告井延隆の華やかなプレイ・スタイルのギターを楽しむ10枚|連載『シティ・ポップ・ギター偉人伝』 告井延隆の華やかなプレイ・スタイルのギターを楽しむ10枚|連載『シティ・ポップ・ギター偉人伝』

告井延隆の華やかなプレイ・スタイルのギターを楽しむ10枚|連載『シティ・ポップ・ギター偉人伝』

シティ・ポップや国産ポップスを彩った名手たちのギター名盤を紹介する連載、『シティ・ポップ・ギター偉人伝』。第5回は、日本一の長寿バンドと謳われているセンチメンタル・シティ・ロマンスにて、スライド・ギターやペダル・スティールなど幅広いギター・ワークで活躍してきた告井延隆の参加作を紹介。

文/選盤=金澤寿和

乱魔堂 『乱魔堂』/1972年

かつて竹田和夫とツイン・リードのバンドを組んでいた洪栄龍が、ヴォーカルの松吉久雄らと71年に組んだ4人組。当初はブルース・ロック色が強かったが、洪がDEW時代に一緒だった告井を準メンバーに迎え、この唯一作では演奏のみならず曲作りでも貢献している。それこそ随所でアコースティック・ギターを鳴らし、スライドやドブロもプレイしてカントリーやアメリカン・ロックに踏み込み、三頭バンドといってもいいほどの存在感。告井作曲「ひたすら」は、モロにはっぴいえんどだ。実際マネ―ジメントは風都市で、サンクス欄には松本隆の名も。

センチメンタル・シティ・ロマンス『センチメンタル・シティ・ロマンス』/1975年

告井が約40年在籍した名古屋出身の名バンド。大らかなウエストコースト・ロックに日本語を乗せる独自スタイルを持ち、確かな演奏スキルと爽快なヴォーカル・ハーモニーを武器として、セッション・ユニットとしても活躍した。このデビュー作には細野晴臣が関与。元々プロデュースを担当する予定だったのに、彼らのスタイルが既に完成域に達していたため、チーフ・オーディエンスと名乗っている。その魅力のひとつは、告井と中野督夫のギター・コンビネーションの妙。でもペダル・スティールやマンドリンでアンサンブルをより表情豊かに彩るのは告井の役割だ。

センチメンタル・シティ・ロマンス『シティ・マジック』/1977年

2作目からドラムに元シュガー・ベイブの野口明彦が加入。ベースも交代し、都会的洗練を深めた充実の3作目。その分最初期のルーツ色が薄まったが、現在はむしろシティポップ方面で高評価を受ける。半分の楽曲を告井が書き、作編曲で手腕を発揮。「夏の日の思い出(ダンシング・ミュージック)」や「雨はいつか」と、彼の代表曲が収められた。中野作の人気曲「ハイウェイ・ソング」が後半カントリー・ロックに変貌するあたりは、まさに告井の閃きだろう。プロフ通り14年にセンチを離れるも、18年に中野が倒れ(21年逝去)、その後もしばしばバンドにゲスト参加している。

竹内まりや『BEGINNING』/1978年

キャンパス・ポップのアイドル・シンガーとして登場したデビュー盤。その実、作曲陣には夫となる山下達郎、林哲司、加藤和彦、細野晴臣らが名を連ね、アナログA面はトム・スコットらとL.A.録音。B面6曲中5曲が箱根でのセンチとの合宿レコーディングで、大貫妙子の作「突然の贈り物」のほか、杉真理が楽曲提供。まりや自身も初オリジナルを書き下ろした。告井は合宿中に2曲書き、箱根録音の全アレンジを担当。ソロは中野督夫に任せ、もっぱらアコギとマンドリンなどで、カジュアルなアメリカン・サウンドを作った。その手腕は07年作『Denim』の再会セッションに繋がる。

宮田あやこ 『LADY MOCKIN-BIRD』/1980年

“札幌のリンダ・ロンシュタット”と異名を取り、近年は故郷で主にジャズを歌っているシンガーの、メジャー唯一作。エンジニアとして知られる松本裕(松本隆の弟)プロデュースの元、久保田麻琴&サンセット・ギャング、細野晴臣、今剛、井上鑑らが参加している。告井はセンチの面々を引き連れ、典型的ウエストコースト・テイストのバラード「蒼ざめた朝」と「帰郷」を提供し、編曲も担当。カントリー・ワルツの後者では、マンドリンにペダル・スティールによるソロと、持ち味を全開にしている。実力派の歌唄いゆえ、もう少しデビューが早ければ、多少活躍できたかも。

