連載:『Player』盛衰記 第37回|読者参加型連載コンテンツ 連載:『Player』盛衰記 第37回|読者参加型連載コンテンツ

連載:『Player』盛衰記 第37回|読者参加型連載コンテンツ

2023年に惜しまれつつ休刊した音楽雑誌『Player』。楽器を扱う専門誌として『ギター・マガジン』とは良きライバル関係にあっただけに、その不在はやはり寂しい。音楽業界や楽器業界を盛り上げ、読者に大きな影響を与えたその偉大な55年に敬意を表して、元編集長の田中稔氏にその歴史を綴ってもらう。隔週更新。

文=田中 稔

第37回
読者参加型連載コンテンツ

前回は、70年代後半の『Player』が、ミュージシャンや楽器の記事と同じくらい大きな役割を担っていた「BULLETIN BOARD」(告知板)に関して紹介した。インターネットが登場する20年も前に、『Player』は音楽雑誌/楽器雑誌としての役割とは別に、アマチュア・ミュージシャンたちの交流の場としての機能を持った読者参加型記事をいくつも用意していた。

それらは「読者の広場」や「質問箱」、「告知板」といったタイトルのコンテンツだが、今回は1977年1月号をサンプルに、当時人気を博したそれらの“読者参加型記事”に関して紹介しよう。

1976年春に『楽器の本 1976』が発売され、同年秋に『Player』が楽器店ルートと並行して書店ルートでも販売されるようになった。これに伴い、『Player』誌の知名度は大幅に上がり、以前とは比べものにならないほどの売れ行きを獲得した。

エリック・クラプトンがカバーだった1977年1月号は、1976年の年末に発売された。イエス・キリストを彷彿とさせる立派な髭を蓄えたクラプトンは、初来日公演で使用して伝説となったオリジナルのギブソン・エクスプローラーを手にしている。この新年号は書店に置かれるとすぐに完売し、社内は読者や取次店からの問い合わせに追われる日々が続いた。

当時の『Player』は100ページ、表紙関連の4ページを除くとカラー・ページはわずか8ページ。面白いことに1色ページはなく、カラー・ページ以外はほとんどが2色ページで、センターには8ページのやや厚みのある色上質紙が使用されていた。基本的に2色印刷の雑誌だったが、特色はタイトル部分にしか使用されておらず、ある意味ではかなり贅沢な仕様だった。

当時の価格は200円。表4には、あの頃話題となっていたGrecoのオリジナル・モデル、MR1000を手にした若き日の森園勝敏(四人囃子)がちょっと不機嫌そうな顔でアンプの前に立っているGrecoの広告が掲載されていた。

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表4の広告は、GrecoのMR1000を手にした若き日の森園勝敏(四人囃子)。ライブのリハーサル時に無理やり撮影したのか、ちょっと不機嫌そうな顔つき。

本誌の巻頭を飾るのは、“読者の広場”とも呼ばれる「LETTERS」。当時はどの雑誌も、読者からのメッセージを掲載するコーナーが設けられていて、読者の思いや意見が書かれたハガキを紹介していた。

『Player』にも毎月掲載しきれないほどのハガキや手紙が届いていたが、ハガキをくれる読者は100人前後のある程度決まったメンバーが中心となっていたような記憶がある(本誌には通信用にハガキが付属していた)。

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『Player』の表2対向ページには、読者用のハガキが付属していた。しかもその内側には日本蓄針の広告も……。

その内容は実に様々で、好きなギタリストが掲載されていた喜びを綴ったものもあれば、いつまで経っても大好きなギタリストが登場しない誌面にシビレを切らし、“次号に載っていなかったら、もう『Player』は買わないぞ!”といった脅迫めいた内容もあった。もちろん、最近観た来日公演の感動レポートや好きなアーティストの新作にまつわるレビューなどもあるが、どの内容もかなり熱い(しかも文が長い)!

