=小林弘昂 人物・機材写真=星野俊


KOHKI君は「BAD FEELING」が
天才的に上手いよね。
──フジイケンジ

今回なぜお2人にお声がけさせていただいたかというと、以前からフジケンさんとお話する中でKOHKIさんのお名前があがったり、逆にKOHKIさんとのお話の中でもフジケンさんの話題になったりすることがあったからなんです。まず、お2人の初めての出会いは?

KOHKI 僕らよりも昔からご活躍されているので、一方的に知ってはいたんですけど、知り合ったのはThe Birthdayと何回か対バンするようになってからですね。ここ何年かです。

フジイ 僕はZepp TokyoでBRAHMANとツーマンをやったのが古い記憶としてあります。TVの撮影が入ってたよね。

ちょうど10年前、2011年8月のBLACK LIST 015 “ROCK FOR JAPAN”かもしれないですね。対バンする前からフジケンさんはBRAHMANを聴いていたんですか?

フジイ 聴いてましたよ。おっかないバンドだなって(笑)。

KOHKI それ、ボーカルだけですから(笑)。僕はもう、フジケンさんは“めちゃくちゃ良い音を出す人”っていうイメージで。“僕にはあんなの絶対弾けないな”みたいな。魅力のあるギタリストっていう感じですかね。

フジケンさんは、KOHKIさんにどういう印象を?

フジイ 最初はやっぱり轟音のイメージが強かったけど、知れば知るほどアルペジオにすごく艶があったりとか、開放弦を使った共通音の巧みなアルペジオの組み立て方とかが、めっちゃおしゃれだなと(笑)。

KOHKI おしゃれなんですか!?

フジイ 褒め言葉にもなってないかもだけど(笑)。

KOHKI いやいやいや……うれしいですよ(笑)! おしゃれだととらえてくれたんですね。面白いです。

KOHKIさんはパンク/ハードコアの一面もありつつ、カントリーもブルースも弾けるマルチなギタリストですよね。どういう音楽を聴いて育ってきたんですか?

KOHKI 小学生の時、ロックの入りはBOØWYですね。中学からはLAUGHIN’ NOSEやTHE BLUE HEARTSを聴くようになって。特にLAUGHIN’ NOSEのファンになって、NAOKIさんのコピーばっかりしてました。BOØWYは難しすぎて。

そうなんですね。フジケンさんとKOHKIさんは年齢が少し離れているということで。

KOHKI そうですね。西片(明人/サウンド・エンジニア、PAチーム・SPC peakperformance代表)と同じですか?

フジイ その1個下かな。

KOHKI じゃあ6個上ですね。

世代的には少しズレているんですかね。フジケンさんはどんな音楽を聴いていました?

フジイ 僕はフォーク・ブームの時代で、吉田拓郎さんとかのフォークを聴いていましたね。それから親戚の家にあったビートルズとかローリング・ストーンズとかのレコードを聴いてたかな。

それからギターにのめり込んでいくキッカケは?

フジイ KOHKI君はBOØWYって言ってたけど、やっぱりBOØWYも輝いていましたし、その当時はTHE STREET SLIDERSとかARBとか、カッコ良い日本のバンドがいっぱいいて。RCサクセションとかも聴いてましたね。

BRAHMANの「不倶戴天」という楽曲のソロに3連のカッティングがあるのですが、KOHKIさんはそこを“広島カッティング”と呼んでいましたよね。

KOHKI あれをやった時に、TOSHI-LOW君から“藤井一彦さんとか、フジケンさんとか、広島出身の人ってカッティングする流れがある”みたいなことを聞いて。たしかに印象的なんですよね。

フジイ いや、BRAHMANにもバキバキにカッティングあるじゃん(笑)!

KOHKI でも、フジケンさんのはカッティングでビートを刻むんじゃなくて、突発的に入るというか。

フジイ あぁ〜、それはたぶんパブロックの流れかなぁ。

KOHKI で、“広島カッティング”って言うらしいです(笑)。

フジケンさんも一彦さんも、近いものを感じるカッティングのサウンドですよね。あの切れ味が鋭い感じっていうのは、ほかのギタリストのプレイとは違うというか。

KOHKI “ズクツチャー! ズクツチャー!”っていう3連っぽいやつですね。

フジイ でもさ、KOHKI君は「BAD FEELING」が天才的に上手いよね。

KOHKIさんがフジケンさんの前で「BAD FEELING」を弾いたんですか(笑)?

