シティ・ポップを始めとする、良質な国産ポップスを彩った名手たちのギター名盤を紹介する連載『職人ギタリストで斬る名盤セレクション [邦人編]』。2人目は、シュガー・ベイブのギタリストとしても知られるほか、大滝詠一の諸作でも起用された“THE・職人”的なギタリスト、村松邦男だ。
文・選盤=金澤寿和
村松邦男(むらまつ・くにお)
シティ・ポップが世界的基準となる中、改めて注目が集まっているシュガー・ベイブのギタリスト、村松邦男。
自身が認めるように、決してテクニックをウリにする人ではないが、山下達郎、大貫妙子に次ぐ第3のキー・パーソンというより、独特のセンスでフロント2人を引き立てる名脇役として愛されてきた職人ミュージシャンだ。
故・大滝詠一がナイアガラ系作品でいつも彼をキャスティングし続けたのも、ほかのギター・プレイヤーには代え難い持ち味ゆえ。
特にソウル・ミュージックに影響された表情豊かなリズム・ワークは、ナイアガラ・サウンドの中でも独自のポジションを築いてきた。
シャネルス/ラッツ&スターのアレンジで注目されたのち、EPOや山本達彦、松田聖子らのアルバム・セッションやツアー・サポートに参加。スクーターズ、吉川晃司、山下久美子、早見優、テレサ・テンなどとの仕事でも名高い。
またアレンジやギターだけでなく、コーラス参加が少なくないのも、シュガー・ベイブ時代の名残りだろう。
シュガー・ベイブ『ソングス』 1975年
クリーン・トーンで弾き倒す、お手本のようなバッキング・プレイ
説明不要、シティ・ポップのマスターピースたる唯一作。
このアルバムが面白いところは、決してハイスキルではないメンバーたちによるガレージ・サウンドで構成されている点で、それを支えたのが村松と山下達郎によるリズム中心のギター・ワークと言える。
完成度の高い楽曲に難しいコード・ワークを乗せ、それをブルース色皆無、歪み要素ゼロのクリーン・トーンで弾き倒す。当時としては画期的なほどに研鑽されたセンスとトライ&エラーの積み重ねで技術不足をカバーしたのが素晴らしく、ポップ・ソングのギター・バッキングの手本のようなプレイが随所に散りばめられている。
ギター・マガジン2019年4月号掲載の、アルバム全曲本人解説も再チェックを。
大滝詠一『Go! Go! NIAGARA』 1976年
村松印のカッティング・ギターが冴えわたる
ナイアガラ・サウンドのギターの要は、リードの鈴木茂とリズム担当の村松邦男。
大滝がラジオ・パーソナリティを務めていたことから、それをコンセプトにこの3作目が作られた。
ここでは駒沢裕城がスティール・ギターを弾く以外は、すべて村松のプレイ。
セカンド・ライン風のビートにギター・カッティングが冴え渡る「あの子にご用心」、フォー・シーズンズ「恋のハリキリ・ボーイ」を下敷きに16ビートの裏でザクザクとビートを刻んでいく「針切り男」あたりに、村松らしいリズム・カッティングのエッセンスが強く現われている。
シリア・ポール『夢で逢えたら』 1977年
楽曲に寄り添った、的確なリズム・ワーク
ナイアガラ・レーベル初の女性シンガーとしてデビューした、シリア・ポールの唯一作。
大滝のオリジナル楽曲に邦洋織り混ぜてのカバー曲で構成され、ナイアガラ・トライアングルから山下達郎が歌っていた「ドリーミング・デイ」が選ばれている。
『Go! Go! NIAGARA』同様スティール・ギター以外はすべて村松がギターを弾いていて、楽曲に寄り添った的確なリズム・ワークがミソ。
大滝曰く、“私がスペクター・サウンドを目指したのは、『A LONG VACATION』ではなくコレ”だそうだが、エコーを強調したサウンド・メイクに反応し、微妙にギター・コードやトーンを変化させる工夫に満ちたプレイを聴いてほしい。
多羅尾伴内楽団『Vol.2』 1978年
王道サーフ・インストでのリード・プレイ
大滝詠一の変名プロジェクト“多羅尾伴内楽団”の2作目。
多羅尾はアレンジャーとしての別人格で、フィレス・レーベルのジャック・ニッチェを目指したとされる。
基本的に冬季の欧州インスト路線を狙った1作目に対し、Vol.2は王道サーフ・インスト。
駒沢裕城、白井良明、鈴木慶一らの名はあるが、メインのエレキはすべて村松で、これほどたっぷりリードを弾いているのはシュガー・ベイブ以来だ。ただし楽曲出典がマニアックで、当の村松が知るナンバーは僅かだったとか。
