エピフォン・カジノの生産地と仕様の変遷を辿る企画。今回は1976~1979年の日本製ブルー・ラベルの時期を紹介。
文:大久達朗 機材写真:星野俊 機材協力:PURPOSE Music Store 三井拓郎
*本記事は、ギター・マガジン2025年6月号の特集『Epiphone – Now and Then』内の「カジノで辿るエピフォンの生産場所と仕様変遷」を転載したものです。
1976~1979年 日本製ブルー・ラベル(マツモク製)
70年に日本国内で復活したマツモク製の“ブルー・ラベル”

1970年、ギブソン社は日本の神田商会/荒井楽器と“エピフォン・ブランド”に関する業務提携をスタートさせる。そしてこれ以降、20年近くの期間にわたってエピフォンのギターは日本で作られることになる。
70年から75年までは、日本独自のオリジナル・ギター(通称スクロールで知られるSC-550など)をエピフォン・ブランドの冠で発売していたが、76年からエピフォン・カジノが日本製で復活。製造は通称“マツモク”でお馴染み松本楽器製作所だが、この時期のエピフォン製品は日本のみの流通製品で、海外向けとしては出荷されていない。当時の日本での定価は65,000円で、バイオリン・フィニッシュ(サンバースト)とナチュラルの2色が発売された。
当時の日本製カジノの最大の特徴は、従来のマホガニー・ネックからメイプル3ピースのネックに変更されたこと。ここから10数年間カジノはメイプル・ネック構造となる。ラベルはUSA製だった当時と同じデザインの、ブルーのラベルがサウンドホール内に貼られていたが、この時期のラベルには右下に“MADE IN JAPAN”と書かれている。また搭載されたP-90のピックアップも日本製のパーツだった。なお、米国製品との混同を避けるため日本を含むアジアで製造されるエピフォン・カジノのほとんどのモデルは、トラスロッド・カバーが3点留めになる(一部そうではない時期もある)。現在も見慣れた“3点留め”はこの76年から始まったものだ。
カジノ以外にもこの時期のエピフォン製品には前述のソリッド・ボディ・ギターやフラット・トップのアコギもラインナップに揃えられていたが、フラット・トップの一部商品ではブルー・ラベルではなく、通称“リンカーンウッド・ラベル”と呼称される四角く白いラベルが貼られたものがあるが、カジノに関して言えばこのラベルは使用されてない。
この時期に日本で展開されたエピフォン・ブランドの広告(次の画像)を見ると、ギブソン/エピフォンの長きにわたる歴史の重みを主張する宣伝文が目に付く(ただしエピフォンは1873年設立、1908年からNYに所在したブランドで、広告文の記載には一部誤認も見受けられる)。その伝統が新たに日本にて引き継がれたのは今も誇らしい点だろう。

なお、とても微妙な話となるが、70年代後期〜80年代にかけて、日本の荒井貿易が有するブランド、アリア・プロからは、CA-100というギターが発売されていた。これはヘッドのロゴ(Aria Pro 2)やホール内ラベル以外は当時の日本製エピフォン・カジノとまったく同じギターであって(ただしトラス・ロッド・カバーは2点留め)、同じくマツモク製。アリア・プロのギターは海外にも輸出販売されていたため、日本でしか流通していないエピフォン・ギターの代替品という意図だったと推察できる。






ギター・マガジン2025年6月号
表紙/特集
EPIPHONE – NOW&THEN
エピフォン〜継承されるギブソンの魂。
2025年5月13日(火)発売