大滝さんが気に入るギターの音は、
オールディで歪んでないもの。(村松邦男)
特に70年代中盤の話ですが、茂さんと村松さんってギター・サウンドやスタイル面で共通している部分を感じるんです。コンプレッサーを効かせたサウンドや、技巧ではなくメロディを聴かせるギター・ソロなど……。2人はルーツが近いようなところがあるのでしょうか?
村松 それもあるし、僕が茂さんの音に影響を受けた部分もありますね。先達が弾いている姿を見て、“ああ、そういうエフェクター使ってるんだ”とか気にしたり。
茂 みんな、そうやって覚えていくよね。僕も、はっぴいえんどの3枚目(『HAPPY END』)のレコーディングでアメリカに行った時にリトル・フィートを観て、ステージまで行ってさ。足下を見たら、Electro-HarmonixのBlack Fingerっていうコンプレッサーがあったから真似したり、ローウェル・ジョージ(リトル・フィート)がMXRのダイナ・コンプも使ってるらしいと知って入手したりね。あとは、コンプに関してはジム・メッシーナかな。
村松 そうだね。ジム・メッシーナは僕も参考にしまくったな。SUGAR BABEって、ディストーション禁止だったんですよ。そうなるとなおさらジム・メッシーナとか、茂さんのコンプの音にヒントを得ることになる。
茂 ああ、歪んだ音がダメだったんだ。
村松 そう。それで、僕はダイナ・コンプじゃなくて、当時出たばっかりのローランドのSustainer(AS-1)を買いましたね。“これだよ、これ”みたいなさ。
茂 はっぴいえんどもね、そんなハッキリした禁止令はなかったけど、いわゆるペダルで歪ませると、イヤ〜な顔をされるの(笑)。歪めば歪むほど、嫌な顔される。それで自然と使わなくなっていって、“もうコンプレッサーしか使えないな”って風になっていったんだよね。
そういった2人の音やスタイルが、大滝さんの好みに合ったということですよね。ご本人はジェームズ・バートンやジェリー・リードが好きだったそうですが、そういうギタリストの話をしたことはありますか?
茂 ザ・シャドウズのハンク・マーヴィンとかは好きだったかな? あとは、デュアン・エディみたいに、いわゆる低音弦がビーンと太く響くような音とか。それから、なんとなく高音がきれいに伸びるギターの音が好きだったような気がするんだけどな。大滝さんは。
村松 うん。大滝さんが気に入るギターの音って、やっぱりちょっと古いスタイルの歪んでないものだと思う。『NIAGARA MOON』のあとのコロムビア時代に、僕はリズム・ギターをひたすら録音させられたんですけど、“お前、これ聴け”って渡されたのがジェリー・リードだったんです。あの人もさほど歪ませないですよね。だから、歪ませてチョーキングするようなプレイは大滝さんの曲では合わない。
いわゆるブルース・ロック的なアプローチと言いますか。
村松 そうですね。ただ例外として、『A LONG VACATION』で僕が1曲だけリードを弾いた「我が心のピンボール」はディストーションをかけまくりましたけどね。でも、曲によってはそういうのもありかな、ぐらいで。
僕が大滝さんの仕事を
断ることはない。(鈴木茂)
『A LONG VACATION』までの大滝作品の話を少し聞かせて下さい。茂さんは1stの『大瀧詠一』(1972年)と『NIAGARA MOON』に参加していますが、振り返ってどんな作品でしたか?
茂 福生で録った『NIAGARA MOON』が特に楽しかったね。いわゆる都心のレコーディング・スタジオは時間にも追われるし、独特の緊張感があるんだけど、大滝さんの部屋だからリラックスした雰囲気が出せたと思う。大滝さんが晩年、“歌入れの時は誰も人を入れずに1人でレコーダーを回していた”って話を聞いたことがあるけど、そういう風に自分のペースで時間をかけてやるのが一番良いんじゃないのかな。
村松さんはコロムビア時代の『GO! GO! NIARAGA』(1976年)や『NIAGARA CALENDAR』(1977年)では、時には福生のスタジオに泊まり込んで作ったそうですね。
村松 福生時代はとにかく修行ですよ。何もわからない状態で、ユカリ(上原裕/d)と田中(章弘/b)と僕の3人だけでひたすらリズムを録るの。果たして自分が何をやってるか、よくわかんないんですよ(笑)。大滝さんって絶対、仮歌は歌わないから。
茂 そういえば、歌わなかったよね。
歌がないまま、大滝さんからどういう指示でトラックを録音していったんですか?
