Interview|エムドゥ・モクター砂漠で鳴り響く激情のギター Interview|エムドゥ・モクター砂漠で鳴り響く激情のギター

Interview|エムドゥ・モクター
砂漠で鳴り響く激情のギター

それではお待ちかねのインタビューをお届け! 彼の音楽的なルーツや作曲哲学など、たっぷりと語ってもらいました。エムドゥ・モクター本人の言葉から、ギタリストとしての考えを探っていきましょう。

質問作成=田中雄大 写真=WH Moustapha

俺は伝統的な音楽のほうが好きだから、あまりギター音楽を聴かないんだ。

日本で得られるあなたの情報はまだ多くありません。まずは、ギターを始めた経緯から教えてもらえますか?

 初めてギターに触れたのは、兄の友人の家だった。彼の部屋にギターが置いてあったから、それを手に取って、少しの間、弦を弾いてみたんだ。そして、俺がアーティストになりたいと最初に思ったのは、初めて行ったコンサートでデゼール・ルベル(Desert Rebel)のギタリスト、アブダラー・ウンバドゥーグー(Abdallah Oumbadougou)の演奏を観た時だ。その日は、誰もが幸せそうに見えて、みんなが彼の活動を誇りに思っていた。それが、自分もアーティストとしてやっていきたいと思う理由のひとつになったんだ。

ギターはどのように学んでいったのでしょうか?

 独学で学んだよ。でもギターを買うことができなくて、まずは仮のギターを自分で作ることから始めたんだ。それには4本の弦しかなかった。そう、本当のギターではないだろ? ただ、当時の俺にとってはそれがギターだった。自分でイチから作ったそのギターを弾いて、少しずつ弾き方を学んでいったんだ。

あなたのスタイルにとって、トゥアレグ族の民族音楽=タカンバは重要だと思います。読者のために、どのような音楽なのか教えてくれますか?

 タカンバという音楽には、俺が生まれ育った地域に昔からある伝統的な楽器が使われているよ。ンゴニのような弦楽器もいくつか使われているけれど、タカンバのサウンドはギターとはまったく関係のないものなんだ。重要なのは弦楽器で使われている音階で、それがタカンバを特徴づけている。それからテンポもこの音楽の特徴だね。

ギタリストとして影響を受けてきたミュージシャンは誰ですか? あなたは左利きということもあり、“砂漠のジミ・ヘンドリックス”と称されることもありますが、ジミからは音楽的な影響を受けましたか?

 俺はある特定のアーティストよりも、タカンバ音楽に強く影響を受けてきた。俺は伝統的な音楽のほうが好きだから、あまりギター音楽を聴かないんだ。もちろん、好きなミュージシャンはたくさんいるよ。ジミ・ヘンドリックスの演奏の仕方も大好きだし、エディ・ヴァン・ヘイレンも好きさ。彼らの音楽にはインスピレーションの源がたくさんあると思う。あとは俺の出身地付近で言うと、さっきも話したとおり、最近亡くなってしまったアブダラー・ウンバドゥーグー(編注:2020年1月4日に逝去)が大好きだよ。ババ・サラ、アリ・ファルカ・トゥーレ、ウム・サンガレからもインスピレーションをもらっている。それからプリンスがすごく好きだね。俺が制作を手掛け、母国語であるタマシェク語(編注:トゥアレグ語のひとつ)で撮影した映画『Akounak Tedalat Taha Tazoughai(英題:Rain the Color of Blue with A Little Red In It)』(2015年)は、映画『Purple Rain』(1984年)からインスピレーションを得たものだ。今挙げた人たちはみんな、俺にとっての師匠となってくれたアーティストたちだよ。

演奏している時のエネルギーは“観客からきている”。

現在のバンド・メンバーとはそれぞれどのように出会ったのかを教えて下さい。

 ギターのアモウド・マダサネは、俺の音楽を気に入ってくれていた若い遊牧民だった。隣村に住んでいて、学校が休みになると俺の村へ遊びに来ていた。ある日、彼が都心部にある学校から帰ってきた時、俺は彼に初めてのギターとしてアコースティック・ギターをプレゼントしたんだ。そこからアモウドは3ヵ月間ウチに滞在して、一緒にギターを弾いていた。その学習の早さのおかげで、彼は音楽的に素晴らしい飛躍を遂げたよ。そうして俺たちは仲良くなって、定期的に一緒に演奏するようになったんだ。

ドラマーのソレイマヌ・イブラヒムとの出会いは?

 彼とも同じような話で、近所に住んでいたから、ほかのミュージシャンや友人と一緒に、俺の家へ遊びに来ていたんだ。そこで彼はジャンベを演奏したり音楽を聴いたりしていた。その時に、俺たちの音楽のリズムをどんどんと覚えていったんだ。

ベーシストのマイキー・コルトンはアメリカのプレイヤーですが、彼がバンドに参加するようになった経緯は?

 マイキーは以前から俺のバンドのファンで、2011年頃にはサヘル・サウンズ(米レコード・レーベル)のクリストファー・カークリーに“エムドゥ・モクターにはベーシストが必要だから、俺がその役割を担うよ”と手紙を送っていたくらいなんだ。で、以前ニューヨークでツアーをするとなった時、駆け出しの頃だったしあまり資金がなくて、安く雇えるドライバーを必要としていた。その話を聞いたマイキーはすぐに駆けつけてくれて、1~2週間のツアー期間中、俺たちを助けてくれたんだ。その時に俺たちはたくさん話をしたし、一緒にプレイもしたりして、彼と一緒にいると落ち着くということがわかってきた。マイキーとの出会いは、まさに“地上に落ちていた黄金を見つけた”という感じだったよ。彼のおかげで今のバンドがあると言っても良いだろうね。彼は長い間、俺たちのバンドのコミュニケーションを担ってくれて、多くの人々につなげてくれた人なんだ。

マイキーはプロデューサーでもありますが、あなたの音楽について“ハイ・エナジーな部分にパンク・ミュージックと共通する要素を感じる”と評しています。あなた自身、自分の音楽はそうした初期衝動的なエネルギーを持っていると感じますか?

 悪いけど、俺はパンク・ミュージックがどういう音楽かがわからないから、なんとも言えないな。ただ言えることは、俺が演奏している時のエネルギーは“観客からきている”ということ。みんなノリノリで踊っていて、俺たちの励みになるような素晴らしい観客の時がある。そういう時は、自分が何をしているのかわからなくなってしまうほど、圧倒されてしまうんだ。ステージ上にいることはわかっているけれど、自分では何もコントロールできていないような感じになる。そういうエネルギーが空間を乗っ取って、特別な方法でバンドの演奏にまで介入してくるんだ。そういう瞬間に録音するべきギター・ソロが生まれるんだよ。周りの人たちからのエネルギーから生み出されるプレイは、頼まれても再現することはできないからね。

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