奇跡のグレッチ6120がつないだTAKESHIとランディ・バックマンの縁 奇跡のグレッチ6120がつないだTAKESHIとランディ・バックマンの縁

奇跡のグレッチ6120がつないだTAKESHIとランディ・バックマンの縁

ソングライター/ミュージシャンのTAKESHIとカナダの伝説的ギタリスト、ランディ・バックマンは、奇跡のグレッチ6120によって深いつながりができた。

バックマンは1977年に紛失したグレッチを忘れることができず、何十年もにわたり捜索を続け、最終的にはグレッチのギターを385本収集し、本家のグレッチ・ファミリーとも交流を持つようになった。このグレッチがどのような経緯で日本に辿りついたのかわはわからないが、東京の楽器店で正規に入手したのがTAKESHIだった。

TAKESHIが投稿した映像にバックマンが気づき、TAKESHIの好意により、長き旅路を経たグレッチはバックマンの手元に戻る運びとなった。2022年7月にカナダ大使館にて交換会が行なわれるというこのグレッチにまつわる奇跡のドラマを、TAKESHI本人に語ってもらった。

取材/文=菊池真平 写真=星野俊

TAKESHIとGretch 6120

グレッチは弾き損じもカッコ良く響いてくれる。作曲する時もイメージが湧きやすくて、凄く助けてもらっています。

ギターを始めたきっかけは?

 中学校1年から2年になる休みのタイミングでギターを弾き始めました。ギターを買った理由は、ギタリストを目指したわけではなく、作曲家になりたかったから。だから“作曲をするツール”としてのギターが欲しかったんです。ピアノで作るより、ギターをかき鳴らして曲を作るほうがイメージできたというか。

なるほど。ではグレッチのギターと出会ったのは?

 たしか18歳くらいの時に、1本目のグレッチをローンで買いました。それは新品のカントリー・ジェントルマン。このグレッチで関ジャニ∞の曲とか、たくさん作曲しましたね。それこそ、ロカビリー調の「急☆上☆Show!!」とか。あと自分の中でロカビリー・シリーズと思っている曲があり、それらは全部グレッチですね。やっぱりロカビリー調の曲をグレッチで弾くと、テンションが上がります。

ロカビリーには興味が?

 そこは微妙かな。凄く好きというわけでもなく。ただシャッフル調の曲をレス・ポールで弾いてうまくいかない時でも、グレッチだとすんなりハマる。その感覚が好きで。何となくグレッチを持つと、ロカビリーっぽく弾きたくなる(笑)。

たしかに(笑)。作曲もグレッチからインスピレーションを受けているのですね。

 かなり影響がありますね。それから、コードを弾きながらベース・ラインを動かすとか、そういうプレイをする時にグレッチの音色が合って。いい意味でグレッチは弾き損じもカッコ良く響いてくれる。その点が歌いながら弾く時には楽だったり、作曲する時もイメージが湧きやすくて、凄く助けてもらっています。

万能なギターとは言えないグレッチを、若い時に選ぶ人はそれほど多くないですよね。

 たしかに。ただグレッチを買った当時は、ギターのことをあまり知らなかったので、どんなギターなのかもわかってなくて。うまく弾けないのは、自分がヘタだからって思っていましたね(笑)。癖がある楽器だと知ったのは、ギターを手にしてからです。

プロとして活躍し始めても、常にグレッチのギターが側にあったわけですね。

 いつも支えてもらっています。ただ、ほかのエレキで作る曲、アコギで作る曲、それからグレッチで作る曲は分かれるので、全曲がグレッチではないですね。よく気分転換をしたい時には、グレッチを手にします。気分転換って、作曲家にとってとても大切なことで、それによって歌詞のイメージが生まれたりするんです。作詞は凄く大事にしているので、グレッチが歌詞のイメージを運んで来てくれたりもします。その点も助かっています。

この57年製の6120を弾いたら、ポップスとか広いスタイルで使えそうな鳴り方で、 “これは、俺のギターだ”って、すんなりと思えたんです。

なるほど。では、かつてランディ・バックマンの所有機だった、あの “6120”との出会いは?

