2011年3月11日14時46分に発生した東日本大震災。これを受け、被災地復興の足がかりとなる“人と人とのつながり”の場として、宮古COUNTER ACTION、大船渡FREAKS、石巻BLUE RESISTANCEという3つのライブハウスがオープンした。この試みが“東北ライブハウス大作戦”である。そして2020年現在、コロナ禍によりライブハウスは窮地に立たされている。人々に元気を与えるために発足したこのプロジェクトも、例外ではない。心が締め付けられるこの状況に、少しでも力になれればと、2018年にギター・マガジン本誌に掲載した短期集中連載『東北ライブハウス大作戦-Fromギタマガ情報局-』を再度お届けしたい。
文:太田昭彦(KCA宮古代表)
NBC作戦をきっかけに復興イベントを開催
2011年3月11日、東日本大震災発生。
宮古市魚菜市場内で精肉店を経営している私は、その被害の大きさに“この先どうなるのだろう”という不安を抱きながらも、魚菜市場の青年部のメンバーとともに、泥出しや被害を免れた食材を使っての炊き出しを行なっていた。
震災から5日後には魚菜市場付近の電気が復旧したため、その翌日の3月17日から午前中のみの営業を再開。そして3月23日、支援物資を満載したトラックでSLANGのKO氏(札幌カウンターアクション社長)が宮古を訪れる。
それこそが“NBC作戦(編注:なまら物資直送作戦の略/被災地への物資支援)”の始まりとなった。
その後もKO氏のほか、BRAHMAN、locofrank、SPCの面々など、たくさんの音楽関係者たちがこのNBC作戦に賛同し、被災地を訪れてくれた。
KO氏の3度目の宮古訪問時、そこには雷矢ヤスオ氏(岩手県宮古市出身)も同行しており、NBC作戦の活動をしていた。そして物資を運ぶ車中、“次はゲリラ・ライブしよう! 場所を探してほしい”という話が持ち上がった。
正直まだそういう状況ではなかったし、ハードコアとスキンズのライブをやるのかと思ったのだが、KO氏が“それならパワーストック(札幌市でお毎年行なわれている札幌カウンターアクション主催のイベント)の宮古野外版にしよう”と提案し、それにはヤスオ氏も“いいねえ!”と答える。それならばと、私は“何はともあれ場所は探します”と快諾し、“パワーストックイン宮古”の準備が始まった。
盛岡クラブチェンジ、OKB氏(現Hawaiian6ローディー)、洋平氏(札幌カウンターアクション)の協力のもと、パワーストックイン宮古の開催へと向かっていく。降って湧いた復興イベントの開催は、震災から3ヵ月後の6月12日と決定し、話が持ち上がった4月からの急ピッチでの準備は、多方面の協力なしでは不可能だった。
当時、イベントができるようなスペースは、自衛隊や消防の基地、瓦礫置き場などで使われており、場所探しは難航。しかし、魚菜市場駐車場スペースでの無料開催という形で話がまとまり、一気に開催への流れは加速していった。
東北ライブハウス大作戦 始まりの物語
2011年6月12日、“パワーストックイン宮古2011”は無事開催を迎え、当初の心配を吹き飛ばすような笑顔あふれる1日となった。
出演バンドは、Idol Punch、OVER ARM THROW、10-FEET、吉村 秀樹、SION、BRAHMAN、SLANG、Ken Yokoyama、氣志團、The Yasuno N°5 Group、LOW IQ & THE BEAT BREAKERの全11組。
しかし、無料イベントという特性から、近隣以外からのキャパを超える動員を避けるため、そしてなにより“地元の音楽ファンへのイベント”ということを第一に考えた結果、出演者は非公表にしていた。
こうして被災した音楽ファンたちに勇気を与えることができた“パワーストックイン宮古2011”は無事幕を閉じる。
そしてイベント終了後の打ち上げの席で、SPC代表の西片明人氏からこう言われたのだ。
ーー“KOがNBC作戦をやっている。SPCとしては何ができるのかをずっと考えていたんだが、ライブハウスを作ってバンドを呼び、みんなが被災地まで来るきっかけを作るのはどうだろう? バンドにもお客さんにも被災地を見てほしい。それに、久慈にはライブハウスがあるから、宮古、大船渡にもあれば沿岸ルートのツアーっていう新しい流れも組める”ーー。
いつかライブハウスをやりたいという夢を持っていた私はふたつ返事でこれを快諾。こうして“東北ライブハウス大作戦”が始まった。当時、KO氏のツイッターには“宮古にカウンターアクション作るやつ誰かいない? お金はそっち持ち!”というツイートがあった。それに応える格好でクラブカウンターアクション宮古が誕生したのだ。
さて、宮古でもバンド・ブームがあり、ライブハウスも無かった田舎街では唯一市民会館で行なわれる音楽イベントにもテープ審査をとおらなければ出演できない時代があった。そこで絶大な集客力を持ち、東京に進出したバンドがある。そんなバンドの元メンバーが結成したのがBull the Buffalos。
ヤスオ氏、日下部氏(雷矢/b、MACKDADDY代表)が今も現役で活躍してくれていることが、カウンターアクション宮古につながっているというのは間違いない。
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“カウンターアクション宮古って有名な人がやるとこだよね?”。
そんな声がギターを担いだ若者から聞こえることがある。彼らには“自分なんてとても出られない”というステージが都会にあるのかもしれない。
しかし、“あこがれのアーティストが立った舞台に自分も立てる”─そんなフラットなステージが宮古にはある。
地元のバンド、海外/国内の人気アーティストが同じ環境でライブをする。敷居が高くて出る気になれないと二の足を踏む若者、興味があるけど中々入れないでいる白髪混じりの世代。その両方が参加してくれなければ街の色にはなじめない。
やっと音がなじんできたハコ、だんだんと街になじんできたハコ。遠くからも宮古が好きだからとわざわざきてくれるお客さんもできました。しかし、カウンターアクション宮古はまだまだこれからです。
宮古の街の雰囲気、美味しいお酒といいライブを堪能しに、ぜひ遊びにいらしてください!
ギタリストよ、東北へ行こう!
2011年3月11日に起こった東日本大震災から7年、完全なる復興への道のりはまだまだ遠い。じゃあ具体的に何をすればいいのか? 我々ギタリストができることとして本誌がオススメしたいのが、この“東北ライブハウス大作戦”への参加である。人が来れば地域が潤い、音楽を通じて仲間が増える――音楽好きとしてこのような場があることはうれしいことではないだろうか。好きなアーティストのライブを観に行くもよし、自分でイベントやライブを企画するもよし。さまざまな形の復興への協力が、音楽を通じてできるはずだ。“東北ライブハウス大作戦”および各拠点の公式HPをチェックして、ぜひ実際に足を運んでみてほしい。
宮古COUNTER ACTION
〒027-0083 岩手県宮古市大通2-6-11
☎0193-77-4567
アクセス:JR山田線宮古駅から徒歩約6分
HP:http://kcamiyako.s2.weblife.me/
*本記事はギター・マガジン2018年5月号にも掲載されています。
本号の特集は「ニッポンのジャズ 1907-1976 時代を駆け抜けた伊達男(ジャズメン)たちの物語」。大正から戦前、戦後、60~70年代の熟成期に生きた男たちの壮大な物語をお届けしよう。