バブリーでキラキラしたシティ・ポップが氾濫した80年代、日本のプロデューサーたちは“本場のサウンド”を求め、次々と凄腕の海外ミュージシャンをレコーディングに招いていった。ポール・ジャクソンJr.、マイケル・ランドウ、バジー・フェイトン……ここではそんな名ギタリストによるプレイが収録されたアルバムを紹介していこう。
選盤・文:金澤寿和
※本記事はギター・マガジン2021年1月号の特集『シティ・ポップを彩ったカッティング・ギターの名手たち~真夜中のファンキー・キラー編~』の一部を抜粋・再編集したものです。
目次
- 竹内まりや『Miss M』(1980年)
- 尾崎亜美『HOT BABY』(1981年)
- 南佳孝『Seventh Avenue South』(1982年)
- 芳野藤丸『Romantic Guys』(1983年)
- 松原みき『Myself』(1982年)
- 大橋純子『POINT ZERO』(1983年)
- 角松敏生『WEEKEND FLY TO THE SUN』(1982年)
- 角松敏生『REASONS FOR THOUSAND LOVERS』(1989年)
- 杏里『COOOL』(1984年)
- EPO『うわさになりたい』(1982年)
- 黒住憲五『PILLOW TALK』(1989年)
- ERI『RING MY BELL』(1987年)
- 当山ひとみ『JUST CALL ME PENNY』(1981年)
- 鈴木義之『I’m In Love~愛のとりこ』(1982年)
- サーカス『Wonderful Music』(1980年)
- 河合奈保子『Daydream Coast』(1984年)
- 山下憂『GLOOMY』(1989年)
竹内まりや『Miss M』(1980年)
エアプレイ系プレイヤーの録音
竹内まりやの4thアルバムは、アナログA面の5曲が当時脚光を浴びていたエアプレイ周辺の敏腕ミュージシャンによるLA録音。デヴィッド・フォスターとジェイ・グレイドンを中心に、ジェフ・ポーカロ、スティーヴ・ルカサー、デヴィッド・ハンゲイト、ビル・チャンプリンらが参加。曲作りではのちの夫君、山下達郎が2曲書いている。Superflyもカバーした「Sweetest Music」のジェイのソロがスリリング。
尾崎亜美『HOT BABY』(1981年)
本家TOTO級の破壊力!
2作連続でデヴィッド・フォスターとコラボして世間を唖然とさせた亜美嬢の81年LA盤。グレイドン&ルカサーのギター・コンビに、ジェフ・ポーカロ、トム・スコットらも参加し、勢いにあふれたハジけるようなセッションを展開している。とりわけルークとジェフの暴れ方はTOTO級で、数多い彼らの日本セッションでも一番の破壊力。次作『AIR KISS』はフォスターを東京へ招聘しての制作で、ギターはマイケル・ランドウだった。
南佳孝『Seventh Avenue South』(1982年)
デヴィッド・スピノザのいぶし銀
ニック・デカロがアレンジで貢献し、佳孝の代表作のひとつにも数えられるニューヨーク録音作。デヴィッド・サンボーン、マイク・マイニエリ、ラルフ・マクドナルド、トニー・レヴィン、リック・マロッタら豪華メンバーに囲まれ、デヴィッド・スピノザがいぶし銀のエレキ&アコギを披露する。名曲「SCOTCH AND RAIN」や「MOONLIGHT WHISPER」の艶っぽいギター・ソロなど聴きどころたくさん。
芳野藤丸『Romantic Guys』(1983年)
日米名ギタリスト、相打つ
83年の2ndソロ。9曲中5曲がLAレコーディングで、ロベン・フォード、ドン・グルーシン、エイブラハム・ラボリエル、ネイザン・イースト、イエロージャケッツのラッセル・フェランテらが参加している。ギター・ソロはロベンと藤丸のプレイが混在。“LAではロベンがいたので、オイシイところは彼に任せた”とは藤丸の弁。中にはロベンのソロ・フレーズを土台にして藤丸が弾き直したテイクもあるそうだ。