1957年製Gretch 6120(正面)
ランディ・バックマンが紛失し、TAKESHIの手元へと渡った1957年製Gretch PX6120 Chet Atkins(正面)。
1957年製Gretch PX6120 Chet Atkins(背面)。

 カントリー・ジェントルマンを使って、グレッチの魅力に気づいて。そうなるとビンテージが欲しいなと。この6120を手に入れるまでは、ずっとビンテージのグレッチを探して。そうしたらある時、よく行くギター・ショップに1950年代の6120が3本も並んでいたんです。そういうタイミングって稀なんですよね。

 どんなに素晴らしいモデルでも、弾き比べてみないと、そのギターの本質がわからない。それで貴重なタイミングだったので、3本を並べて試奏させてもらいました。そうしたら、この6120が明らかに俺の好みで。ピックアップはシングルコイルのダイナソニックがマウントされていて、フィルタートロンよりも好みでしたね。

なかなか貴重な機会ですね。でも3本の中から、ランディが使っていた6120を知らずに選ぶとは凄い偶然ですね。

 たしかに、そうですよね。あと2本の6120は1959年製で。1本はトラ目が凄くて値段も高くて、それは購入するためのハードルが上がる(笑)。でも値段だけではなく、試奏しても思ったほど惹かれなかったんです。

 もう1本は、あまりトラ目が入っていなかったのですが、これも最初に弾いた59年製とあまり印象が変わらず、何となくイメージするグレッチの音でした。それはそれで良いギターですが、その後にこの57年製の6120を弾いたら、ポップスとか広いスタイルで使えそうな鳴り方で、グレッチ=ロカビリーみたいな感覚にとらわれることなく弾けると思えて。その時に、“これは、俺のギターだ”って、すんなりと思えたんです。それで購入しました。

このギターは、ファンの間から“ホーリー・グレイル(聖杯)”とも呼ばれるグレッチだからこそ、音色も特別なのかもしれないですね。TAKESHIさんは、どのような使い方を?

 最初は歪ませて使っていましたが、徐々にクリーン〜クランチのセッティングに変化していきました。基本はフロントとセンターだけ。状況に応じてフロントとセンターを使い分けていますが、それはその日の会場の感じで低音の出方とかを似た聴こえ方にしたくてですね。つまり今はこのギターで出したい音は1つです。そう感じさせてくれるギターです。

 もちろん作曲にも使っていますし、先日なんて俺のワンマン・ライブに演歌歌手の仁支川峰子さんが遊びに来て下さったので、これで演歌も演奏してぶっつけで歌っていただきました(笑)。少しジャジィな雰囲気でやりましたがそれも凄く良かった。昔はランディさんにロックを奏でられていたのに、盗まれて日本にやってきて峰子さんと演歌をやることになるとはホーリー・グレイルもびっくりしたでしょうね(笑)。

ランディさんが、“TAKESHIはこのギターを守るために生まれてきたんだ”って言ってくれて。それが嬉しくて。

たしかに、幅広く使える6120なんですね。では、ランディ・バックマンからTAKESHIさんにコンタクトがあったのは、いつ頃でしょうか?

 2年くらい前で、たしか3月か4月ですね。コロナが知られ始めたくらいの頃。最初Eメールを送ってくれたみたいですが気づけず、事務所に電話をかけてきてくれました。

初めてランディから話を聞いた時は、どう思いましたか?

 新手の詐欺だと思いました(笑)。

(笑)。

 当時、ランディ・バックマンさんのことをあまり知らなかったので。ただ、話していくうちに信頼できました。その後、彼のことを調べると、偉大なミュージシャンだということがわかって驚きました。例えば代表曲「アメリカン・ウーマン」もそうですし。この曲は、ずっとレニー・クラヴィッツのオリジナルだと思って聴いていましたからね。だから俺ら世代にとってのレニー・クラヴィッツは、レニー・クラヴィッツにとってランディー・バックマンさんで。そういう意味でも、凄くレジェンドだと思いました。

彼から6120を交換してほしいと言われて、どう思いましたか?

