連載:『Player』盛衰記 第1回|55年間のありがとう! 連載:『Player』盛衰記 第1回|55年間のありがとう!

連載:『Player』盛衰記 
第1回|55年間のありがとう!

2023年に惜しまれつつ休刊した音楽雑誌『Player』。楽器を扱う専門誌として『ギター・マガジン』とは良きライバル関係にあっただけに、その不在はやはり寂しい。音楽業界や楽器業界を盛り上げ、読者に大きな影響を与えたその偉大な55年に敬意を表して、元編集長の田中稔氏にその歴史を綴ってもらう。隔週更新。

文=田中 稔

第1回|55年間のありがとう!

 『2023年サマー号』をもって、月刊音楽雑誌『Player』は、休刊した。1968年に『The YOUNG MATES MUSIC』(ヤング・メイツ・ミュージック)というタブロイド判の新聞体裁で誕生した『Player』にとって、55周年という記念すべき年だった。出版業界では“雑誌10年周期説”という言い方がある。これは“いかに人気を博した雑誌でも、10年という長い歳月の間に時代も読者層も変わり、大きな曲面を迎える”という意味だが、『Player』の55年という歴史は例外的に長かったといえる。

『Player』のさよなら号となった2023年サマー号。55年間の感謝を込めて、“フェアウェル・スペシャル”を大特集。
▲『Player』のさよなら号となった2023年サマー号。55年間の感謝を込めて、“フェアウェル・スペシャル”を大特集。

 この『プレイヤー盛衰記』は、そんな長い歴史を誇る月刊『Player』がどのようにして誕生し、どんな時代背景の中で発展していったのか? 日本の音楽シーン、楽器シーンの中で、『Player』はどんな役割を果たしたのか? そして、いかにして幕を閉じたのか……。それぞれの時代をふり返りながら、私が見た、体験した『Player』のすべてを紹介したいと考えている。

 私は1975年11月に、『Player』の発売元であるプレイヤー・コーポレーションにアルバイトとして入社した。当初は広告営業部員として勤務し、やがて編集を担当。営業部長、編集部長、発行人、代表取締役として『Player』の休刊にいたるまで関わってきた。入社時は僅か44ページだったマイナーな音楽雑誌は、数年間後には200ページを越え、80年代中頃には400ページ近い日本一重い音楽雑誌へと成長した。そこにはどんなストーリーやドラマがあったのか……。私の知る『Player』の歴史を今一度ふり返りながら、本誌の果たした役割と功績を検証してみたい。

 創刊当初はマイナーな音楽雑誌(というより新聞?)だった『Player』が大きく成長できたのは、決して一夜にして生まれ変わったわけではなく、単なるラッキーでもない。インターネットなどなかった時代における紙媒体の持つ情報の重要性は、現在とはまったく異なる価値観を担っていた。『Player』は、急成長する70年代、80年代の音楽シーン、楽器シーンの大波を的確にとらえることで、アマチュアやプロのミュージシャン達から強い信頼と支持を得た。

 そこには、優れた能力や豊富な専門知識を持ち、マニアックでディープな楽器人間、音楽人間たちとの出会いがあった。また先代の有能なスタッフたちの努力、共に成長した各クライアントとの信頼関係や人間関係、さらには本誌の販売に多大な努力と愛情を注いでくれた多くの人々との出会いがあった。『Player』という雑誌が、個性的で唯一無二の音楽雑誌に成長できたのは、そんな多くの人々の支えと協力があったからである。

 この『プレイヤー盛衰記』の執筆にあたり、寛大な見解でご理解、ご協力いただいたリットーミュージックに感謝すると同時に、プレイヤー・コーポレーションの関連会社である株式会社神田商会。さらにこの「盛衰記」に登場するすべての楽器メーカー、楽器小売店、レコード会社、ライター、フォトグラファー、製作関連各社、元プレイヤー社員の方々に、心から感謝を申し上げながら、この連載を綴っていこうと思う。

『Player』は68年創刊。『The YOUNG MATES MUSIC』というタイトルのタブロイド判新聞体裁の8ページ。定価20円。
▲『Player』は68年創刊。『The YOUNG MATES MUSIC』というタイトルのタブロイド判新聞体裁の8ページ。定価20円。
70年代前半の『Y.M.M.』。A4判中綴じ36ページ、カバーが2色刷りで本文1色刷りの薄い雑誌だった。定価90円。
▲70年代前半の『Y.M.M.』。A4判中綴じ36ページ、カバーが2色刷りで本文1色刷りの薄い雑誌だった。定価90円。
私が入社した75~77年頃の『Player』。入社時は36ページだったが、翌年には60ページ近くにボリュームアップ。
▲私が入社した75~77年頃の『Player』。入社時は36ページだったが、翌年には60ページ近くにボリュームアップ。
70年代末から80年代前半の『Player』。ジミー・ペイジやエディ・ヴァン・ヘイレンはカバーの常連となり、よく売れた。
▲70年代末から80年代前半の『Player』。ジミー・ペイジやエディ・ヴァン・ヘイレンはカバーの常連となり、よく売れた。

プロフィール

田中 稔(たなか・みのる)

1952年、東京生まれ。1975年秋にプレイヤー・コーポレーション入社。広告営業部、編集部にて『Player』の制作を担当。以来編集長、発行人を経て1997年に代表取締役就任。以降も『Player』の制作、数々の別冊、ムック本を制作。48年間にわたり『Player』関連の仕事に深く関わった。現在フリーランスの編集者として活動中。アコースティック・ギターとウクレレの演奏を趣味としている。

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『Player』盛衰記