村松 もう口頭ですね。ユカリに最初、“こういうリズムで、ここが2、4で、次にこのタムに行って”とかって説明して、“村松、お前は2、4で切って。そのあとは8ビートで”みたいな感じ。で、コード進行も普通だし、“これ、何の曲をやってるんだろうな”と思ってました。ダビングは楽しいんだけど、ベーシックなリズムを録ってる時はもう修行って感じでしたね。とにかく、ちゃんと弾かないといけないから。単に正確に弾くというよりは、ちゃんと弾く。正確に弾くだけだと“ちょっと元気ないね、もっと元気良く”みたいに言われたりして。基礎的ではあるけど、そういう細かいところを鍛えることはできましたよ。
ちなみに、コロムビア時代の2作に茂さんが参加していないのはスケジュール的なものだったんですか?
村松 そうじゃない? だって、キャラメル・ママからティン・パン・アレーになって、茂さん個人でもものすごい数の録音をやってましたから。
茂 ちょうどアレンジも始めた頃で、忙しかったね。夜中の2時ぐらいまでにアレンジを2曲仕上げて、ちょっと寝て昼前にスタジオに入って、録音して……っていうのをずっとくり返していた。とうとうある時、急に冷や汗がドーッと出て、もう身動きができなくなってまずいなと(笑)。だから、大滝さんのレコーディングにはあんまり参加してなかったのかもしれないね。やりたかったんだよ。
村松 そうなんですか?
茂 うん。
村松 そもそも、オファーしてたのかな? 大滝さんが当初から、茂さんや細野さん、林(立夫)さんは多忙だから自粛してた気がしますけど。
茂 僕が大滝さんの仕事を断ることはないから、話が来なかったのかもしれないね。
なるほど。70年代の大滝作品は、“趣味趣味音楽”と称した独自のノベルティ・ソング路線だったじゃないですか? そこから『ロンバケ』でがらっとサウンドを変えてきましたが、ずっと制作を共にしていた村松さんは大滝さんの変化を感じ取っていたんですか?
村松 あくまで僕の考えですけど、心の中では『A LONG VACATION』とか『EACH TIME』(1984年)みたいな、50年代的な甘いボーカルものもやりたいんだろうなっていうのはあって……「Blue Valentine’s Day」(『NIAGARA CALENDAR』収録)って曲はそれに近い方向性だしね。やりたい願望はありつつ、“こんなの売れねえだろうな”って気持ちもあったと思う。
茂 「福生ストラット(パートII)」とか「論寒牛男」だとか、ああいうリズム・セクション中心のサウンドから、ストリングスを使った音に変わっていった過程って、僕はよく知らないんですよね。そこが気になるところで。
村松 やっぱり朝妻一郎(現フジパシフィックミュージック代表取締役会長。『ロンバケ』のエグゼクティブ・プロデューサー)さんを始めとするブレーンの存在も大きいんじゃないですか。“最後の賭けだ”ってことで、大滝さんが本当にやりたがってた50年代的な男性ボーカル・ポップスを出すと。コロンビアとの契約が終わってから『A LONG VACATION』までって3年ぐらい間が空いてるじゃないですか? その間、大滝さんはブレインストーミングをやってたらしいんだけど。CM音楽とかもやりながらね。
茂 やっぱり、朝妻さんの力って大きいかもしれないね。アメリカのオールディーズというか、いわゆる古き良き世界が好きな人だと思うんだけれども、そこが大滝さんとうまく合っていた。
村松 うん。で、『A LONG VACATION』の直前に実験として、同じようなサウンドでやったのが須藤薫さんの曲(「あなただけI LOVE YOU」)。それで、大人数で一発録りするスタイルが“いけそうだ”ってなって。“こういうのは日本にない、金出すからやろう”ってことで、『A LONG VACATION』に向かっていくわけですね。