エドワード・ヴァン・ヘイレン1978年の初々しいお宝インタビュー エドワード・ヴァン・ヘイレン1978年の初々しいお宝インタビュー

エドワード・ヴァン・ヘイレン
1978年の初々しいお宝インタビュー

Photo by Paul Natkin/Getty Images

スタジオでも、飛び回って、
ビールを飲んで、クレイジーになってた。

バンドを結成したのはいつ頃?

 今のようになったのは、3年半か4年前だったな。それ以前は、僕とアルと別のベーシストでやっていた。マンモスっていう名前だったけど、歌うのにうんざりしていたね。僕がリード・シンガーも兼任していたけど、あれには耐えられなかった! ギターは弾くだけのほうがいいね。で、デイヴ(デヴィッド・リー・ロス)は別のローカル・バンドにいたんだけど、ライブの時によく彼のPAを借りてたんだ。“畜生! ヤツをバンドに入れたほうが安上がりになるのに!”とか言っててね。それからベーシストのマイク(マイケル・アンソニー)のバンドとも一緒にギグをやっていた。スネイクっていうバンドだったね。僕たちの前座だったけど、みんなぶっ飛んでいたよ。ヤツはバンドのリード・シンガーで、フロントマンだった。当時はデイヴも僕もバンドのフロントマンを務めていたし、なんとなくつるむようになった。LAのパサデナにあるアルカディアってクラブでの話だ。本当になんとなく一緒になったよ。だって、ハイスクールを卒業した頃って、ほかのみんなは弁護士とかになるための学校へ行ってしまうだろう?

そこからたったの4年間で、どうやってこれだけの人気を集めるようになったわけ?

 そりゃあ、どんなところでもプレイしてきたからさ。裏庭パーティから、君の家のトイレと同じくらいの大きさのところまで、なんでもござれだった。しかも、マネージャー、エージェント、レコード会社なしでやったんだ。やっぱり一番のきっかけとなったのがパサデナのライヴハウス、シビックだったな。地元の人にも手伝ってもらってチラシを印刷したんだけど、まあほとんど自分たちだけで働いてね。何千枚というチラシを印刷してハイスクールのロッカーに入れた。初めてプレイした時も、900人は集まったと思う。1年くらい前の最後にやった晩なんかは、3,300人も集まった。まだレコードも出てなかったし、マネージメントもついていないのに。自分たちの曲をやれるのはそこしかなかった。ほかのクラブでもプレイはしていたけど、そちらでは退屈なトップ40ヒットのカバーしかできなかったから。

レコード会社と契約を交わしたいきさつは?

 今、それを言おうとしたところだよ。僕たちはずっとプレイをし続けていた。シビック・クラブでショーをやってたら、LAの音楽シーンの顔役、ロドニー・ビンギンハイマーが僕らのプレイを観にきてくれてね。おかげで、スターウッドやウィスキー・ア・ゴー・ゴーといったクラブでもプレイできるようになった。彼はこう言った、“なんてこった、お前たちすごいな。スターウッドでプレイしてみないか?”ってね。そこで4〜5ヵ月プレイしたんだけど、ある日、今のマネージャーのマーシャル・バールが僕たちのプレイを観た。そして、誰が来ているかは秘密にしてこう言った。“おい、お前らを観に来てる人がいるんだ、うまくやれよ”。当時、彼は僕らとはなんの関係もなかったのに、わざわざ便宜をはかってくれたんだよ。結局、雨の降る月曜日の晩の空っぽのスターウッドの、ほとんど客のいない会場に向けていいショーをやった。ショーを終えてみんなで“いいショーだったな。すこいぞ、俺たち”なんて言い合ってるところへ、突如としてマーシャルがプロデューサーのテッド・テンプルマンとモー・オースティン(ワーナー・ブラザーズ幹部)を連れて来た。すごいことだよね。だってほかのバンドと話したりしても、みんなテッドにアルバムをプロデュースしてもらおうと思ってたんだぜ。でも、彼はワーナー・ブラザーズ内部でしか働いていないんで、ほかのレコード会社のアーティストのプロデュースはやらないんだ。その彼がそこにいた。彼はこういった。“おい、良かったよ”。そして、それから一週間以内に僕たちは契約を交わした。まるで映画から抜け出たようだったな。

アルバム制作にはどれくらい時間をかけた?

 3週間だ。アルバムはほぼライブ録りで、オーバーダブはしていない。そこがテッド・テンプルマンのすごいところだ。アルバムに収録されている10曲中、ソロをオーバーダブしたのはほんの2、3曲だった。「アイス・クリーム・マン」と「ジェイミーの涙」ではダビングをしたけど、あとはすべてライブ録りだ! 機材もライブの時と同じものを使った。リズム・トラックの最中にソロを弾いたのも同じギターだし、アルは一種類のドラムしか使わなかったし(笑)。デイヴはブースに立って同時にリード・ボーカルを録ったものが多かった。オーバーダブしたのはバッキング・ボーカルだけだね。同じ部屋でアンプと一緒に歌いながら弾くことはできないから。そんなことしたらマイクに血を吐いちまう。インスト部分は1週間かかった。スタジオで書いた「ジェイミーの涙」も含めてだけど、この曲もベーシック・リフのアイディアはあったしね。そしてギター・ソロだけど、「暗闇の爆撃」は当初はアルバムに入れるつもりはなかったんだ。アルとふたりでウィスキーでのショーのリハーサルをやっていた時のことだ。ウォーミング・アップのためにソ口を練習していたら、テッドがやって来て、“おい、そりゃなんだ?”と聞いたんだ。“ライブでやるちょっとしたソロだよ”って僕か言うと、“そいつぁ最高だ! アルバムに入れよう”と彼は言った。というわけで、インスト部分は1週間、ボーカルは2週間ほどかかったね。

スタジオとライブの違いはなんだと思う?

 アルバムと今やってるショーを比べたら、違いは何もないよ(笑)。実際スタジオでも、飛び回って、ビールを飲んで、クレイジーになってたしさ。その雰囲気がアルバムにも出ていると思う。ほとんどのバンドは、やたらとオーバーダブやダブル・トラッキングとかをやりたがるけど、そんなの本物じゃないよ。それに、オーバーダブのしすぎでライブ感が引き出せないまま、ボタンを押してテープ・マシンをちゃんと稼働させることだけに満足しているバンドもたくさんいる。でも、僕らは本物のライブ感を損わなかったし、次のアルバムでもほぼ同じ感じになるだろうね。

次のアルバムのアイディアはもうあるの?

 1stアルバムの時は、テッドと一緒にスタジオへ行って、ただライブをやって、40曲ほど録音した。その40曲の中から9曲選んで、1曲アルバム用の曲をスタジオで書いた。だから曲はたくさんあるんだ。そう言えば、ここ数日のうちテッドと会ってそのテープからどの曲を次のアルバムに使うかを決めるつもりだよ。でも、そのあともずっと曲を書いてきたから、あのテープを作った以降にも曲は増えている。テープのあまり曲だけでも30曲はあるから、次のアルバムはあのテープからの曲だけしか使わないかもね。それだけでも十分にヒットするっていう確信がテッドにはあるらしいんだ。ちょっと磨きはかけるけど、基本的なアイディアは同じだと思う。