「天国への階段」を奏でた伝説の名器! ジミー・ペイジとドラゴン・テレキャスター  「天国への階段」を奏でた伝説の名器! ジミー・ペイジとドラゴン・テレキャスター 

「天国への階段」を奏でた伝説の名器! 
ジミー・ペイジとドラゴン・テレキャスター 

レッド・ツェッペリンの名曲「天国への階段」のギター・ソロを奏でたテレキャスターは、間違いなくロック史における聖杯の1つ。ルックス面で様々な変遷をたどった1本だが、その中で最も印象的な“ドラゴン模様”は、サウンド面にも大きな影響を与えたはずだ。ということで今回は、ジミー・ペイジの“ドラゴン・テレキャスター”をお届けしよう。

文=細川真平 Photo by Jorgen Angel/Redferns/Getty Images

ジェフ・ベックからジミー・ペイジへ

今回紹介するテレキャスターは、“改造”というよりは“リフィニッシュ”が正しいのかもしれない。だが、ギタリストにとってギターを自分が最高に気に入るルックスに変更するということは、プレイにも影響を及ぼす立派な“改造”なのではないかという気がする。

ジミー・ペイジの“ドラゴン・テレキャスター”。

ボディに彼自身が描いたドラゴン模様(決してドラゴンそのものではなく“ドラゴン模様”)が、見る者に強烈な印象を与える。

レッド・ツェッペリンの1枚目(『Led Zeppelin』/1969年)では、レス・ポールではなくテレキャスターがメインで使われ(「Black Mountain Side」ではダンエレクトロ 3021を使用)、4枚目(『Led Zeppelin IV』/1971年)の「Stairway to Heaven」のソロもテレキャスターで演奏されているが、そのテレキャスターこそが“ドラゴン・テレキャスター”だ(ただし、後述するように「Stairway to Heaven」の時には、ドラゴン模様はもうなかったのだが……)。

このテレキャスターは1959年製で、ジミーの前にこれを所有していたのはジェフ・ベック。

ヤードバーズ加入前に在籍していたデルトーンズでのバンド・メイト、ジョン・オーウェン(g)から譲られたものだ。

ジェフは1965年にヤードバーズに加入してから、メインのフェンダー・エスクワイア(“テレギブ”のお礼にジェフからセイモア・ダンカンに贈られたギター)のサブとして、このギターを使用した。

指板はローズウッドのスラブ貼りで、この仕様は1959年からのもの。フィニッシュはブロンド(杢目が透けて見えるホワイト)、ボディ材はアッシュ。フェンダーでは杢目の美しいアッシュには、ベタ塗りのオリンピック・ホワイトではなくブロンドを採用することが多いが、これもそうだった。ピックガードとスイッチ・ノブは元は白だったが、ジェフが黒のものに替えている。

ブリッジはトップロード方式で、弦をボディ裏からではなく、ブリッジ・エンドから通す仕様になっている。これは1958〜59年に採用された方式で、となると“ドラゴン・テレキャスター”にはボディを貫通するストリング・ホールは空いていないということになる(フェンダーから発売されたレプリカでは、両方式に対応できるようにホールがあったが)。

1966年、ジェフがヤードバーズを去る前後に、このギターは同じくヤードバーズのメンバーとなっていたジミーの手に渡ったと言われることが多いが、今ひとつその詳細ははっきりとしない。

ジミーの証言では、“エリック・クラプトンがヤードバーズを辞める時、最初に声を掛けられたのは自分だったが、それを断って、代わりにジェフを推薦した。その結果、ヤードバーズに加入することになったジェフは、契約金で買った青のコルヴェット・スティングレイで俺の自宅を訪問し、お礼にと言ってこのテレキャスターをプレゼントしてくれた”となるのだが、上述のようにジェフはヤードバーズ時代にこのギターを使っているので、辻褄が合わない。

だが、かなり昔の話で記憶も確かではないだろうし、ロック神話にはこういうことがよくあるから、ここではこれ以上掘り下げないことにしたい。

ただし、ヤードバーズがジェフとジミーのツイン・ギター体制だった1966年秋の写真で、ジミーがこのギターを手にしているものがある。ピックガードはすでに白っぽいものに替わっており、後述する“ミラー・テレキャスター”の仕様に近づいているようだ。この写真からするに、遅くとも1966年秋にはこのギターは、ジェフからジミーに譲られていたということになる。

いずれにしても、それ以降、このギターがジミーのメインになっていくことは確かだ。

ボディに龍が宿る

1967年に入ると、彼はボディに8個の円いミラーを取り付けた。ステージで演奏中に、ミラーに反射した光をオーディエンスに当てるなどのパフォーマンスが楽しかったと本人は語っている。

とは言え、すぐ飽きてしまったようで、この年の半ば頃に彼はこのギターの塗装を剥ぎ、ピックガードを透明のアクリル製のものに交換した。そして、自らの手でボディにドラゴン・ペイントを施す。“ドラゴン・テレキャスター”の誕生だ。

何故ドラゴンだったかについては、本人の証言もなく、確信を得るための資料もない。想像するに、彼のツェッペリン時代の有名な衣装としてドラゴン・スーツもあるように、ドラゴンという存在に何か心惹かれるものを感じていたのではないだろうか。

1969年にリリースされたツェッペリンの1枚目や、その頃のライブでも大活躍したこの“ドラゴン・テレキャスター”だが、その後ジミーのメイン・ギターはレス・ポールに移る。

そのため、ツェッペリンは1969年に何度かUSツアーを行なっているが、ジミーはこのギターを自宅に置いて出掛けるようになった。

その間に、陶芸家であり、彼の家の留守番役をしていた友人が、勝手にドラゴンをモザイク模様に描き替え、自宅に戻ったジミーにそれを“プレゼント”として差し出す。

その時のジミーの驚きと絶望感は、かなりのものだったという(それにしても、その友人は今では何をやっているのだろうか?)。

こうしたわけで、「Stairway to Heaven」のソロが1971年に録音された時には、“ドラゴン・テレキャスター”からすでにドラゴンはいなくなってしまっていたのだった。

というところで話が終わると悲し過ぎるのだが、続きがある。

2019年にジミーは、“ドラゴン・テレキャスター”を見事にレストアしたのだ。

今回のペイントは自分の手ではなく、グラフィック・デザイナーにやってもらったのだそうで、写真で見ると、ボディに施されたペイント・ワークは完璧と言っていい出来映えだ。

このことを知らない世界中のジミー・ペイジ・ファン、ツェッペリン・ファンに、声を大にしてお伝えしたい。

ドラゴンは無事、元の住処に戻っている、と。

ドラゴン・テレキャスターを奏でるジミー・ペイジ
1968年9月、ボウイング奏法でドラゴン・テレキャスターを奏でるジミー・ペイジ

ギター・マガジン2023年9月号
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ギター・マガジン2023年9月号では、世界中のギタリストたちを魅了する、テレキャスターを大特集! 国内外の名手たちが、自らの愛器を語る。