追悼 “ブリティッシュ・ブルースの父”=ジョン・メイオールの功績を辿る 追悼 “ブリティッシュ・ブルースの父”=ジョン・メイオールの功績を辿る

追悼 “ブリティッシュ・ブルースの父”=ジョン・メイオールの功績を辿る

ジョン・メイオール……往年の英国ブルース・ロック好きなら深い感慨を禁じ得ないビッグ・ネームだろう。その名伯楽が約60年間に及ぶ長きプロ・キャリアをまっとうした。英ガーデン紙は過去の記事の中で“ジョン・メイオールほど、ブルースの歴史に残る名士と呼べる英国人はいない”と、氏の功績を称えている。 

文=安東滋 Photo by Getty Images

英国ブルース・シーンを先導したジョン・メイオールの足跡

1950年代~60年代にかけて隆興した英国ブルース・ムーヴメントを牽引した先駆者の1人、ジョン・メイオール。先達アレクシス・コーナーの活動に誘発されて自己のバンド=ブルースブレイカーズを結成してから悠に半世紀以上、英国ブルースの興隆と発展に大きく貢献した強力なリーダーであった。

ジョン・メイオール(Photo by David Redfern/Redferns)

北部訛りの甲高い独特のトーンで歌いブルース・ハープを吹き、ピアノ&オルガンを演奏しギターも奏でる……このマルチな演奏スタイルで長~いプロ・キャリアを積み重ね、その活動歴の中で約70作にも及ぶ膨大な作品群を残し英国発のブルース・ロックを世界中に流布し続けた。まさに“レジェンド”と呼ぶにふさわしい稀有なブルース・マスターであった。 

伝統的なブルース・ナンバーを幅広く取り上げて一般リスナーにもブルース・ミュージックの魅力と機微を広める伝道師的なスタンスを(結果的に?)果たすと同時に、自身のオリジナル・ブルース曲も並行して発表し続け、現役ミュージシャンとしての姿勢を終世貫いた。

その筋の通った長きプロ・キャリアも高く評価されるところだが、英国ブルース・シーンにもたらした一番の功績という点では、やはり自己のバンド=ブルースブレイカーズの中からエリック・クラプトン、ピーター・グリーン、ミック・テイラーという英国のブルース&ロック界を代表する屈指のギタリストを輩出したバンド・マネージメント能力の高さが挙げられるだろう(と筆者は思う)。

それらの才気あふれる若き演奏家を見つけ出し育てあげるプロデューサー的な目線と、時代の変化とシーンの大局を俯瞰する視野の広さ……これがジョン・メイオールが持つ大きな資質であり財産でもあった。その音楽シーンへの多大な功績が認められ、2005年には大英帝国勲章(OBE)を受章している。  

敏腕プレイヤーを輩出した“ジョン・メイオール学校”

1960年代中盤にブルースブレイカーズを結成し、幾度ものメンバー・チェンジを重ねる流動的なバンド変遷の中で、エリック・クラプトン(のちにクリームを結成)、ピーター・グリーン(同フリートウッド・マック)、ミック・テイラー(同ローリング・ストーンズ)、ハービー・マンデル(同キャンド・ヒート)など英米のブルース&ロック界を代表する敏腕ギター・プレイヤーを相次いで世にくり出していく。その音楽シーンに与えた多大な功績と影響力の大きさから“ブリティッシュ・ブルースの父”とも呼ばれた。

またギタリスト以外にも、ジャック・ブルース(のちにクリームに参加)やアンディ・フレイザー(同フリー)ジョン・マクビー(同フリートウッド・マック)といった名ベーシスト、そしてエインズレー・ダンバー(同マザーズ・オブ・インヴェンション、ジャーニー、ホワイトスネイク)、ミック・フリートウッド(同フリートウッド・マック)、ジョン・ハイズマン(同コロシアム)などの名ドラマー陣など、他楽器の凄腕プレイヤーも数多く在籍していた。この点もバンド・メンバーが流動的に入れ替わっていくブルース集合体としてのバンド特性を物語る特筆すべきポイントだろう。

そして前記したギタリスト陣も含め、それらの各楽器の演奏者がブルースブレイカーズという共通の接点を経由し、次のステップへと飛躍していく学びの場的な位置付けともなったことから“ジョン・メイオール学校”とも形容された。言い得て妙、ジョン・メイオールまさに英国ブルース界を興隆させ影で支えた“名校長”と言えるだろう。

英国ブルース・ムーヴメントの中で築き上げたプロ・キャリア

ここでジョン・メイオールのバイオグラフィをざっと振り返っておこう。1933年11月29日、イングランド北西部チェシャー州マックルズフィールドで生まれ、ジャズ愛好家でありレコード・コレクターでもあった父親の影響で10代の半ばあたりからピアノやギターに触れると同時に、ブルース・ミュージックにも開眼していく。その後18才で兵役に就き、王立工兵隊の一員として韓国に赴任。その休暇中に日本を訪れた際に購入した日本製のギターを9弦ギターに改造し、以来ずっと愛用していたというエピソードも有名だ。

20代最後の1962年、当時のブルース・ムーブメントの中心地であったロンドンに単身赴き、アレクシス・コーナーの助力も得て、念願のバンド=第1期ブルースブレイカーズを結成。1964年に第3期ブルースブレイカーズで1stシングルを発表し、本格的なプロ・キャリアをスタートさせていく。その時点で既に30才を超えていたから、ブルースへの大志を抱えた“遅咲きの拘りミュージシャン”の姿も浮かび上がってくる。そこからの活動歴とそれに伴うバンド・メンバーの変遷は後章に譲る。