また当時の福生のスタジオにはエコーがなく、エコーを作る実験を重ねながらの録音だったいうエピソードも。
竹内まりや『PORTRAIT』 1981年
シュガー・ベイブや達郎バンドの仲間が集結
結婚休業直前に発表された5作目で、RCA最終作。
まりや自身と間もなく夫になる山下達郎に加え、大貫妙子や林哲司、安部恭弘、センチメンタル・シティ・ロマンスの告井延隆らが作編曲で参加。
そんな中、まりやが作詞、伊藤銀次が作編曲・デュエットの「Crying All Night Long」、大貫妙子提供「雨に消えたさよなら」に、シュガー・ベイブ仲間の上原ユカリや達郎バンドの伊藤広規とともに村松も参加。
前者ではシャキッと歯切れ良いカッティングでリズムを際立たせ、ワルツの後者では裏拍で耳に残るギターを刻んでいる。
EPO『VITAMIN E・P・O』 1983年
EPOバンドへの貢献も見逃せないキャリア
「う、ふ、ふ、ふ」、「土曜の夜はパラダイス」という2大ヒットを収めた4作目。
村松は前後作にも参加しているが、ここではマルチ・プレイヤーである清水信之をサウンド・プロデューサーに、村上ポンタ秀一など名手揃いの当時のツアー・バンドをそのまま起用。ほぼ全編で村松と清水がギターを弾く。
そのギターのプレイ詳細こそわからないが、相応のスキルを要するオブリやミュート・プレイ、キレ味鋭いコード・ワークなどは、おそらく村松の演奏だろう。
彼のギターを知るうえで、この時期のEPOバンドへの貢献は見逃せない。
円道一成『RUNTO LIVE, LIVE TO RUN』 1984年
ギタリストごとの個性を聴き比べ
オーティス・レディングやウィルソン・ピケット直系の和製R&Bシンガーが、山下達郎と同じRCA/AIRレーベルで発表した2作目(通算3作目)。
村松がメンフィス・ソウル張りのファンキー・チューン2曲を作編曲。そこで聴けるスティーヴ・クロッパーに通じるリズム・ギターは、村松当人に違いない(楽曲ごとのクレジットなし)。
加えて村松はソウル・バラードのアレンジも担当。
また達郎自身が2曲作編曲、当時達郎バンドにいた椎名和夫も3曲アレンジを受け持ち、それぞれギターを弾いたと思われる。
ほかに鳥山雄司の参加もあり、ギター陣の聴き比べが楽しめる1枚だ。
村松邦男『ROMAN』 1985年
多彩でパワー感のある2ndソロ・アルバム
村松は80年代中盤、徳間ジャパンに3枚のソロ作を残した。
コレはその2作目で、ソングライターとしてのショーケース的風情のあった1st『GREEN WATER』(1983年)に比べ、より多彩でパワー感のある作品になった。打ち込みも使い始めたが、ギターの存在がそれに負けていない。
ノッケからトゥワンギーなギターが飛び出す「愛してルミナス」、乾いたトーンで歌メロに絡む「Lover’s Party」、山本達彦に提供したものの録音されずじまいだった、ロマンティック・ミディアム「RAINY DAY」など、ギター・プレイにも聴きどころ盛りだくさん。
松本伊代『Private File』 1989年
ツイン・ギターが織りなす鉄壁のリズム・ワーク
81年にデビューした伊代ちゃん10作目。
86年に林哲司とコラボレイトして以降、大人びた哀愁ポップ路線を歩んでおり、これもその流れで作られた。
作曲陣に小西康陽、大江千里、KAN、崎谷健次郎、井上ヨシマサらが名を連ねる中、村松も宮原芽生と共作した「バビロン・ホテル」を作編曲。
つのだ☆ひろ率いるスペース・バンドや小坂忠&ウルトラ、もんた&ブラザーズのメンバーだった角田順とギターを弾き分け、L/Rで鉄壁なリズム・ワークをくり広げている。
コーラスも村松で、青山純&伊藤広規の達郎リズム・セクションが参加。
ザ・キングトーンズ『ソウル・メイツ』 1995年
ナイアガラ仕込みのツボを抑えたリズム・ワーク
スカイ・テナーと呼ばれた故・内田正人を擁したキングトーンズの、結成35周年盤にして実質的ラスト・アルバム。
もともと彼らに提供しようと書かれた「DOWN TOWN」のカバー、代名詞的ヒット曲「グッド・ナイト・ベイビー」のセルフ・リメイク、高野寛がリスペクトして書き下ろした名曲「夢の中で会えるでしょう」を含む7曲を、村松が編曲・プロデュース。
作曲陣にも根本要、大沢誉志幸、藤井尚之、松尾清憲らが名を連ねている。
特段ギターが目立つ作りではないが、楽曲に無理なく寄り添うナイアガラ仕込みのツボを抑えたリズム・ワークは一聴の価値あり。