個性的な魅力で多くのギタリストたちを虜にする“ビザール・ギター”を、週イチで1本ずつ紹介していく連載、“週刊ビザール”。今回はコーラルのエレクトリック・シタールをご紹介。スティーヴ・ハウやエディ・ヴァン・ヘイレンなどなど、さまざまなギタリストが使っているので、そのルックスやサウンドは多くの人が知るところだろう。それではさっそく、その画期的な発明を見ていこう。
文=編集部 撮影=三島タカユキ 協力/ギター提供=伊藤あしゅら紅丸 デザイン=久米康大
Coral Electric Sitar 3S19
“ビビり”を起こしてシタール・サウンドに!
サウンド、ルックスともに間違いなく“ビザール”だが、知名度はメジャー級。コーラルのエレクトリック・シタール=3S19は、そんな1本だ。独自のバズ・ブリッジが弦に“バズ音”を与え、インドの民族楽器であるシタールのような音色を実現している。
この唯一無二の楽器を生み出したのは、ヴィンセント・ベルというセッション・ギタリスト。そして、ご存知の方も多いとは思うが、このコーラルはダンエレクトロの傘下に立ち上がったブランドで、もちろん本器の開発にもナット・ダニエルが絡んでくる。ダンエレクトロとその創設者=ナットについては、PRO-1の記事をご参照いただくとして、コーラルが誕生するまでの流れを簡単に解説しておこう。
ヴィンセント・ベルは1935年、ニューヨークに生まれた。スタジオ・ギタリストとしては、サイモン&ガーファンクルやマリーナ・ショウを始め、さまざまなアーティストを支えてきた一流である。そんな彼がナットと仕事をし始めたのは、ダンエレクトロが工場をニュージャージー州ネプチューンに移した1959年頃。ダンエレクトロのギターをデザインし、自らも使用してこれらを宣伝していたのだ。この関係は、1963年に発売した、ギリシャの楽器=ブズーキに似たエレキ・ギターに“ベルズーキ”と名付けるなど、自身の名前をアピールするのにも役立っていたのである。
そして1966年、ダンエレクトロはメジャー・レーベルとしても有名なMCA(現在はNBCユニバーサルの一部)に買収される。新たなオーナーとなったMCAは、翌1967年に新たなブランドとしてコーラルを発表した。MCAが所有していたレーベル名がその名の由来だ。
このコーラル・ラインでもヴィンセント・ベルは引き続きデザインを担当し、Scorpionなどの特徴的なモデルを生み出す。そして兼ねてより考えていたエレクトリック・シタールを完成させたのである。13本の共鳴弦、前述の“バズ・ブリッジ”などは画期的な発明で、1969年には特許も取得している。このブリッジは円弧のシェイプで、支点以外の部分が弦と接するような仕組みになっており、人為的に“ビビり”を起こさせることでシタール的なサウンドを実現した。また、ブリッジの傾きが微調整可能で、“ビビり”音のコントロールができるため、本家のシタールよりスタジオなどで、使い勝手がよくなっている。詳しくは下記のパテント図を参照してほしい。
ボディ形状は前述の“ベルズーキ”を元にしながらも、ホールド性を高めたデザインでプレイヤビリティが向上している。また、塗装は結晶塗りを応用した“クラック・ペイント”でレザー貼りの雰囲気。ちなみに、写真の個体でははずされてしまっているが、共鳴弦側には透明のガードが付いており、ピックガード部には堂々と“Vincent Bell”の文字が書かれていた。こういった点からもわかるとおり、ヴィンセントはかなり出たがりな性格なのだろう。後年のギター開発や自身のスタジオ仕事に関する発言でも、虚実混交で話を盛るクセがあったようだ。
また、共鳴弦は、クロマチック・チューニングが標準で、実際には共鳴効果はそれほど期待できなかったが、フレーズの合間にスウィープすることでインド風な雰囲気を演出するのに役立っていた。
さて、本器が発売されたのは1967年。ビートルズが1965年に「ノルウェーの森」でシタール・サウンドをフィーチャーしたこともあり、その音色はポピュラーなものとなっていた。それも助けて、エレクトリック・シタールはスタジオ界隈で重宝され、さまざまなアーティストの名曲を彩ってきた。写真の個体もナッシュビルの名スタジオマン、マック・ゲイドンが実際に使用していたものだ。が、残念ながら、ダンエレクトロの倒産とともに、1969年に本器も生産が終了してしまう。
いつかギタマガWEBで“エレクトリック・シタール名演”のプレイリストを制作しよう。