ジェフ・ベックの過去インタビューから、印象的なトピックについて語った部分を抜き出してお届けする連載、『Jeff Beck Talked about…』。今回はヤードバーズ時代の追想。自身のキャリアのスタートであり、どん底でもあった時期の苦悩を語ってくれた。
This article is translated or reproduced from Guitarist #495 March 2023 and is copyright of or licensed by Future Publishing Limited, a Future plc group company, UK 2023. All rights reserved.
Interpretation by Tommy Morly Photo by Paul Natkin/WireImage/GettyImages Designed by Marina Ino
あの頃は俺のキャリアにおいて最も底辺にいた頃だった
この時期(ヤードバーズ時代)のことを話すことは俺も楽しくて、今でも記憶に新しいんだ。素晴らしい時間を過ごしたけど、残念なことに長くは続かなかった。
ヤードバーズは自分たちが思っていた以上にギターに依存していて、俺が辞めるまでそのことに気づいていなかった。もしくは俺が放り出されたって言うべきかもしれないけどね。
ノンストップで続いていたツアーだったり、なんの見返りも得られなかったパッケージ・ツアーに俺は嫌気が差していたんだ。
ほんのちょっとの金しか手に入れられなくて、体調まで壊してしまった時には“どうして俺はこんなことを週給60ポンドでやっているんだ?”と思ったね。イングランドのチャートで3回ほど成功を掴んでいたから“一体どうなっているんだ?”とも思っていたよ。
フランスにいた時に傷んだ魚に当たって食中毒になったんだ。ホテルで4日間も苦しんでいたんだけど、バンドのほかのメンバーはサントロペのナイトクラブに遊びに行っていたんだぜ?
その時俺は、頭痛があまりにもひどくて枕の位置を変えることすらできなかった。やっと治った頃、誰かに飛行機に乗せられてイングランドに戻り、どうやって戻ったのかわからないが家に辿り着いていた。そのあと俺はバンドからの連絡を待っていたのに、アイツらは俺抜きでオーストラリアに向かっていったんだよ。
俺はそれから身を隠すようになった。あの頃は俺のキャリアにおいて最も底辺にいた頃だったね。ただ、あるファンが俺が住んでいる場所を探し当てて、ソイツがかなり助けてくれた。
その時は強い痛み止めを処方されていたんだが、俺がコルヴェット(車)に乗っていくことに気づいたそのファンが、ドアをノックしてきて“あなたには運転できないよ、あまりにも容態が悪そうだ”と言ってきた。“一体お前は誰なんだ?”と俺は言い返すと、バンドがツアーに出発したというニュースの記事を見せながら“あなたはバスに乗っていかなきゃダメだ”と言い、俺の面倒を見てくれたんだ。
だけど俺はその時住んでいた場所も追い出され、実家に戻ったら戻ったで、母に“出て行きなさい。私たちだってあなたはこの家にいて欲しくないのよ!”と追い出された。どれだけ最悪な状態だったんだ?って話だ(笑)。
そこからしばらく経って状況は好転し、自分の名前でいくらかの成功を手にするようになった。1967年には「ハイ・ホー・シルヴァー・ライニング」と「タリーマン」というヒットを飛ばしたんだ。
──ジェフ・ベック(ギタリスト誌2009年夏)
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『ギター・マガジン・レイドバック Vol.12』
『ギター・マガジン・レイドバック Vol.12』に掲載された「追悼ジェフ・ベック」には、本記事の元となった『GUITARIST』誌の2009年夏号のインタビュー全文を収録。本記事で紹介した内容のほかに、ジミ・ヘンドリックスとの出会いやオックスブラッドのレス・ポールについてなどなど、貴重な話が語られている。
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