連載:『Player』盛衰記 第32回|『Player』創刊100号! 連載:『Player』盛衰記 第32回|『Player』創刊100号!

連載:『Player』盛衰記 第32回|『Player』創刊100号!

2023年に惜しまれつつ休刊した音楽雑誌『Player』。楽器を扱う専門誌として『ギター・マガジン』とは良きライバル関係にあっただけに、その不在はやはり寂しい。音楽業界や楽器業界を盛り上げ、読者に大きな影響を与えたその偉大な55年に敬意を表して、元編集長の田中稔氏にその歴史を綴ってもらう。隔週更新。

文=田中 稔

第32回
『Player』創刊100号!

前回のコラムで紹介した『Player』1976年1月号の特集『フェンダー・ギターの全て』と3月号の特集『ギブソン・ギターの全て』はどちらも大好評でコアなギター・ファンの間で評判となり、76年は幸先の良いスタートを切った。

そしてその2号に続いて、同年6月に発売されたのがプレイヤー別冊『楽器の本 1976』だった。初版本は瞬時に売り切れ、増版した第2版も完売、その後もしばらく在庫の問い合わせがあった。

『楽器の本』の発売から約1ヵ月が経過し、問い合わせがようやく落ち着いてきた頃、社内はまだ完売の余韻に浸りながら、来たる書店販売に向けた準備を進めていた。そしてもう1つ、嬉しいトピックが待ち構えていた。それは8月半ばに発売される9月号で、『Player』の前身である『THE YOUNG MATES MUSIC』の創刊から“通算100号”となること。私が入社した時に製作していたのが『Vol. 91』だったので、早いものでそれから9ヵ月が経過していた。

当時はクロスオーバー/フュージョンが注目され始めた頃で、記念すべき『Vol.100』は、その新たな音楽シーンの台風の目となっていたグループの1つ、リターン・トゥ・フォーエヴァーの特集を企画した。メンバーのアル・ディ・メオラ(g)、スタンリー・クラーク(b)、チック・コリア(key)の3人の単独インタビューを掲載する、かなり充実した内容となった。

そしてカバーには、当時、天才ギタリストとしてにわかに注目を集めていたアル・ディ・メオラがギブソンL-5Sを手にしている写真がセレクトされた。70年代半ばは、ギブソンが新しいエレクトリック・ソリッド・ギターに力を入れていた時代で、L-5Sはその最上位モデルとして登場し、新たなギブソンの魅力をアピールする象徴となっていた。

創刊100号(76年9月号)の表紙。
70年代半ばは、クロスオーバーがにわかに注目されていた。9月号では、リターン・トゥ・フォーエヴァーの特集を企画し、若き日のアル・ディ・メオラが初めて表紙を飾った。
スタンリー・クラークのインタビューも掲載。背の高いスタンリーが手にしたAlembicがやたらとかっこよかったが、当時70〜80万円という価格にはみんなびっくり!

そのほかの特集には、“ニュー・プロダクツ・フロム・NAMM 76”と題したNAMMショー・レポート。当時から『Player』では、毎年2回アメリカで開催されている世界最大の楽器見本市“NAMM Show”の取材を行ない、そのレポートを掲載することが恒例となっていた。『ロック・ギターの巨人達』という連載企画では、5年前にオートバイ事故で他界したデュアン・オールマンを取り上げている。

『ヒストリー・オブ・ザ・エレクトリック・ギター』は、エレキギターの歴史を綴った人気の連載企画。『Player』では、昔からギターの歴史を紐解いた特集や企画が多かった。
『NAMM Showレポート』は70年代前半から毎年掲載している人気企画。“楽器フェア”とは異なり、業者向けに行なわれているビジネス・ショー。なんとジェリー・ガルシアがギターを……。