フジイ いや、ネットに上がってる映像を観て。

KOHKI 恥ずかしい(笑)。

フジイ これ以上完璧に「BAD FEELING」のフレーズ弾いてる人って見たことなくて。

KOHKI そうですかね? 今はいるんじゃないですか?

フジイ いや〜、あれはすごいと思ったな。

KOHKI 中学生の時に、あれが弾けるヤツが偉いみたいな風潮があったんですよ(笑)。それで練習したんですよね。

フジイ あれ、けっこう難易度が高いよね?

KOHKI 難易度っていうか、布袋さんの癖ですよね。技術的にそんなに難しいことはやってないんですけど、空ピックの微妙なニュアンスとか、休符の入れどころみたいな、そういうところなんでしょうね。

フジイ パッと一聴して、誰もがコピーしたくなるような華があるよね、あのフレーズはね。

“一旗揚げるぞ!”みたいのはなかったですけど、
バンドがやりたかったんですよね。
──KOHKI

フジケンさんはカッティングの練習はしていたんですか?

フジイ いや、何かをコピーしたっていうのは、あんまりないかなぁ……。でも、やっぱりドクター・フィールグッドとかは好きでしたね。

KOHKIさんはパブロックは?

KOHKI そんなに詳しくないですね。初期パンクは好きですけどね。やっぱり田舎だったんで、あんまり情報が入ってこなかったんですよ。

なるほど(笑)。出身は和歌山ですよね?

KOHKI 和歌山のド田舎なので。

フジイ 和歌山!? じゃあメンバーのみんなとは違うんだね。

KOHKI 違いますね。ドラムとベースが長野の松本なんですよ。TOSHI-LOW君は茨城の水戸で。

フジケンさんの地元の福山はブルースが盛んな土地だと、以前のインタビューでおっしゃっていましたよね?

フジイ ブルース喫茶みたいな、レコードが棚にたくさん置いてある店があって、たまり場みたいな感じになってて。そこで色々レコードを聴かせてくれたりしていましたね。

KOHKI それって高校の時くらいですか?

フジイ そうそう。

KOHKI 良い環境ですね〜。うらやましいな(笑)。

当時の地方だと、音楽のトレンドを追うのも大変だったのでは?

KOHKI そのわりには、僕はけっこう追求しているほうでしたけどね(笑)。田舎者のわりにはアンテナ張ってがんばっていました。

フジケンさんはどうやって音楽の情報収集を?

フジイ いや〜、全然。だから東京に出てきてからですよ。輸入盤のレコードを買いに行けたし。それまでは友達からテープをダビングさせてもらったりだとか、ブルース喫茶のマスターに借りたりだとか、そんな感じでしたね。

上京したタイミングって?

KOHKI 僕は19歳ですね。

フジケンさんも?

フジイ うん。

そして音響の専門学校に入学するんですよね?

フジイ そう。

KOHKI あ、僕もです。でも一週間くらいですぐに辞めちゃうんで。

フジイ 卒業しなかったの?

KOHKI はい(笑)。え、しました?

フジイ したよ。

KOHKI 偉いですね。どこの専門学校ですか?

フジイ 西やんと一緒。

KOHKI あ、じゃあ僕とも同じです。

フジイ ……嘘!? 後輩だ〜! 超後輩だ〜(笑)! でも、一週間しか行ってないんでしょ(笑)? そこで僕は西やんと知り合ったかな。

KOHKI そうなんですか!

まさかの事実が(笑)!

フジイ やっぱり東京に行くためにはどっかの学校に入らないと。東京に出てプロになるっていう、そんな粋狂なヤツはいなかったですよ。進学っていう目的が必要だったんでね。

そうですよね。KOHKIさんもミュージシャンになるために?

KOHKI “一旗揚げるぞ!”みたいのはなかったですけど、バンドがやりたかったんですよね。

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