松原みき『Myself』(1982年)
ファンキー・フュージョン風味
「真夜中のドア」で彗星の如くデビューしたみき嬢の4作目は、モータウンから複数アルバムを出していたファンキー・フュージョン・バンド、ドクター・ストラットとコラボレート。前作『Cupid』で部分共演し、一緒にツアーも回った成果がこの日本録音盤に表われた。ギタリストのティム・ウェストンはスティーリー・ダン初期作にエンジニアとして関わった人で、のちにウィッシュフル・シンキングというバンドを立ち上げる。
大橋純子『POINT ZERO』(1983年)
再評価の機運高まるNY録音盤
ピュアな音楽ファンにとっての大橋純子は美乃屋セントラル・ステイション時代のはず。しかし海外における近年の80s和モノ・ブギー人気で評価が激変したのは、現地でニューヨーク・サウンドにまみれたこの作品だ。ギターはジョン・トロペイや若き日のチャック・ローブら。シンセ・ファンクとバンド・アンサンブルが混在するが、トロペイがナイル・ロジャース並みのカッティングをキメてるのがユニーク。デヴィッド・サンボーンも参加。
角松敏生『WEEKEND FLY TO THE SUN』(1982年)
角松、初の海外録音
80~90年代は海外録音が多く、ラリー・カールトンやデヴィッド・T.ウォーカー、マイケル・ランドウからナイル・ロジャース、ヴァーノン・リード、ビル・フリーゼルにいたるまで、幅広いギタリストと共演を重ねた角松。それは自らがギター弾きでもある彼のコダワリだが、その最初がLAで録ったこの2作目。あこがれのアル・アッケイ、ジノ・ヴァネリとの名演で有名なカルロス・リオスの参加が、当時はひときわ鮮烈だった。
角松敏生『REASONS FOR THOUSAND LOVERS』(1989年)
名手のギター・ソロを聴くべし!
角松のキャリア的にはザ・システムとの共演で記憶されるアルバムながら、本コーナーではジェイ・グレイドン、バジー・フェイトンのギター・ソロをフィーチャーした盤として。とりわけ「Moonlight Tokyo Bay」でのジェイのソロには、彼の十八番であるワイアー・クワイアーが登場する。ザ・システムが制作した曲にはポール・ペスコが参加。カールトン、バジー、ランドウの濃密プレイは91年『ALL IS VANITY』にて。
杏里『COOOL』(1984年)
角松敏生プロデュースのLA録音盤
「キャッツ・アイ」、「悲しみがとまらない」の連続ヒットを受けたLA録音。角松敏生の全面プロデュースで、ドン・グルーシン、レオン・チャンクラー、エド・グリーン、ネイザン・イースト、ジェリー・ヘイらが参加。ギターはポール・ジャクソンJr.とカルロス・リオス。若き角松も1曲弾いており、名手ジャクソンJr.の隣で堂々カッティングする姿に、現地スタッフが“イイ根性してる!”と驚いたというエピソードも。
EPO『うわさになりたい』(1982年)
レイ・パーカーJr.が提供した1曲に注目
すでに80年の2nd『Goodies』でLAとNY録音を経験していたEPO。その流れを汲んだ本作では、レイ・パーカーJr.が楽曲提供した1曲目「Girl In Me」に注目したい。レイはバンドの盟友ラリー・トルバートとともにレコーディングに参加。いかにも彼らしいシャープなリズム・ギターを披露している。タイミングが許すなら、この1曲だけでなくもう少し聴いてみたい共演だった。
黒住憲五『PILLOW TALK』(1989年)
LAの名プレイヤー大集合
