連載:『Player』盛衰記 第31回|『Player』1976年春の特別企画 連載:『Player』盛衰記 第31回|『Player』1976年春の特別企画

連載:『Player』盛衰記 第31回|『Player』1976年春の特別企画

2023年に惜しまれつつ休刊した音楽雑誌『Player』。楽器を扱う専門誌として『ギター・マガジン』とは良きライバル関係にあっただけに、その不在はやはり寂しい。音楽業界や楽器業界を盛り上げ、読者に大きな影響を与えたその偉大な55年に敬意を表して、元編集長の田中稔氏にその歴史を綴ってもらう。隔週更新。

文=田中 稔

第31回
『Player』1976年春の特別企画

5回連続で『Player』の別冊『楽器の本 1976』に関して紹介したが、この書籍の反響は思った以上に大きく、読者や書店、取次店から在庫確認の電話がしばらくの間鳴り止まなかった。その『楽器の本』が70年代後半からの『Player』の高評価につながったことは間違いないが、実はその直前にギター・ファンが注目する“特集企画”が『Player』に掲載され、話題となった。今回は76年1月号と3月号に掲載されたその特集に関して紹介しよう。

75年12月半ばに発売された『Player』76年新年号は、発売から数日でほぼ完売となった。表紙の写真を見るとわかるが、鮮やかな黄色い帯の中に「新春大特集 フェンダー・ギターの全て」という、タイトルが大きく記されている。

『Player』76年新年号の表紙
76年新年号には、新春大特集として「フェンダー・ギターの全て」が掲載され、大きな反響を呼んだ。カバーには、黄色い帯に特集のタイトルが大きく書かれていた。

70年代半ばというと、フェンダーやギブソンのギターは一部の大手楽器店で見ることはできたが、それはショーケースの中に鎮座している姿で、試奏を申し出ることは許されない時代だった。巷にはコピー・モデルが溢れ、アマチュア・ギタリストで本家のオリジナル・ストラトやレス・ポールを愛用している人は皆無に近かった。

そんな時代に、『Player』では15ページにおよぶ大きな「フェンダー特集」を組み、憧れのフェンダーの魅力を紹介した。当時の本誌はわずか44ページで、その中で15ページの特集というのは全体の約1/3にあたり、いかに力が入った企画だったかが窺える。

特集の内容は、フェンダーの歴史を紹介したフェンダー・ストーリー、日本のフェンダー・ギタリストへのアンケート・インタビュー、春日博文インタビュー、各モデルの歴史的な変遷、フェンダーのアクセサリー紹介、フェンダーにまつわる雑学などが掲載された。今でこそフェンダーの歴史や製品の詳細を書いた書籍は山ほどあるが、約半世紀前の70年代半ばにフェンダーに関する詳細を語った日本の書籍は存在しておらず、この特集は当時のギター・ファンのバイブル的な記事となった。

中面
副編集長の関原さんが書いた「フェンダー・ストーリー」。創始者であるレオ・フェンダーの紹介から始まっている。左のページにはフェンダーの広告も掲載されている。
中面
モデル紹介では発売順に製品を紹介。右ページの下には、プレシジョン・べースの年代による変遷をイラストで紹介。編集長の手描きによるイラストが手作り感を演出している。

当時『Player』はまだ書店では販売されておらず、楽器店での販売だったが、読者の反応は驚くほど早かった。“この新年号は売れる”という見込みで部数を増刷していたが、あっという間に売り切れ在庫が底をついた。

その翌々月の3月号では、「フェンダー大特集」をさらに上回る「ギブソン大特集」が組まれ、またもや話題となった。表紙の帯には「YMM プレイヤー創刊8周年記念号 ギブソン・ギターの全て」と大きくタイトルが記されていた。

『Player』76年3月号の表紙
76年3月号では、YMMプレイヤー創刊8周年記念として「ギブソン・ギターの全て」という大特集を掲載。これがまた好評で、3月号も飛ぶように売れすぐに在庫が底をついた。

新年号における読者の反応を体験していた我々は、新年号の44ページを16ページ上回る60ページにボリュームアップし、センターにギブソン、マクソン、ジャグボックスのカラー広告が追加され、部数もかなり増刷した記憶がある。

特集の内容は、レス・ポール・ギタリストの紹介、レス・ポール・ファミリーの紹介、海外ギブソン・ギタリスト8人のミニ・インタビュー、ギブソン・ギター質問箱、日本のギブソン・ギタリスト・アンケート、ギブソン・レア・モデルの紹介、ギブソン・ニュー・モデルの紹介、ギブソン・アクセサリー、ギブソンの歴史、ギブソンにまつわる雑学など、他誌ではまず見られない『Player』ならではの大特集だった。これを掲載した3月号は、やはり増刷したにもかかわらず完売し、予想を上回る成果をおさめた。

新年号の「フェンダー・ギターの全て」、そして3月号の「ギブソン・ギターの全て」を掲載した『Player』がどちらも完売したという実績は、会社の収益に大きく貢献しただけではなく、スタッフの自信にもつながった。“自分たちが企画した編集内容が読者に評価された”という実感を味わいながら、日々の仕事により充実感が持てるようになった。この1月号と3月号が、“ホップ”、“ステップ” となり、その3ヵ月後に完成した『楽器の本』の “大ジャンプ” へとつながっていったのである。

このコラムを書くにあたり、当時の『Player』を数十年ぶりに引っ張り出して確認してみたが、手作り感満載の50年前の『Player』は、意外なほど新鮮に感じられた。当時の楽器に対する愛情と探究心はその後の『Player』とさほど変わっていないが、ギターの写真が入手できずに、苦肉の策で河島編集長が描いたギターのイラストがなんとも微笑ましい。

中面
ギブソン製品の紹介コーナーでも、河島編集長のギター・イラストがふんだんに使用されている。1本1本時間をかけて描いていたが、見ているとなんだか楽しそうだった。
中面
センターのページには、レス・ポールの再生産モデルのカラー見開き広告が掲載された。ギターの写真にイラストを組み合わせたユニークなオリジナル広告は当時話題となった。

著者プロフィール

田中 稔(たなか・みのる)

1952年、東京生まれ。

1975年秋にプレイヤー・コーポレーション入社。広告営業部、編集部にて『Player』の制作を担当。以来編集長、発行人を経て1997年に代表取締役就任。以降も『Player』の制作、数々の別冊、ムック本を制作。48年間にわたり『Player』関連の仕事に深く関わった。

以後はフリーランスの編集者として活動し、2025年4月、クラプトンに魅せられた10人のE.C.マニアのクラプトン愛を綴った『NO ERIC, NO LIFE. エリックに捧げた僕らの人生.』(リットーミュージック発刊)を制作。2025年9月、電子マガジン「bhodhit magazine(バディットマガジン)」の名誉編集長に就任。

アコースティック・ギターとウクレレの演奏を趣味としている。