「いとしのレイラ」を奏でた、エリック・クラプトンの1956年製ストラトキャスター“ブラウニー” 「いとしのレイラ」を奏でた、エリック・クラプトンの1956年製ストラトキャスター“ブラウニー”

「いとしのレイラ」を奏でた、エリック・クラプトンの1956年製ストラトキャスター“ブラウニー”

エリック・クラプトンとストラトキャスターとの蜜月の関係──その始まりとも言える1本が、2トーン・サンバーストの1956年製ストラトキャスター=“ブラウニー”だ。初のソロ・アルバムやデレク&ザ・ドミノスの不朽の名盤『いとしのレイラ』を彩った伝説のギターについて、その詳細をじっくりと見ていこう。

文=細川真平 Photo by Koh Hasebe/Getty Images

エリック・クラプトンを魅了した“ソフトV”ネック

エリック・クラプトンは、1967年5月7日にロンドンの楽器店、サウンド・シティ(Sound City)で56年製のサンバースト・フィニッシュ/メイプル・ワンピース・ネック指板のストラトキャスターを400ドルで購入する(イギリスでのことなので、通貨単位はポンドではないかという気もするのだが、どの資料でもドルとなっているので、ここでもそうしておきたい)。

5月11日からニューヨークで、クリームの2ndアルバム『Disraeli Gears(邦題:カラフル・クリーム)』のレコーディングが始まっているが、そのために渡米する直前のことだった。

シリアル・ナンバーは“12073”。何の変哲もない56年製ストラトだ(もちろん今ではビンテージ・ギターとして高嶺の花ではあるが)。

この年にストラトのボディ材はアッシュからアルダーに変更となったが(一部でアッシュも残った)、この個体はアルダー・ボディになってからのもの。スモール・ヘッドで、ネック裏にはトラスロッドを埋め込んだ跡であるスカンク・ストライプがついている。

サンバーストは黄色地に黒を加えた2トーン。1958年からはこれに赤を加えた3トーンとなるが、56年製まだ2トーンで、全体が茶色がかって見えることから、このストラトは“ブラウニー”と呼ばれるようになった(エリックがそう呼び始めたのか、それとも別の人か、またいつからなのかなどは不明だ)。

このギターが実際にメインで使用され始めるのは、購入から2年以上もあとのことになる。エリックはブラインド・フェイス(1969年)で、ストラト・ネックが移植されたカスタム・テレキャスターを使用していたが(ハイド・パークでのデビュー・ライブの映像でも確認ができる)、このネックこそが“ブラウニー”のものだった。

つまり、彼はせっかくストラトを購入しながら、当初はネックしか使わなかったわけだが、逆を言えばそれだけこのネックを気に入っていたということでもある。

その形状はやや三角がかったラウンドで、いわゆる“Vシェイプ”よりも丸みを帯びている。彼のシグネチャー・モデルである“エリック・クラプトン・ストラトキャスター”は今も、フェンダーが“ソフトV”と呼ぶ形状のネックが採用されているが、それはこの“ブラウニー”のネック形状に端を発したものと言える。

『いとしのレイラ』での極上サウンドが生み出される

彼がこのストラトをメインで使用し始めたのは、1969年の11月からレコーディングが始まった初めてのソロ・アルバム『Eric Clapton(邦題:エリック・クラプトン・ソロ)』でのこと。

それまで彼が最前線にいたブリティッシュ・ブルース・ロックとは打って変わった、米南部に起源を持つスワンプ・ロックの大らかなグルーヴの中で、カリッとしたストラトのトーンが非常に映えている。

ジャケットに“ブラウニー”が登場したこのアルバムは、1970年8月にリリースされた。しかし、この初のソロ・アルバムを発表した時に彼は、デレク・アンド・ザ・ドミノスで活動を始めていた。ドミノスの結成は1970年の春頃で、当初のメンバーにはデイヴ・メイスン(g)もいた。彼もまた、その時期にスワンプ化した英国アーティストの1人だ(ジョージ・ハリスンも同じ)。

このドミノスの初期のライブでは、エリックはレス・ポール・カスタムを使っている。その前、1969年12月に、デラニー&ボニーのヨーロッパ・ツアーにジョージ・ハリスンとともに参加した時にもこれを使っており、その流れもあってか、ライブではレス・ポール・カスタム、スタジオではストラトと使い分ける、言ってみれば過渡期があったようだ(『Eric Clapton』で聴ける音がすべて“ブラウニー”と思われることからもそう言える)。

そして、ドミノスの初にして唯一のスタジオ・アルバム『Layla and Other Assorted Love Songs(邦題:いとしのレイラ)』は、1970年11月にリリースされた。やはりここでも、ギターは“ブラウニー”のみが使用されている。

“ブラウニー”とコンビを組んだアンプはフェンダー・チャンプで、小型アンプだからこその真空管がサチュレーションし切った素晴らしいトーンを聴かせてくれている。

また、このアルバムの裏ジャケットにも、大きく“ブラウニー”が登場する。散らばるドミノに埋まりそうになっているその雄姿は、まさにドミノスの象徴のようだ。

しかしそのドミノスは短命に終わり、1971年には解散してしまうが、1970年10月23日、24日のニューヨークのフィルモア・イーストでのライブを収めた『In Concert』が1973年になってリリースされた。
ここでも“ブラウニー”の、生々しくも伸び伸びとしたトーンを聴くことができる。

その後、“ブラッキー”に主役の座を奪われる形で、“ブラウニー”は登場する機会がなくなってしまった(1970年代の日本公演なども含め、ライブでサンバーストのストラトが使われることはあったのだが、“ブラウニー”かどうかは不明)。

そして、1999年6月、アルコールと薬物の治療センターであるクロスロード・センターの資金集めを目的としたオークションに出品され、497,500ドルで落札されている。

エリック・クラプトンと“ブラウニー”

使用された期間の長さなどもあって、クラプトンのストラトと言えば“ブラッキー”と思われる方も多いだろう。しかし、『Layla〜』を愛するファンにとっては“ブラウニー”も同じぐらい、もしくはそれ以上に、心に残っているギターだと言えるはずだ。