連載:『Player』盛衰記 第41回|『Player』1977年10月号 連載:『Player』盛衰記 第41回|『Player』1977年10月号

連載:『Player』盛衰記 第41回|『Player』1977年10月号

2023年に惜しまれつつ休刊した音楽雑誌『Player』。楽器を扱う専門誌として『ギター・マガジン』とは良きライバル関係にあっただけに、その不在はやはり寂しい。音楽業界や楽器業界を盛り上げ、読者に大きな影響を与えたその偉大な55年に敬意を表して、元編集長の田中稔氏にその歴史を綴ってもらう。隔週更新。

文=田中 稔

第41回
『Player』1977年10月号

1970年代後半の『Player』は、どんどん編集内容が充実し、独創的な記事が増えていった。音楽雑誌としてはかなりマニアックな内容や、ハードウェアに関する連載記事や特集もさらに充実し、それが“『Player』らしい”と楽器好きの読者から好評を得た。増刷、増ページ、カラー・ページも大幅に増え、あのペラペラだった体裁は瞬く間に総ページは140ページを超えた。

今回は、そんな勢いがついた『1977年10月号』を中心に、当時の『Player』の編集内容を紹介しよう。

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10月号の目次。ジョニー・ウィンターとリック・デリンジャーのダブル・ヘッドライナーとして、目次には2人の写真が掲載されている。

『1977年10月号』の表紙を飾るのは、若き日のジョニー・ウィンター。ブルース系ギタリストが好きな人であれば、ジョニー・ウィンターの素晴らしさを今さら語る必要はないが、70年代後半の日本でジョニー・ウィンターを表紙にする音楽雑誌は『Player』くらいだった。

ジミー・ペイジやエリック・クラプトンが表紙になったかと思うと、ジョニー・ウィンターやジョン・マクラフリン、アル・ディ・メオラといったコアなギタリストをカバーにするところがいかにも『Player』らしい。

このインタビュー記事は、当時親しかった『GUITAR PLAYER』誌(USA)のリプリントだが、内容が面白い。「俺が飛ばされた何人かのギタリスト」というタイトルのインタビューで、彼が強く影響を受けたギタリストを10人挙げ、それぞれについて語っている。チャック・ベリー、ジミ・ヘンドリックス、エリック・クラプトン、B.B.キングあたりは大方予想がつくが、チェット・アトキンスやルーサー・ナレイというカントリー・ギタリストも挙げているのがとても興味深い。

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ジョニー・ウインターのインタビュー記事が日本の音楽雑誌に掲載されるのは極めて珍しい。しかもリック・デリンジャー付き。

巻頭は、ジョニー・ウィンターつながりで、リック・デリンジャーのインタビューを掲載。ジョニー・ウィンターの表紙であるにもかかわらず、巻頭はなぜかリック・デリンジャー。

ジョニーのインタビューは地味な2色の中ページだが、リックはカラー・ページというアンバランスさもいかにも『Player』らしい。インタビュー・ページに掲載されているライブ写真でリックが手にしているのはギブソンのエクスプローラーだが、なんとヘッドが幻のギター、モダーンの形状。写真がめちゃくちゃ気になる。

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ジョニー・ウィンターやエドガー・ウィンターの良き相棒役としても活動し、ジョニーのアルバム・プロデュースも行なっているリック・デリンジャーのインタビューを掲載。

この10月号には、『Player』のマニアックな一面を示す記事がもう1つ掲載されている。「クロスビー、スティルス & ナッシュ レコーディング・アゲイン」というタイトルの記事だ。

これはジェームス・ブラウン、ローリング・ストーンズ、エリック・クラプトン、オールマン・ブラザーズ・バンドなどのレコーディング・エンジニアとして知られる、ロン・アルバートとハワード・アルバート兄弟が手がけた1969年の名作『CS&N』のレコーディングにまつわるインタビュー記事である。

