ジョン・メイオールを支えた3名の英国レジェンド・ギタリスト ピーター・グリーン(前編)〜クラプトンの後継者に抜擢 ジョン・メイオールを支えた3名の英国レジェンド・ギタリスト ピーター・グリーン(前編)〜クラプトンの後継者に抜擢

ジョン・メイオールを支えた3名の英国レジェンド・ギタリスト 
ピーター・グリーン(前編)〜クラプトンの後継者に抜擢

1966年7月、クリーム結成のためエリック・クラプトンがブルースブレイカーズを脱退。その後任ギタリストとして指名されたのがピーター・グリーンだ。当時、“CLAPTON IS GOD”と崇められたクラプトンの後釜だけに、当初は懐疑的な視線もあったらしいが、その見事な演奏力と色気のあるトーンで力量をガツンと見せつけ、懸念を一気に払拭してみせた。英国ブルース界の新しいギター・ヒーロー、“GREEN GOD”=“緑神”の誕生である。ちなみにブルースブレイカーズ加入当時、ピーター・グリーンは(1946年10月生まれなので)若干19歳。

文=安東滋 Photo by Getty Images

ジョン・メイオールへの売り込み

実はピーター・グリーンがブルースブレイカーズに加入する経緯には少し伏線がある。当時、エリック・クラプトンが一時的にブルースブレイカーズから離れた期間があり、その穴埋めとしてジョン・メイオールは数人のギタリストを臨時に雇っていたのだが、ピーター・グリーンは“そんなヤツよりオレのほうが上手いぜ!”と強引に自分を売り込み、クラプトンの代役としてギグを数回こなしていた。だが、その時は後日クラプトンが戻ってきて、ピーター・グリーンは正式ギタリストの座をつかむことはできなかった。

ピーター・グリーン
ピーター・グリーン

ジョン・メイオールは当時を回想してこう語っている。

“1965年の夏にエリックが一度ブルースブレイカーズを抜け、ギリシャへの演奏旅行に出かけた数ヵ月の空白期間があった。オレはその間、彼の後釜として何人ものギタリストを試してみたが……ふさわしいと思えるヤツは誰もいなくてね。最後にピーター・グリーンが半ば強引に自分を売り込んできたが、その1週間後にエリックが戻ってきた。オレは「バンドに戻る気があるならいつでも戻って来い」とエリックに言ったんだが、ピーターのことは冷遇してしまったね。”

そんなこんなの紆余曲折がありながらも、結局、上記の代役ギグでの見事な演奏が決め手となり、クラプトンの脱退を受けてジョン・メイオールは後任ギタリストにピーター・グリーンを指名。その確かな実力で次期ブルースブレイカーズをがっしりと背負っていくことになる。

クラプトン・マナーの踏襲

当時エリック・クラプトンが提示した革新的なプレイ・スタイルと骨太のギター・トーンは英国ブルース系ギタリストに絶大な影響を及ぼし、それが後続ギタリストたちがこぞって共有する定形フォーマット(?)ともなっていった。

このクラプトン・マナーの踏襲はそのままピーター・グリーンにも当てはまる。ギターを始めた当初はクラプトン・スタイルにかなり傾倒し、クラプトン在籍時のブルースブレイカーズの楽曲をほとんどマスターしていたらしい。ブルースブレイカーズ加入直後の1966年10月~67年1月に発表された最初期のシングル曲などを聴くと、節回しや音色など、たしかにクラプトンの影を濃厚に感じさせられる。

続いて発表されたフル・アルバム『A Hard Road』(1966年11月録音/「必聴アルバム5選」参照)もプレイ・スタイルの基本線はその延長にあり、フレディ・キング作のインスト・ブルース「The Stumble」ではクラプトン・マナー全開の躍動的なプレイを展開している。余談だが、ピーター・グリーンを師と仰ぐゲイリー・ムーアも同曲をアルバム『Still Got The Blues』(1990年)でカバーしており、その際にお手本にしたのがこのピーター・グリーン版。