ジュリアン・レイジの初来日は2005年、彼が参加したゲイリー・バートン主宰のアルバム『Next Generations』のツアー・メンバーとしてだった。そして、音楽ライターの石沢功治氏が当時17歳のジュリアンにインタビューを行なっていた。その貴重な取材テープを本特集のために掘り起こしてくれたので、特別にお届けしよう。ジャズ・ギターの急先鋒となったジュリアンの、初々しい日本初インタビューをご堪能あれ!
取材/文=石沢功治 通訳=坂本信 Photo by Hiroyuki Ito/Getty Images(写真は2006年4月12日にN.Y.バードランド・ジャズ・クラブで行なった、ニュー・ジェネレーション・バンドでの演奏の模様)
ジャズ・ヴィブラフォン奏者の第一人者ゲイリー・バートンが、ジュリアンを世に出したいがために制作した『Generations』(2003年9月録音)。この作品が2004年にリリースされるや否や、弱冠15歳の少年は一躍ジャズ界に知れ渡る。そして、ゲイリーが有望な若手ばかりを起用して2004年に録音した、続く『Next Generations』が2005年にリリースされると、同年8月にアルバムを引っ提げたゲイリー・バートン・グループの一員として、ジュリアンは初来日を果たす。それは、当時ジュニア・カレッジに通っていた17歳の天才のベールが、遂に剥がされる時でもあった。
僕にとってはずせないのがスティーヴ・キモックです。
出身はカリフォルニアのベイエリアだそうですね。
はい、生まれたのはソノマ群のリンというところで、育ったのは郡庁都市のサンタローザです。
ギターを始めたきっかけは?
父が趣味でギターを弾いていて、4歳の時に興味を示したんです。ですが、“まだ早いからもう少し大きくなってから”と言われて、5歳の時に両親がストラト・タイプのギターを買ってくれたんです。
えっ、それでも5歳ですか(笑)。最初はどういった音楽を?
スティーヴィー・レイ・ヴォーン、ジョン・リー・フッカー、B.B.キングなど、ブルースに夢中でしたね。あと、7歳の時にサンフランシスコ音楽院でクラシック・ギターを1年ほど習ったんですが、自分にはあまり向いてないと感じました。
ジャズへ傾倒していったのはいつ頃ですか?
7歳から8歳にかけて、ベイエリアで活躍するギタリストのクリス・ピエメンテリに最初に習ったんですが、その時に彼からジャズ・ギターの手ほどきを受けたのがきっかけでした。それでクリスから、“もっとジャズを勉強するといいよ”と、彼の先生だったランディ・ヴィンセントを紹介してもらったんです。
色んな人からジャズのレッスンを受けていたんですか?
ランディから習った期間が一番長くて、8歳から14歳まででした。その間にはジョー・ディオリオのレッスンを数ヵ月間受けたりもしましたね(注:2009年に再来日した際に再びインタビューをした際は、15歳までに1〜2回の単発レッスンも含めて、ほかにもタック・アンドレスなど総勢14~15人からレッスンを受けたと語っていた)。
ジャズ・ギタリストで影響を受けた人というと誰が挙がりますか?
うーん、たくさんいるので難しいですね。今ざっと思いつく限りですけど、まずジム・ホール。それからウェス・モンゴメリー、チャーリー・クリスチャン、ジャンゴ・ラインハルト、グラント・グリーン。もちろんパット・メセニーやカート・ローゼウィンケル、ほかにはカウント・ベイシー楽団のフレディ・グリーンのリズム・プレイも。あと、トラディショナルなジャズじゃないですけど、僕にとってはずせないのがスティーヴ・キモックです。彼からもレッスンを受けてますし、とにかく大きな影響を受けました。
そういったジャズマンたちのプレイはコピーはしますか?
やります。譜面には書かないですけど。音楽好きの父はブルース、ジャズ、ボサノヴァ、クラシックなど様々なジャンルのレコードを持っていて、幼少の頃からいろいろな音楽を耳にしていました。そんな両親の影響からか、僕は5人兄弟の末っ子(兄が1人、姉が3人)なんですが、兄や姉も芸術系、デザインだったりペインティングだったり、あと小説家志望だったりするんです。音楽は僕だけなんですけどね。で、話をコピーに戻すと、ジャズに関しても、ジョン・コルトレーンやマイルス・デイヴィス、ソニー・ロリンズ、ウィントン・ケリー、キース・ジャレット、ビル・エヴァンスなどたくさんのレコードがあったので、そういったギター以外のレジェンドたちもよくコピーしました。
例えばピアノの場合は、フレーズのトップノートをコピーするんですか?
大抵はそうですね。レコードと合わせて弾いたりしているうちに、気になる左手のハーモニーがあったら、どんな和音構造になっているかを探ったりして、双方の関連性に意識を向けたりもします。
僕のプレイを観たゲイリー・バートンから、
後日“自分のグループに入らないか”と手紙が届いたんです。
8歳の時にはカルロス・サンタナと共演していますが、これはどういった経緯だったんですか?
7歳の頃、父とカリフォルニア州コンコードにあるパビリオンに、サンタナのコンサートを観に行ったんです。その時に楽屋に入ることができて、彼の前でほんの少し、5分くらいかな、ギターを弾いてみせたんですよ。そうしたら、“今夜のコンサートで一緒に演奏しようよ”と誘ってくれて。コンコード・パビリオンは2,000人ほど入る円形型の劇場で、あまりに突然のことだったので、気おくれして、無理ですって断ったんですよ(笑)。そしたら“来年もここで演るからまたおいで”と言ってくれて、翌年のステージの途中で彼に呼ばれて、一緒にプレイしたんです。
初来日となった今回は、あなたを見出したゲイリー・バートンのグループの一員としてですが、彼とはどうやって知り合ったんですか?
12歳の時に、グラミー賞の授賞式の中にアトラクションのコーナーがあって、そこでギターを弾いたんです。その授賞式にゲイリーが来ていて、僕のプレイを観た彼から、後日“自分のグループに入らないか”と手紙が届いたんです。で、1ヵ月後にギグに誘われて初めてプレイしました。そうそう、その時ハービー・ハンコックが客席にいて、飛び入りで参加してくれたんです。結果、ハービーとも初共演することができました。
それからゲイリー・バートンのグループに参加したわけですね。
いいえ。学校があったので、ゲイリーとは14歳くらいまでは年に1回か2回くらいしか一緒に演奏することはなくて、本格的に参加したのは15歳になってからですね。僕をジャズ界に紹介したいというゲイリーの意向で制作してくれた『Generations』(2003年9月録音)を機に、ゲイリーのグループでツアーしたりする機会が増えていきました。あと、13歳、いや14歳だったかな、アリ・アクバル音楽大学(インドのサロード奏者の巨匠アリ・アクバル・カーンが1967年にカリフォルニアに創設)で、短期間でしたがシタールとタブラを習ったりもしました。