巻頭のカラー・ページには、八王子のサマーランドで行なわれた『アメリカン・ミュージック・フェス』のレポートを掲載。のべ22時間に及ぶこの大規模な野外フェスティバルは、7月末という最も暑い時期に2日間にまたがって行われた。センチメンタル・シティ・ロマンス、めんたんぴん、久保田麻琴と夕焼け楽団、小坂忠とウルトラ、憂歌団、ウエスト・ロード・ブルース・バンド、桑名正博、ゴダイゴなど、22のバンドやアーティストが集結して話題となった大規模なフェスだった。自分もこのフェスを取材したが、まったく日陰のない炎天下に2日間いたことで、体中が日焼けして酷い目にあった思い出がある。

この『Vol.100』号の制作にあたり、河島編集長から、“このタイミングで『Player』のロゴを変更しないか?”という申し出があった。編集会議では“今のロゴは見飽きたし、そろそろ新しいロゴにするのも悪くないかも”といった意見や、“もしも新しいロゴの評判が良くなかったら、それは『通算100号記念』の限定ロゴということで、次の号でまた元のロゴに戻せばいいのでは?”といった軽いノリで意見がまとまった。

新しいロゴのデザイン・サンプルを複数作り、選ばれたのが写真のロゴである。これまでは、頭の“P”が大文字で以下小文字だったが、新しいロゴはすべて大文字で書体もモダンなものになった。

76年9月号に登場した大文字だけの“100号記念スペシャル・ロゴ”。存在感のあるモダンなデザインで、社内ではまずまずの評価だったが読者には不評で、二度と登場することはなかった。

カバーに使用するアル・ディ・メオラのライブ写真が決まり、新たな『Player』ロゴを当てはめてみたところ収まりも良く、写真でディ・メオラが手にしているL-5Sのサンバーストに寄せた金赤ロゴになった。さらに、“ミュージシャンの為の一歩進んだロック・マガジン”というキャッチコピーをロゴ右下に追加した新しいカバー・デザインが完成した。

それから10日ほどして『Player』9月号が完成。ディ・メオラのライブ写真の黒い背景と金赤の新しい大型ロゴとのコントラストが美しく、新鮮なデザインに仕上がった。社内では、“存在感があるロゴでフレッシュな印象”となかなか評判も良く、新たな気持ちで書店で発売される予定の10月号の編集作業を進めていた。しかしその頃、読者から衝撃的なハガキが何通も届くようになった。

“新しいロゴはプレイヤーらしくない!”、“書店で探す時にプレイヤーとは気がつかなかった”、“大文字のロゴはモダンすぎて音楽雑誌じゃないみたい”といったネガティブな反応が多かった。編集部としてはもっとポジティブなリアクションを期待していたのだが、予想外の極めて残念な結果となった。

何度かのミーティングのあと、最終的には『通算100号』で使用した大型ロゴは『100号』だけの限定使用となった。しかし編集会議では“また同じロゴに戻すというのもどうか……”という意見が多く、最終的には以前のロゴにかなり近いデザインの新たなロゴが完成した。

ミュージックマンの広告。クラプトンがボディをカットしたエクスプローラを手にしているこの広告は、当時大きな話題となった。そう、初来日公演で使用したあの伝説のギターだ!

著者プロフィール

田中 稔(たなか・みのる)

1952年、東京生まれ。

1975年秋にプレイヤー・コーポレーション入社。広告営業部、編集部にて『Player』の制作を担当。以来編集長、発行人を経て1997年に代表取締役就任。以降も『Player』の制作、数々の別冊、ムック本を制作。48年間にわたり『Player』関連の仕事に深く関わった。

以後はフリーランスの編集者として活動し、2025年4月、クラプトンに魅せられた10人のE.C.マニアのクラプトン愛を綴った『NO ERIC, NO LIFE. エリックに捧げた僕らの人生.』(リットーミュージック発刊)を制作。2025年9月、電子マガジン「bhodhit magazine(バディットマガジン)」の名誉編集長に就任。

アコースティック・ギターとウクレレの演奏を趣味としている。