岡崎友紀 『SO MANY FRINEDS』/1981年

70年代初頭にオンエアされたコメディ・ドラマ『おくさまは18 歳』で爆発的人気を誇った元祖アイドル、岡崎友紀。結婚〜離婚を経て80年に復帰し、その翌年、オトナの女性路線を打ち出した本作を発表。その後半4曲をセンチメンタル・シティ・ロマンスが全面サポートし、告井が「SAY SAY GOOD BYE」「Catarina Island」の2曲を作編曲。ドゥービー・ブラザーズのマイケル・マクドナルド期のアレンジを手本にしたと思しき緻密なギター・アンサンブルで、極めて洗練度の高いAORスタイルを構築した。

EPO 『GO GO EPO』/1987年

87年にリリースした『GO GO EPO』と『POPTRACKS』は、どちらもセンチメンタル・シティ・ロマンスとの蜜月を封じ込めたアルバム。細野晴臣、窪田晴男や村松邦男など、複数アレンジャーを併用してバラエティ感を演出しつつ、進むべき方向性を探っていた感がある。その中でセンチの出番は各2〜3曲と多くはないが、共に告井編曲でEPOの普遍的魅力をアピール。とりわけバンド名をそのまま曲名に翳した「センチメンタル・シティ・ロマンス」は、告井がシタールやマリンバまでプレイして持ち味を発揮している。

新井正人 『MASAHITO ARAI』/1989年

ヴォーカル・グループのパル、杉山清貴&オメガトライヴの後継ユニット:ブランニュー・オメガトライヴ、あるいはアニメ主題歌を多く歌ったことで知られる実力派シンガー・ソングライター、新井正人。87〜89年に3枚のソロ作を出し、そのすべてがセンチメンタル・シティ・ロマンスとのコラボ・アルバムになっている。特に最初の2作は新井作曲、告井編曲で固められ、実に爽快な西海岸テイストにまとめられた。音的には典型的80’sのリヴァーヴ・サウンドにまみれているが、アコースティック・バラード「やさしさの中へ」から、告井の本音が垣間見える。

告井延隆 『SGT.TSUGEI’S ONLY ONE CLUB BAND』/2008年

57歳にして世に送り出した初めてのソロ・アルバムは、ビートルズの楽曲をアコースティック・ギター1本で完全再現する珠玉のカヴァー・プロジェクト。演奏スキルが凄まじいのは言うまでもないが、楽曲自体が持つメロディやリズム、ハーモニーの魅力を最大限生かしながら、そこに潜む感情やワクワク感をも表現する。つまりアレンジを含めた再構成力がトンでもないのだ。これが好評を得て、現在までに同シリーズ3作とスピン・オフ的な2作品『Paul McCartney Tribute When I’m Sixty-Four』と『THE BEATLES 10』を制作。現在もギター1本で全国津々浦々を旅している。

プロフィール

告井延隆(つげい・のぶたか)

昨年、解散することもなしに結成50周年を迎え、日本一の長寿バンドと謳われているセンチメンタル・シティ・ロマンス。その結成時からリーダー格で参画し、スライド・ギターやペダル・スティールなど幅広いギター・ワークで活躍してきたのが告井延隆だ。

名古屋出身の彼は、70年、洪栄龍や布谷文夫とDEWを結成。1年ほどで洪が新バンド:乱魔堂を結成すると、告井も後から準メンバーとして関わるようになる。73年に結成されたセンチは、75年にデビュー。バンド活動と並行して、シンガーのライヴ・サポートやスタジオ・ミュージシャン・ユニットとしても稼働し、告井は作編曲やコーラスでも活躍。特に加藤登紀子のサポートが有名だ。

2008年、ビートルズ・ナンバーをアコースティック・ギター1本で再現するプロジェクトをスタート。センチ40周年記念イベントが終了した2014年にグループを脱退した。