エドワード・ヴァン・ヘイレン1978年の初々しいお宝インタビュー エドワード・ヴァン・ヘイレン1978年の初々しいお宝インタビュー

エドワード・ヴァン・ヘイレン
1978年の初々しいお宝インタビュー

ギター・マガジンWEBおよび12月発売の本誌では、エドワード・ヴァン・ヘイレンの追悼特集を展開予定。それに先駆け、1978年7月に日本ツアーから帰国したばかりの若き日のエディが語った貴重なインタビューをお届けしよう。ぜひヴァン・ヘイレンの楽曲を聴きながら読み進めてほしい。なお、本記事はギター・マガジン1996年11月号に掲載された内容を一部抜粋、再編集したものです

Text by Jas ObrechtTranslation by Mariko Kawahara Photo by Fin Costello/Redferns


僕は、既製のギターは嫌いなんだよ。

まずはギターについて教えてくれる?

 どのギターのことかな? いいのを3本持っているんだよ。ひとつはストラトのコビー・モデル。フェンダーじゃないよ。シャーベルっていう会社のギターだ。50ドルでボディを、80ドルでネックを買ってきて、古いギブソン・ピックアップを付けて、自分で組み立てた。これがメイン・ギターだよ。縞模様の塗装が施してあるんだけど、外見も僕だけのオリジナルさ。

ネックには最初からフレットが付いていた?

 大抵は自分で付けるね。ギブソンのテカいヤツを付けるのさ。

電気系統は?

 ボリューム・ツマミがひとつ、そしてピックアッブがひとつだ。それだけだよ。オシャレなトーン・ツマミは付いてない! 宇宙感覚のギターを持ってる人は大勢いるよね。フェイズ・スイッチ、イコライザー、トレブル・ブースターなんて付けてる人たちのことだ。日本へ行った時、エンドースメント契約を結びたいというその手の会社がいてね。ツマミが20も付いてるギターをくれたんだけど、どうやって使ったらいいのかわからなかった(笑)。“クソッ、俺のをくれよ。ツマミがひとつのヤツだ”って言ってしまった(笑)。それだけでいい。シンプルだけど、イカした音が出せるからね。

ほかのギターは?

 もう1本はアイバニーズ。僕がノコギリで手を加えた。「ユー・リアリー・ガット・ミー」で使ったギターだよ。ボディを切って、塗装を施した。フライングVとエクスプローラーを足して2で割ったような感じだね。最高だよ。もう1本はここ2、3日のオフの合間に作ったんだ。シャーベルに立ち寄ったらボディをくれたんで、それにダンエレクトロのネックと古いギブソン・ピックアップを付けた。

メインのストラト・タイプはいつ手に入れたの?

 2、3年前だ。その前は古いゴールドトップのレス・ポールを持っていたけど、塗装したら使えなくなっちまった! ギターの扱い方なんて誰も教えてくれなかったから、試行錯誤しながら自分で覚えていくしかなかったんだ。同じようにたくさんのギターを使いものにならなくしてきたよ。でも、今は好きなようにギターをいじることができる。僕は、既製のギターは嫌いなんだよ。そういうギターではやりたいことができないからね。

どのようなことを表現したいわけ?

 思いっきり弾いてスクリームすることさ! まずアームか必要だ。チューニングが狂わないようにちゃんとセットアップしないといけないけど、それができるようになるまでは時間がかかったよ。誰も教えてくれなかったからね。ほかのギタリストに話しかけたりもしたけど、やり方なんか教えてくれなかった。それで自分で見つけたんだ。今は思いっきり弾いてもチューニングは狂わない。

音楽理論なんかは
すべてピアノを弾いて覚えた。

ギターを弾き始めたのはいつ頃?

 うーん、そうだなあ。弾き始めてから8~10年になる。僕もアル(アレックス・ヴァン・ヘイレン)もオランダで生まれた。父親はそこでプロのミュージシャンをやっていてね。サックスとクラリネットを吹いていた。ラジオ番組で演奏していたね。当時はレコードの代わりにラジオの生番組があったのさ。というわけで、僕たちもかなり小さい頃から父親に音楽を教わった。ふたりとも6、7歳の時にピアノを始めたね。

正式なレッスンを受けたの?

 もちろん。

読譜も覚えた?

 ああ! もちろんだよ。音符は読めるから。ギターの譜面も少しは読める。でも、AとかEとか書いてあると、ピアノのどこのことを言ってるのかわからないんだ。ピアノは長い間弾いていたよ。音楽理論なんかはすべてピアノを弾いて覚えた。大物コンサート・ピアニストだった年寄りのロシア人の先生についてね。両親たちはコンサート・ピアニストにさせたかったんだな。でも働くようになって金が手に入ると、僕はドラム・セットを買ったってわけ。

それはオランダでのこと?

 いや、アメリカに来てからだね。10年くらい前に、67年〜68年にこっちに越してきた。クリームが活躍していた頃にやってきた。当時の僕はロックンロールにあまり入れ込んでなかった。大したシーンでもなかったしね。アメリカに引っ越してきて、68年にヘンドリックスとクリームを観てから変わったね。“ピアノなんでクソくらえだ! 座ってなんかいたくない! 立ち上がってクレイジーになりたんだ!”って叫んだよ。まあ、アメリカに来る以前に僕はドラムを始めていたし、兄貴はナイロン弦のフラメンコ・ギターのレッスンを受けていた。ただ、ドラム・セットの支払いをするために、僕が働いて金を稼いでいる間、兄貴はドラムを叩いていて、僕よりうまくなった。つまりさ、兄貴には「ワイプ・アウト」が叩けたけど、僕には叩けなかったってこと(笑)。そんな感じだったんで、“じゃあ、兄貴はそのままドラムを叩けよ。俺がギターを弾くから”ってことになった。それ以来、ずっと一緒にプレイしている。僕はほかのドラマーとは一度もやったことがないよ。

最初に弾いたギターは?

 テスコ・デル・レイだ。ピックアップが4つ付いている、70〜80ドルのギターさ。

ギターのレッスンは受けたの?

 いや、ギターのレッスンは受けなかった。生まれてからずっとまわりに音楽があったから、耳は養われていたんだろう。けっこうすぐ上達したよ。

プロとして最初のギグを覚えている?

 どこからがプロなんだろう? 単に金を稼いだってこと? それとも最初の裏庭パーティーのことかい(笑)? 僕たちはすごいパーティーでもよくプレイしていたんだよ。