連載:『Player』盛衰記 第40回|革命的なツール、iMac G3がやってきた 連載:『Player』盛衰記 第40回|革命的なツール、iMac G3がやってきた

連載:『Player』盛衰記 第40回|革命的なツール、iMac G3がやってきた

2023年に惜しまれつつ休刊した音楽雑誌『Player』。楽器を扱う専門誌として『ギター・マガジン』とは良きライバル関係にあっただけに、その不在はやはり寂しい。音楽業界や楽器業界を盛り上げ、読者に大きな影響を与えたその偉大な55年に敬意を表して、元編集長の田中稔氏にその歴史を綴ってもらう。隔週更新。

文=田中 稔
*画像はWikimedia Commonsより(Public Domain)

第40回
革命的なツール、iMac G3がやってきた

前回は、80年代〜90年代にプレイヤー社内の編集作業や事務作業に関わるOA機器が目まぐるしく移り変わったという話を紹介した。特に80年代後期からはワードプロセッサやファクシミリ、コピー機などが編集部に導入されたが、それは我々にとって革命的な出来事だった。今回は、90年代末に導入されたさらに革命的なツール、パーソナル・コンピュータの導入に関して紹介しよう。

1995年に『Microsoft Windows 95』の発売とともに、90年代後半はパーソナル・コンピュータが一般の家庭にも普及し始め、Eメールなどを活用する人が徐々に増えてきた。プレイヤーの社内でも“パソコンは必須だ”との声が高まり、購入が検討された頃、iMac G3が衝撃的なデビューを果たした。

それまでのパソコンといえば、グレーの四角いプラスティック・ボックスに入った小型テレビのような味気ないデザインだったが、G3はカラフルでキュート、トランスルーセント・カラーの2トーン・デザインという、ポップで遊び心満載のルックスが大きな話題となった。

それまで経理ではすでにWindowsのPCを使用していたが、編集部やデザインで使用するならMacintoshのほうが良いということで、全員にiMac G3が導入された。たしか発売されて間もなくのことだったので、1999年ではないだろうか。

大きな段ボール箱に梱包されたG3が編集部に届いた。梱包を明け、ブルーベリー・カラーのG3を自分の机の上に置いた時、ディスプレー一体型であるため、思いのほかその大きさに驚いた。『Player』など様々な雑誌や書籍類を机の上に山積みにしていた僕はG3に場所を占領されて、いきなり仕事スペースが小さくなった。

G3に電源や電話回線を接続し、恐る恐る電源を入れると、“ジョワ〜ン〜”という余韻のあるあのオープニングが聞こえてきた。“おお、こ、これがMacか〜!”と気持ちが高まった(笑)。

初代iMac
初代のiMacは1998年夏に登場した。従来のパソコンのイメージを覆す大胆なデザインは、PCをグッと親しみやすいお友達にした。
初代iMac
iMacには、5種類ものカラーバリエーションが用意された。どれもカラフルなトランスルーセントの2トーン・カラーで、トランスルーセント・ブームの火付け役となった。

当時、ワープロでは“かな入力”をしていた僕だったが、周囲から“ローマ字で入力したほうが速いですよ”と言われつつも、G3も半年近くは“かな入力”で頑張っていた。その後、結局今の“ローマ字入力”に変更したわけだが、“最初から素直にアドバイスを聞いておけばよかった……”と実感した。

インターネット接続サービスの登場は、編集作業というより、日本のビジネス界全体に大きな革命をもたらした。これまでライターさんから手渡しされていた原稿用紙やFAXで送られてきた原稿は、いつしかEメールで送られてくるようになり、編集者は原稿というよりデータの管理が重要な仕事となった。

編集部からデザインに入れる原稿がデータになり、デザインから製版会社に入稿するのもデータ、80年代末に導入されたPCは、瞬く間にデスクになくてはならない大きな存在となった。さらに90年代は、これらのツールに加えて携帯電話(ガラケー)や電子辞書、電子手帳がプライベートや仕事でも使用されるようになり、編集作業はますます様変わりしていった。

新しいOA機器が導入されるたびに編集作業は変化したが、特にPCの登場は編集者の仕事のスタイルや内容に大きく影響を与えた。原稿を書くのもPC、原稿を読むのもPC、赤字を入れるのもPC、デザインをするのも、写植や製版会社に入稿するのも、校正を見るのも、赤字を入れるのも、ほとんどの作業をPCで行なうようになった。

特に90年代後半から原稿は完全にデータ化され、基本的な作業はすべてPCを介して行なわれた。以前はありがたくいただいていた原稿用紙に書かれた原稿も、その多くがEメールによりデータとして送られるようになったが、たまに手書きの原稿を渡されると、ちょっとイラッとしながら写植屋さんの苦労を味わった。

PCの導入以降、編集者の仕事内容そのものが変わってきたことで、原稿用紙は大きなメモ用紙として使用されるようになった。『Player』では、以前から原稿を編集者自身が書くことも多く、ライターを兼ねることはよくあった。しかし、90年代以降になると、写植屋さんの仕事の一部や、デザイナーの仕事の一部、製版の仕事の一部も編集者が行なうようになっていった。

そして、それらのデータ管理が編集員の重要な仕事となり、引き出しの中はフロッピー・ディスクでいっぱいになった。一昔前まで大切にされていた原稿用紙(『Player』ではオリジナルの原稿用紙が常に数万枚ストックされていた)やワープロは、いつしか邪魔な存在となり、事務所の隅でホコリをかぶっていた。

G3の導入から3〜4年して、iBook G3シェル・モデルに買い換えた。それまでの大きなディスプレイ一体型のデスクトップとは異なり、コンパクトで軽量、しかも携帯も可能。カラーはやはり青系のブルーベリーだった。このiBookはかなり長期間使用していて、おそらく7〜8年は使っただろう。

仕事の大半の作業をiBookに依存していた僕は、これにトラブルが発生すると全ての作業が停止し、どうすることもできずに呆然とした。“明日の朝、iBookの機嫌が直って、何事もなかったかのように 「ジョワ〜ン〜」と動いてくれないかな……”と、神に祈るのだった。

iBook G3
2代目として導入されたiBook G3シェル・モデル。こちらにもトランスルーセントの2トーン・カラーが採用された。このモデルはキーボードの一部が破損するまで長く使用した。

著者プロフィール

田中 稔(たなか・みのる)

1952年、東京生まれ。

1975年秋にプレイヤー・コーポレーション入社。広告営業部、編集部にて『Player』の制作を担当。以来編集長、発行人を経て1997年に代表取締役就任。以降も『Player』の制作、数々の別冊、ムック本を制作。48年間にわたり『Player』関連の仕事に深く関わった。

以後はフリーランスの編集者として活動し、2025年4月、クラプトンに魅せられた10人のE.C.マニアのクラプトン愛を綴った『NO ERIC, NO LIFE. エリックに捧げた僕らの人生.』(リットーミュージック発刊)を制作。2025年9月、電子マガジン「bhodhit magazine(バディットマガジン)」の名誉編集長に就任。

アコースティック・ギターとウクレレの演奏を趣味としている。


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『Player』盛衰記