当時のレコーディングにおけるセッティング図も掲載し、どのようにレコーディングが進められたかをかなり具体的に2人が語っている。『Player』では、当時からレコーディング・エンジニアやギター製作家など、アーティスト以外の音楽・楽器職人にもスポットライトを当てていたが、それらもマニアックな記事として評価された。

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『CS&N』のレコーディング風景を、エンジニアのロンとハワード・アルバート兄弟が語った貴重なインタビューも掲載されている。

森園勝敏の後任として、佐藤ミツルを新メンバーに迎えた「四人囃子 レコーディング・レポート」。佐藤は当時まったくの未知数とも言える新人ギタリストで、彼が伝説のバンドの中でどんなレコーディングをしたのかが気になるところだ。1週間というタイトな期間でレコーディングされたアルバム『PRINTED JELLY』(1977年)だが、そのレコーディング風景を詳細にレポートしている。

スタジオという閉ざされた空間の中で行なわれた作業をありのままにレポートし、臨場感のある記事に仕上がっている。『Player』では、当時から有名アーティストのレコーディング・レポートも看板メニューの1つだった。

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佐藤ミツルを新メンバーに迎えた「四人囃子 レコーディング・レポート」。新人ギタリストの佐藤は何を語っているのか……。

『Player』は“ギター雑誌”というイメージを持っている人は多いが、実際は総合的なミュージシャン雑誌で、様々なジャンルの様々なプレイヤーが登場する。ロック系のミュージシャンだけではなく、ジャズ系からアコースティック系、和楽器奏者、時にはクラシックのプレイヤーが登場することもある。

10月号では、世界的なクラシック・パーカッション・プレイヤー/マルチ・ミュージシャンとして知られる、ツトム・ヤマシタのインタビューを掲載。名作『GO』(1976年)と『GO TOO』(1977年)にまつわる内容だが、ヤマシタ流の音楽哲学が語られている。インタビューの最後を締めくくるのは、“プロを目指すアマチュア・ミュージシャンに何かアドバイスをお願いします”という、お約束の質問だ。

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世界のツトム・ヤマシタのインタビュー。『Player』はロック・ギタリストだけではなく、あらゆるジャンルのプレイヤーの中から注目できるアーティストを探している。

『Player』名物の吾妻光良「ブルース・ギター講座」は、ギネス記録的な超ロング連載として広く知られているが、この講座が始まったのは1983年のこと。それまで吾妻光良は「スライド・ギター講座」を担当していて、「ブルース・ギター講座」はローラー・コースターの川口允が担当した。吾妻の天才ライターぶりは当時から有名で、「スライド・ギター講座」以外でも時々原稿をお願いしており、読者受けもすこぶる良かった。

この10月号では、「STROLLIN’ WITH BLUES」というブルース・ギタリスト特集の後半を掲載。50年近く前とは思えないほど、今とまったく変わらないあのフットワークの軽さと、笑いのツボを心得た天才的な原稿で、面白おかしく超マニアックなブルース・ギタリストを紹介している。

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「ブルース・ギター講座」を担当する以前から、吾妻光良はライターとしても天才的な才能を見せていた。その才能は今もまったく変わっていない。

今回『1977年10月号』を、もっとサラリと紹介するつもりだったが、読み返したら思いのほか面白く、次回も続いてこの号の“パート2”を紹介したい。

著者プロフィール

田中 稔(たなか・みのる)

1952年、東京生まれ。

1975年秋にプレイヤー・コーポレーション入社。広告営業部、編集部にて『Player』の制作を担当。以来編集長、発行人を経て1997年に代表取締役就任。以降も『Player』の制作、数々の別冊、ムック本を制作。48年間にわたり『Player』関連の仕事に深く関わった。

以後はフリーランスの編集者として活動し、2025年4月、クラプトンに魅せられた10人のE.C.マニアのクラプトン愛を綴った『NO ERIC, NO LIFE. エリックに捧げた僕らの人生.』(リットーミュージック発刊)を制作。2025年9月、電子マガジン「bhodhit magazine(バディットマガジン)」の名誉編集長に就任。

アコースティック・ギターとウクレレの演奏を趣味としている。


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『Player』盛衰記