改めて読み返して驚いたのが、コメントの最後に自分の氏名はもちろんのこと、住所まで明記している人が半分以上いたこと。まあ、それだけ平和な時代だったという1つの証とも言える。「読者の広場」は当時人気のコンテンツであったが、目次に続く巻頭ページに置かれていたというのもすごい話だ。

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文字でびっしりと埋め尽くされているのは「レターズ/読者の広場」のページ。個人情報など関係ない時代だった。

当時の『Player』には、「QUESTION(質問箱)」というタイトルのコンテンツもあった。これは読者から寄せられる疑問や質問に対して丁寧に回答するコーナーだが、これもかなり人気があった。

この1977年1月号では、エリック・クラプトンが大好きな読者からの問い合わせで、“クラプトンが参加しているアルバムをできるかぎり多く教えてほしい”という内容。このコーナーを担当していたライターの斉藤節雄氏は、自分の知る限りの知識を活かし、まるまる1ページのテキスト(3,500字近く!)で丁寧に質問に答えている。

そして「BULLETIN BOARD」。このコンテンツが始まったのは1976年の秋からだが、月を増すごとに読者からのハガキが増えていった。当初は“もしもハガキが集まらなかったら……”という心配をよそに、半年もしないうちに掲載しきれないほどのハガキが編集部に届くようになった。ビルの1階にある郵便受けを開ける時に、注意しないと中からハガキや手紙が雪崩のように落ちてくる状態が続いた。

このコンテンツは、内容によって“売ります”、“買います”、“交換します”、“メンバー募集”という4つのカテゴリーに分かれている。当初は“売ります”と“買います”が圧倒的に多かったが、しばらくすると“メンバー募集”がどんどん増えていった。
 
“売ります”の欄を見ると……“フェンダー・プレシジョン・ベース1954年、音最高、程度上、55~60万円で”、“フェンダー・ジャス・ベースの新品同様、12万円で”や、“フェンダー・ペイズリーレッド・テレキャスター、24万円で。価格相談”、“ギブソン・レスポール・カスタムを20万円で”、“ギブソン・メロディメーカー60年代前半を15万円で”、“ギブソン・セミ・アコースティックES-335TD 焦げ茶、28万円を18万6千円で”など、今から思えばとんでもなく安い価格で売りに出ている。

50年前の物価から考えれば、2.5倍くらいになるかと思うが、近年のビンテージ・ギターの高騰を考えると、ビンテージ・ファンには羨ましいというか、夢のような時代だった。

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「BULLETIN BOARD/告知板」。発売日に、書店で『Player』を入手してまず先に読むのはこのページだった、という人がたくさんいた。

“メンバー募集”の欄を見ると、“17~18歳の女の子ばかりでバンドを作っています。ギターをやっているけどまだ日の浅く、ヘタで困っています。誰かギターを教えてください。一生懸命やるから。リッチーが大好き”とか“フォークからハードロックまでやるバンド作りたし。ギター以外の楽器とボーカル求む。当方18歳のギター”といった微笑ましい内容から、“全国のプロを目指している18~24歳のブリティッシュ系のボーカル、ベース、キーボード求む。都内での活動のため上京してやる気のある方に限る。当方ギター&ドラム”など様々。

当時、この告知板にどうしても掲載してほしい読者は、同じ内容のハガキを何枚も書いて数で勝負する人が現れた。それに気がついた編集部の担当者は、コンテンツの最後に、“最近ハガキが大変多くなりました。編集部ではありがたい悲鳴をあげています。しかし、同じ内容のハガキを何通いただいても、掲載されるのは1枚です”という注意書きを掲載していた。

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数少ないカラーページでは「オリジナル・ギター・シリーズ」として、1950年製のブロードキャスターと1958年製のエクスプローラーを大きく紹介していた。さすが『Player』!

著者プロフィール

田中 稔(たなか・みのる)

1952年、東京生まれ。

1975年秋にプレイヤー・コーポレーション入社。広告営業部、編集部にて『Player』の制作を担当。以来編集長、発行人を経て1997年に代表取締役就任。以降も『Player』の制作、数々の別冊、ムック本を制作。48年間にわたり『Player』関連の仕事に深く関わった。

以後はフリーランスの編集者として活動し、2025年4月、クラプトンに魅せられた10人のE.C.マニアのクラプトン愛を綴った『NO ERIC, NO LIFE. エリックに捧げた僕らの人生.』(リットーミュージック発刊)を制作。2025年9月、電子マガジン「bhodhit magazine(バディットマガジン)」の名誉編集長に就任。

アコースティック・ギターとウクレレの演奏を趣味としている。


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