J-AORの旗手、黒住憲五がLA録音した隠れ好盤。カリズマのキーボード奏者デヴィッド・ガーフィールドの制作下、ジェフ・ポーカロ、エイブラハム・ラボリエル、ネイザン・イースト、エリック・マリエンサルらを招集。ギターはマイケル・ランドウ、マイク・オニールを中心に、当時マドンナのツアー・バンドにいたジェイムス・ハラー、そしてルカサーやランドウの弟子筋であるテディ・カストリッチら若手が活躍している。
ERI『RING MY BELL』(1987年)
ランドウが弾く爽快な西海岸サウンド
2016年に急逝したERIこと菅井エリの第2作。新川博サウンド・プロデュースのもとLA録音が行なわれ、ジョン・ロビンソン、ネイザン・イースト、マイケル・ランドウ、トム・キーン、ジェリー・ヘイ・ホーンズらが爽快なウエストコースト・サウンドを提供する。今は空間的なプレイも聴かせるランドウだが、当時はポスト・スティーヴ・ルカサーまっしぐら。ドライブするナチュラル・ディストーションでのプレイが印象的。
当山ひとみ『JUST CALL ME PENNY』(1981年)
NY拠点の名セッション・グループと
沖縄で育った“ペニー”こと当山ひとみの81年デビュー・アルバムは、来日中だった24丁目バンドをスタジオに呼んでミディアム・ナンバー「RAINY DRIVER」と英詞曲「INSTANT POLAROID」をレコーディング。ハイラム・ブロックの軽やかなカッティングやサステインの効いたギター・ソロを楽しめる仕上がりとなった。リズム隊はウィル・リー&スティーヴ・ジョーダン。
ハイラム・ブロック
鈴木義之『I’m In Love~愛のとりこ』(1982年)
バジー・フェイトンのバンドが録音
“寺内タケシとバニース”出身の鈴木義之。来日中のラーセン・フェイトン・バンド(=フルムーン)とレコーディングしたソロ2作目で、バジー・フェイトンによるクリーン・トーンのギターが随所で活躍している。パーカッションはレニー・カストロ、マーク・ゴールデンバーグの提供曲もあり。出身が出身なだけにGSっぽい楽曲が多いのが惜しいが、1stにはTOTOのリズム隊が参加するなど、ミュージシャンに恵まれた人だった。
サーカス『Wonderful Music』(1980年)
コーラス・ワークを支える的確なプレイ
マイク・マイニエリにプロデュース&アレンジを委ねたニューヨーク制作盤。ギターはデヴィッド・スピノザとジェフ・ミロノフで、ブレッカー兄弟、クリス・パーカー、ドン・グロルニックらも参加している。冒頭「ミッドナイトフリーウェイ」の狙いはズバリ、マンハッタン・トランスファー。「マイアミドリーミング」や「鏡の街」も印象的な仕上がりだが、“マントラ流”の斬新さが前面に打ち出せたらもっと良くなったかも。
河合奈保子『Daydream Coast』(1984年)
アイドルらしからぬ本格派ポップ・ロック
ジェフ&マイク・ポーカロ、ビル・チャンプリン、ジョン・ロビンソン、ネイザン・イーストらとがっぷり四つに渡り合った、アイドルらしからぬポップ・ロックの好盤。さらにはデヴィッド・フォスターやピーター・セテラとのデュエット曲まで入っていてビックリ。ギターはマイケル・ランドウとポール・ジャクソンJr.。翌年作『NINE HALF』も再度のLAレコーディングで、洋楽ファンの度肝を抜いた。
山下憂『GLOOMY』(1989年)
デヴィッド・T.全面参加!
シティ・ポップ界隈で話題になることは少ないが、デヴィッド・T.ウォーカーのフリークには有名な男性SSWの89年デビュー作。アレンジやコ・プロデュースにもデヴィT御大が名を連ね、12曲9曲で彼の甘美なシグネチャー・プレイが堪能できる。ディーン・パークス、ジェフ・バクスター、チャールズ・フィアリング、ペイジスにいたチャールズ・イカルス・ジョンソンなど、ほかのギター勢も非常に豪華。
ギター・マガジン2021年1月号
『シティ・ポップを彩ったカッティング・ギターの名手たち~真夜中のファンキー・キラー編~』