圧倒的な完成度の2ndアルバム『ホリディ』だったが、思った以上にセールスが伸びず、センチメンタル・シティ・ロマンスはレコード会社から契約を切られてしまった。それを受けて制作された3rdアルバムに収録されたのは、歌心あふれる名曲たちだった。告井延隆インタビュー三部作、ラストは『シティ・マジック』について語ってもらおう。
取材=河原賢一郎
『シティ・マジック』
1976年/CBSソニー
収録曲
1 ハイウェイ・ソング
2 夏の日の思い出(ダンシング・ミュージック)
3 僕だけのメロディー
4 ステキッス・キップ
5 カモン・ベイブ
6 雨はいつか
7 ポテトチップスかじるすりる
8 ムーンライト・バス
それまで以上に“歌える”ポップスさを増した粒揃いの名曲が並ぶ傑作3rd
アルバム・タイトルの「シティ・マジック」は実在していた喫茶店の名前で、名古屋・本山の交差点から、名古屋大学方面へとのぼっていく坂道の途中にあった(告井の自宅が目の前だったらしい。裏ジャケに写真あり)。センチメンタル・ファミリーの拠点のひとつであり、いつも素敵な音楽が流れる場所だった。
このアルバムを機に、CBS/Sonyを離れキティ・レコードに移籍、その第一弾の作品となったのが77年に発表された『シティ・マジック』だ。旅の日々を歌い込んだロード・ソング「ハイウェイ・ソング」から始まり、バンドの代表曲であり何度となく演奏された「雨はいつか」など、名曲の多いアルバムだ。デビュー時からの快活な西海岸サウンドは健在だが、そこに極上のポップさが付け加えられている。まさに熟成された音であり、それが作品を傑作へと押しあげている。
若干のメンバー・チェンジがあり、ベースがウィンドウペインにいた久田潔に変わっている。ドラムスも初代の田中毅から今瀬満を経て、三代目の野口明彦にチェンジしているのだが、野口は元シュガー・ベイブのドラマー。久田と野口のコンビだが、もっともセンチメンタル・シティ・ロマンスらしいリズム隊だと評価する声も多い。
(小川真一)
告井延隆 特別インタビュー
三部作秘話 PART3
中野というギタリストは、自分のフレーズを弾いていた。
ちなみにお二人の使用機材は?
中野は1枚目は全部テレキャスターで、2枚目からはずっと同じストラトでしたね。僕は3枚目までは、ほとんどファイヤーバードです。
なぜファイヤーバードを?
22~23歳の頃に、初めて沖縄に行った時に質屋で売ってたからです。
(笑)。
4万円で売ってたんですよ、ただ、それだけです。その頃、アメリカの楽器は20万近くしたから、とても買えるもんじゃなかったんですけど、米軍基地のゲートの前にね、質屋が並んでるんですよ。そこで買ってきたんです。確か加藤登紀子の仕事で沖縄に行ってたんですけどね。それが74年くらいかな。だから、1stをレコーディングするちょっと前くらい。それから3rd辺りまで、それをずっと使ってましたもんね。あ、でも3rdはアメリカで買ったP-90が3つ付いてるファイヤーバードですね。
ファイヤーバードが元々好きだったんですか?
初めがそうだと、そうなっちゃうもんですよ。
当時、エフェクターは何か使っていましたか?
3枚目くらいまではね、レコーディングでもディストーションは一切使ってないんです。ツイン・リバーブのマスターボリュームの付いていない、音量を上げるとすぐ歪むやつがあるでしょ? 全部あれをフルにして録ったの。ボリュームを5以上にすると音がだいぶ潰れるから、それにMXRのダイナコンプをフルでかけてやると音が伸びて、ちょっとディストーションに近いんだけどクリアなサウンドになるんです。3枚目まではお互いにそうやってましたね。
そして3rdアルバムの話ですが、1st、2ndに比べるとよりメロウさやポップさが強くなりますね。
そうなんですね。とはいえ2ndがレコード会社に評価されなかったことをどこかで引きずっていて。だから、もし2枚目が売れていたら、3枚目はこうなってません。もっとプログレッシブになってたかもしれないね。
3rdはポップな感じでやろうという共通認識があった?
そういうミーティングをしたことは一切ないんですけどね。ロックらしいソロは1曲目の「ハイウェイ・ソング」くらいかな。3枚目はよく考えたら、8曲しか入ってないんですよね。なぜかというと、あれ以上、曲がなかったから(笑)。
曲数は少なくとも、「夏の日の思い出」のような大名曲も収録されています。
あれは全日空のコマーシャルのために作った曲なんですよ。キャッチコピーだけが送られてきて、それに曲を作ると。ちょうどその頃は名古屋の練習場にいまして、ものの1分で作った曲ですね(笑)。手間暇もかかってない曲です、あれは。
そうだったんですか(笑)。特に思い入れの深い曲は?
初めて“お客さんと歌える曲が欲しい”と思って、それで作ったのが、「雨はいつか」なんです。あれなら皆でシングアウトができるなと。その意識もそれまでとは違いますよね。ロックでそんなこと考えないしょ(笑)。
サウンド重視ですしね。
うん、それは大きな変革だったと思います。全然考え方が違いますから。
また、「ポテトチップスかじるすりる」は、1stや2ndにはないタイプの新しい曲調ですよね。ちょっと80年代のサウンドが見えてきているかなと。
そう、あれはスティーリー・ダンの影響ですね。あの当時、他の日本のバンドで、あんまことをやってる人はいなかったんじゃないかなと思いますよ。
77年でこのサウンドは、相当早かったように思います。
そうかもしれないですね。
それでは最後になりますが、今回は中野督夫の追悼企画でもあります。改めて、告井さんから見た中野さんというギタリストはどんなプレイヤーでしたか?
中野というプレイヤーはですね、自分のフレーズをちゃんと弾く人だった。コピーなんかやらせても上手くはないけど、自分のフレーズを作って弾いていましたよ。だから、別のギタリストに来てほしいなと思ったことは一度もないです。一種、はっぴいえんどの鈴木茂のようなタイプじゃないですか。茂君はもっと上手いけどさ(笑)、中野は下手でもそういうことをやってたから。自分のフレーズを弾けるという意味では、音楽的に優れていたんでしょう。音楽をやる上で、一番大事なことはそこですからね。それさえあればちゃんと音楽になるし、それがないと、いくら上手くとも音楽にならないわけですからね。
*ギター・マガジン2021年10月号には、本記事に加え、センチメンタル・シティ・ロマンス三部作のギター・フレーズ分析も掲載しています。
ギター・マガジン2021年10月号
●川谷絵音
●センチメンタル・シティ・ロマンス三部作物語
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