 正直な感想としては、驚きました。彼からは“大事に使ってくれよ”と言われると思っていたので(笑)。だから“交換して欲しい”という申し出があった時は、“ええっ!?”って。俺の中でも、このグレッチは唯一無二の存在になっていましたし、これがなくなってしまったら、同じようなギターを自分で探すことは難しいとわかっていましたから。この6120は、コンディションも凄く良かったので。

Webで最初に対面した時の印象は?

 最初は、凄く怖かったかな(笑)。たぶん、ランディさんも“コイツ、返してくれるの?”みたいに思っていたのかも。ただお話をさせていただいて、ミュージシャン同士だからわかり合えるというか。同じ年式のグレッチで交換するという話がまとまった後は、もう最高の笑顔でしたね(笑)。

400本近くグレッチを所有しているランディにとっても、この6120は特別な存在だったんですね。同年代のグレッチと交換するという話になった経緯は?

 ランディさんは、この6120が盗まれた年を正確には把握していなかったんです。45〜6年前くらいという話だったので、俺は“その当時に生まれました”と伝えました。そうしたらランディさんが、“TAKESHIはこのギターを守るために生まれてきたんだ”って言ってくれて。それが嬉しくて。

 そんな話を彼としていましたが、グレッチを返して欲しいとなかなか言い出し辛かったみたいで。そんな時に彼の義理の娘さんが日本人だったので、彼の意思を俺に伝えてくれて。その“6120を返して欲しいのだけど、何か条件はありますか?”という話になったんです。

なるほど。でもTAKESHIさんにとっても、大切なギターになっていたわけですよね?

TAKESHIとGretch 6120

 そうですね。でも、色々とお話をさせていただき、このギターには凄く重みがあり、ランディさんにとってとても大切なギターだということが凄く伝わってきたんです。それで、“これはランディさんが持っているべきギターだとわかりました”とお伝えしてもらいました。それに“俺が今ロックを演奏できているのも、ランディさんたちのような偉大なミュージシャンがいたおかげです”という話も伝えてもらいました。

 そうしたら、ランディさんも喜んでくれて、彼から“俺が以前にリンゴ・スターとバンド(リンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンド)を組んだ時に作ってもらった特別なストラトキャスターとか、ほかのグレッチと交換しないか?”と提案してくれたんです。

 その後もギターなどの色々な話をしていたら、俺がビンテージ・ギターも好きというのが伝わったみたいで、改めて彼から“この6120と同じ年代、同じようなコンディションのギターを見つけてくるから、それと交換してほしい”と提案してくれて。凄くわかり合えた気持ちになって、本当に嬉しかったですね。

 自分の力では、同じような6120とは、もう一生出会えないと思っていましたから。ただリンゴ・スターと共演した際に使ったストラトも、もちろん興味がありましたよ(笑)。

たしかに(笑)。交換してもらう6120も大切な1本になりそうですね。

 シリアルナンバーもこの6120に近いみたいで、大切にしたいと思っています。ただミュージシャンですので、作曲やライブでもガンガン使っていきますし、みんなにその音を聴いてもらいたいですね。

グレッチがつないだ縁が、音楽的な交流に発展すればお互いのファンも嬉しいですね。

 実はそういう話もあるんです。ランディさんは「盗まれたギター」という歌を作りたいらしく(笑)。“3番は日本語で歌詞を書いて、TAKESHIが歌ってくれ”って。構想では、1番をランディさんが歌い、その後に息子のタルさん、3番が俺と考えてくれているみたい。

同じ年代でシリアルも近い6120の音が、その曲の中で聴き比べができたらさらに面白そうですね。

 それは、面白そう。弾いてくれと言われれば、ぜひ弾かせてもらいたい。

今回のお話をうかがって、改めてこんな奇跡があるんだと思いました。

 ビンテージ・ギターを買うと、どんなミュージシャンが使ってきたのかなとか、色々と想像することがあって。でも、実際に元の持ち主と会えることなんて奇跡ですよね。これもランディ・バックマンさんがずっと探し続けていたからですし、ファンの力も大きかったと思います。それに偶然、息子さんの奥さんが日本人だったことも運命的でした。彼女が俺のことを色々とランディさんに伝えてくれたことで、一緒に演奏しようみたいな話にもつながりましたからね。グレッチの6120が紡いでくれた、この縁をずっと大切にしていきたいと思っています。

ランディが言うように、TAKESHIさんはこの6120を守る運命だったのかもしれないですね。

 そうだと嬉しいですし、とても光栄なことだと思っています。

改めて奇跡のグレッチをご覧あれ!

