世界中のミュージシャンが自分の才能を信じて移り住み、日夜凌ぎが削られているジャズの本場N.Y.。1985年9月1日、サンパウロ出身で現在35歳の俊英リカルド・グリーリも、その戦場に身を投じたひとりだ。2013年に発表した『If on a Winters Night a Traveler』でリーダー・デビューを果たすと、2016年には『1954』、そして今年7月には3rd作『1962』をリリース。さっそく、コロナ禍でN.Y.の自宅にいる本人に、ギターを始めたきっかけから『1962』でのプレイ、普段の練習方法までたっぷりと語ってもらった。
取材/文=石沢功治 通訳=川原真理子 写真=本人提供
年下のミュージシャンたちからもものすごく刺激されたよ。
まずは音楽的なキャリアについて聞かせて下さい。ギターを始めたのはいつ頃ですか?
13歳頃だけど、本格的に好きになるのは17~18歳になってからだった。レコード屋を経営していた友人がいろんな音楽を紹介してくれて、そしてジャズも好きになったんだ。それで両親を説得してコンセルバトリオ・スーザ・リマ(編注:音楽学校)に進んで、ルーパ・サンティアゴ(編注:ブラジルのジャズ・ギタリスト)にジャズ・ギターを学んだ。3年間でインプロビゼーションはもちろん、耳のトレーニングやハーモニーの勉強もしたし、それに曲作りを始めたのもこの頃からだったね。
その後バークリー音楽院へ進むんですよね?
そう、2008年に渡米して、バークリー音楽院に通い始めた。ルース・バートレット、ミック・グッドリック、ティム・ミラー、ハル・クルックなどに習ったよ。あそこの素晴らしいところは、練習する場があって、ほかの人たちとプレイできるということだね。入った時は23歳になろうとしていた頃だったから、年下のミュージシャンたちからもものすごく刺激されたよ。
バークリーを卒業して、すぐにN.Y.へ移ったのでしょうか?
2011年に卒業してからも1年くらいはボストンにいて、その間に1st作『If on a Winters Night a Traveler』を作り始めた。その後、そろそろ別のところに行きたくてニューヨーク大学に入ったんだ。とにかく超一流のジャズ・プレイヤーが集結しているから、たとえ成功しなくても、大学に通っていれば少なくとも両親らに言いわけができるかなって、それを口実に2012年に移ったんだ(笑)。
その2013年にリリースした1st作は、今振り返るとどうですか?
ラフな部分もあるしまだ学生臭さが抜けていないけど、とても気に入っているよ。アルバムというのはその瞬間のスナップショットだから、これは録音した時の“2011年の僕”ということだね。
そして2016年に2nd作『1954』をリリースします。参加メンバーはアーロン・ゴールドバーグ(p)、ジョー・マーティン(b)、エリック・ハーランド(d)ですが、カート・ローゼンウィンケルの2006年のライブ盤『Remedy』のリズム体と同じです。しかも『Remedy』のピアノはアーロン・パークス……どちらもファースト・ネームが同じ(笑)。それはともかく、この2ndであなたはポスト・ローゼンウィンケルの一角と目されるようになりました。メンバーの人選は意図的だったのですか?
多少の意図はあったよ。『Remedy』は僕にとってスペシャルなアルバムだからね。N.Y.に移るといろんな人たちとプレイするようになって、共演した人からまたほかの誰かをすすめられてと、人脈がどんどん広がっていったんだ。それがすごいインスピレーションにもなった。特に1990年代後半から2000年代前半に活躍した人たちが僕にとってとても重要だったから、『1954』と今年リリースした『1962』は、その世代の人たちへの僕からのラブ・レター的なアルバムにしたかったのさ。彼らがいなかったら、僕はミュージシャンになっていなかったかもしれないわけだから。
ハーモニー的に複雑なおかげでおもしろいソロができる。
では、最新作『1962』について聞かせて下さい。今作はピアノがケヴィン・ヘイズに変わったことに加えて、かつて1990年代後半から2000年代前半にローゼンウィンケルとのコンビでN.Y.のジャズ・シーンを席巻したマーク・ターナー(ts)が参加しています。まずアルバム・タイトルですが、1954年は父親の、1962年は母の誕生した年とのことですが、どうしてそれを?
ふたりがいてくれたおかげで僕が存在しているわけだから、ある意味それが僕の人生という旅の始まりだったわけだ。そして、僕の音楽は1950年代から60年代の例えばビ・バップ、ハード・バップ、ロックなどからの影響がかなり強いことに気がついた。それに1990年代後半から2000年代世代のローゼンウィンケルやマーク・ターナー、それにブラッド・メルドー(p)やブライアン・ブレイド(d)といった人たちからすごく影響を受けているから、1st作、そして『1954』と『1962』もその伝統を受け継いだものにしたかった。マーク・ターナーはかつて僕の先生だったけど……いや、今でもだな、ハハハ(笑)……それはともかく、彼はジャズを木と見なしていて、僕たちはみんな枝で、幹や根から生まれているんだって。僕は自分の音楽を、彼やそのほかの人たちの枝から生まれたものにしたいんだ。これで質問の説明になったかな(笑)。とにかくアルバム・タイトルっていうのは、僕たちにインスピレーションを与えてくれるもの、もしくはリスナーが雰囲気に浸るために重要なだけなんだと思うよ。
『1962』は『1954』の延長線作と言っていいのでしょうか?
まさにそうだ。『1962』は『1954』を進化かつ発展させたアルバムだから、『1962』の1曲目「1954-1962」でふたつのアルバムの橋渡しをさせたんだ。というのも『1962』は2018年の夏にレコーディングしたけれど、収録されている曲は『1954』と同じ頃に作ったもので、だから曲想が似ている。ただ『1954』のほうがもうちょっとロックの雰囲気があるかな。それはピアノのアーロン・パークスの影響だろう。そして『1962』のほうがもうちょっと、ジャズ、ハード・バップしているよね。
たしかに「Signs」はバップ調です。これはギターのピーター・バーンスタインに捧げた曲だそうですね?
そう。以前ピーターがああいったブルース調で途中ブリッジがあるものをプレイしているのを聴いたことがあったから、この曲を作り始めた時に彼のことが思い浮かんだ。彼はN.Y.で常に僕をサポートしてくれているから、これは捧げねばと思ったんだよ。
「E.R.P.」や「The Sea and The Night」は今度はポスト・バップ的な曲調です。こういう入り組んだコード進行でソロをとる時のコツやポイントを教えて下さい。
こういった曲は必ずしもツー・ファイブのようなスタンダードな進行じゃない。ハーモニー的に複雑なおかげでおもしろいソロができる。そのためにはボイシングがどう別のコードに移行していくかを考えるんだ。すると一番上とか一番下の音が次のボイシングに導いてくれたりする。例えばクロマティックでトップ・ノートを上昇させながら、下の音は動かさないでキープしたままにしたりすると、不思議なコード進行になっていくよ。ハーモニー内の音はすべてつながっているけど、Dm7→G7→Cmaj7とかではない。問題は、それができたら、今度はそれを使ってインプロバイズできるようにしないといけない。つまり、入り組んだコード進行をスムーズにつなげていくフレーズ・アプローチを身につけていくんだ。
今挙げた2曲でのマーク・ターナーのソロもすごいですよね。
まさにマークはそれを実に見事にやってのける! 彼の音楽はハーモニー的にすごく深いんだ。彼に教わっていた時にチャートで教えてくれたんだけど、コードの主要キーを突きとめて、複数のコードに共通する音と違う音を見つけて、それをどうつなげていくか、印象的なソロにするためにどの音を弾くことが重要なのか、といったことを考えるんだ。もちろんその中で自由に弾けるようになるまでには時間がかかる。でも、そのおかげで僕は常に上達しているし、そして何より楽しい!