1957 Gretsch PX6120 Chet Atkins

ランディ・バックマンのファンからは、“ホーリー・グレイル(聖杯)”と呼ばれる1957年製の“PX6120チェットアトキンス・ホロウ・ボディ”。6120と言えば、ブライアン・セッツァーの愛器として広く知られるが、モデル名のとおり、のちのギタリストに多大な影響を与えたギタリスト、チェット・アトキンスのシグネチャー・モデルだ。

発売は1954年だが、50年代は少しずつ仕様が変わっていく。この特別なPX6120を見ていこう。

まずヘッドには、ウェイバリー製のオープン・バック・チューナーが取り付けられている。指板はローズウッド製で、まだ0フレットはない。56年頃まで見られたポジション・マークのウェスタン・モチーフはすでにプレーン。

またボディに“G”の焼印も入らなくなった。通称“Gアロー”と呼ばれるメタルのノブは、この年から使われ始めたもの。

“Gアロー”と呼ばれるメタル・ノブ。
“Gアロー”と呼ばれるメタル・ノブ。

音質的には、シングルコイルのダイナソニック・ピックアップ、ブラス製ナット&ストレート・バー・ブリッジ、ビグスビー・トゥルー・ビブラートなどが鳴りに特徴を生む。

ストレート・バー・ブリッジとビグスビー・トゥルー・ビブラート。

美しい塗装は薄く、特徴的な木目が透けて見えるため、ランディの元所有機と判別できたという。盗難品とは思えないほどコンディションも良く、前オーナーに大切にされたあとにTAKESHIの元へとたどり着いたのだろう。まさに奇跡の6120と言える。

6120をモチーフに作られた特注のオーバードライブ。これは“Pedal Works ENDROLL”を主催する山口(隆)氏が協力し、 TAKESHIがランディにプレゼントするために作ってもらったもの。交換式の日付や名前が入れられている。
クリスマス・プレゼントとしてランディから送られたという革製のストラップ。ウェスタン・モチーフ柄が型押しされた50年代のストラップをリイシューしたものだろう。PX6120にベスト・マッチするデザインだ。

Profile

TAKESHI

 作詞家/作曲家/アレンジャーとして幅広く活躍。都内ライブハウスで活動中バンドの楽曲が注目されて、嵐の「HORIZON」で作詞家としてそのキャリアをスタート。TOKIO、嵐、関ジャニ∞など数多くのアーティストに楽曲を提供。TOKIOの「花唄」(第53回NHK紅白歌合戦で歌唱)、嵐の「言葉より大切なもの」などジャニーズファンの枠をこえたヒット曲多数。2016年には韓国での音楽プロデュースが認められて「大韓民国文化芸能大賞」を受賞。自身のバンド“TAKESHI & ketchup stampers”としても活動しながら、現在“TAKESHI”名義のソロライブ『TAKESHI et Rendez-vous』を精力的に行なっている。


ランディ・バックマン

 カナダで結成されたゲス・フーのギタリスト。代表曲の1970年作の「アメリカン・ウーマン」はレニー・クラヴィッツのカバーでも有名。ゲス・フー脱退後はバックマン・ターナー・オーヴァードライヴとしても活躍。グレッチを中心とするビンテージ・ギター・コレクターとしても知られている。1977年に紛失したグレッチ6120を長年捜索し続け、ギターの木目とラッカーのラインを顔認識ソフトにかけたところ、東京でこのギターを入手したTAKESHIのYou Tube映像がたまたまヒット。バックマン側より同年代のグレッチ6120との交換という提案があり、TAKESHIは快く快諾。奇跡の6120は、45年以上たって本人も元に戻ることとなった。多くのネットニュースになったほか、ドキュメント映像も制作中という。