ヴァン・ヘイレンよりジェフ・ベックが先だった!? 謎多き、“フランケン”ストラトキャスター ヴァン・ヘイレンよりジェフ・ベックが先だった!? 謎多き、“フランケン”ストラトキャスター

ヴァン・ヘイレンよりジェフ・ベックが先だった!? 謎多き、“フランケン”ストラトキャスター

ジェフ・ベックがJBGの2作目『Beck-Ola』(1969年)から導入したいくつかのストラトキャスターの中で、ひときわ使用頻度の高かった“フランケン”・ギターについて深掘り。数少ない手がかりをもとに、正体不明なこのモデルについて考察していこう。

文=細川真平 Photo by Andrew Putler/Redferns

寄せ集めのパーツから生まれた、入手経路不明の“フランケン”

“フランケン”・ギター(寄せ集めのパーツで作られたギター)と言うと、エディ・ヴァン・ヘイレンの改造ストラトキャスター・タイプを思い浮かべる方が多いと思うが、ジェフ・ベックはそれよりも前に“フランケン”ストラトを使用していた。しかしこれがまた、ジェフのほかの多くのギター同様に謎が多い。

ジェフは第1期ジェフ・ベック・グループの2作目『Beck-Ola』(1969年)からストラトを導入している。それにはジミ・ヘンドリックスからの影響があったとも言われているが、ジェフは1950年代には、史上初のストラト・ヒーローであるバディ・ホリーに憧れる少年でもあった。つまり、ジミから受けた衝撃体験はもちろんあったにせよ、彼の中でストラトを使う“機が熟した”のがこのタイミングだったように思う。

この時彼が入手したストラトは複数本あったと言われているが、その中で、それ以降何年にもわたって非常に使用頻度が高かったのが“フランケン”だ。見た目の特徴としては、塗装を剥がしたナチュラル・ボディ、ヘッドのフェンダー・ロゴ等が削除されたスモール・ヘッドのメイプル1ピース・ネック/指板、右ホーン側の先端部分が切り落とされたピックガードなど。入手経路などはまったく不明だが、どう見ても普通に店で売っていたものではなく、誰かの持ち物を譲られたとしか思えない。

ジェフ・ベック
ジェフ・ベックと“フランケン”・ストラトキャスター。(Photo by Blick/RDB/ullstein bild via Getty Images)

まず製造年について考察していこう。このギターのフロント・ピックアップは、4弦(D)のポールピースの背が高い“Tall D”と呼ばれる1954〜1955年の仕様。センターとリアはそれ以降の、3弦(G)のものが高い“Tall G”。このフロント・ピックアップの特徴だけを見て判断したのか、海外のサイトなどではこのストラトを1954〜1955年製としているものもある。だが、上記のとおりセンターとリアのピックアップはフロントと年式が異なっているし、露出した杢目を見るとアルダー材だと思われる。当初アッシュだったボディ材がアルダーに変わるのは1956年の途中からだから、このストラトもそれ以降のものだと言えるろう。となると、むしろフロント・ピックアップのみが初期の“Tall D”に交換された可能性のほうが高いと言える。

塗装が剥がされた理由だが、1960年代終わり頃から1970年代半ばあたりにかけて、“ギターの塗装を剥いで、木に呼吸させたほうが音が良くなる”という説が広まった。そのため、ジョン・レノンのエピフォン・カジノや、ロビー・ロバートソンのテレキャスター、ミック・ロンソンのギブソン・レス・ポールなどの塗装が剥がされたが、このジェフのストラトも同じだったのではないだろうか。だからこそ、通常のナチュラル・フィニッシュとは違って、露出した木部にクリア塗装が吹かれていないように見える。ただし、これをジェフがやったのか、彼の入手以前にこういう状態になっていたのかは(ほかの改造箇所も含めて)不明だ。

メイプル1ピース・ネック/指板については、ヘッドのデカール類がすべて削除されているので何の判断もつかず、こうなるとフェンダー製でない可能性もなくはない。ただ、ストリング・ガイドは羽根型のものが1個付いている。ストリング・ガイドが円型から羽根型に変更されたのが1956年途中だから、このネックがもともとこのボディのものだとすれば、やはりこのストラトは1956年半ば以降のもので、ローズウッド指板に変更になる1959年前期までの個体ということになる。

70年代後半まで頻繁に登場していたローズウッド・バージョン

さて、このメイプル1ピース・ネック/指板の“フランケン”は見たことがない方もいるかもしれない。確かにそのとおりで、この仕様の時期の写真はほとんど残っていないのだ。しかし唯一、1972年にドイツのTV番組『BEAT CLUB』に第2期ジェフ・ベック・グループが出演した時の映像があり、そこでこの仕様を確認することができる。この映像は今ではYouTubeに上がっているのだが、公式なチャンネルではないので、ここではリンクは差し控えておきたい。

ピックガードの右ホーン側先端部分が切断されている理由も謎だ。また、その切断部分からやや内側のところに、円い穴が空いている理由も。これは、なんらかのトグル・スイッチが付いた別のギターのアッセンブリーから、ピックガードのみが移植されたからと見る向きもあって、確かにその説明が一番納得できそうだ。また、このピックガードは3プライのホワイト・ガードに見えるので、1965年以降のものと言いたいのだが、左側のフロントとセンター・ピックアップの間のビスが両者のちょうど真ん中にあり、これは1963年までの仕様であることから(それ以降はこのビスがブリッジ寄りに移動する)、このピックガードはオリジナルではなく、別途製作されたものだったと思えてくる。(ただし、写真のみから判断しているので、実際にはグリーン・ガードの可能性もなくはなく、その場合には1959年後期から1963年前期までのものとなる)。

ほかの特徴としては、ボリューム・ノブに1965年式ジャズマスター用のものが使用されている。それがそこにあったから付けたのかもしれないが、1976年のステージ写真で、ホワイト・フィニッシュ/ローズウッド指板のストラトのボリューム・ノブを、やはり1965年式ジャズマスター用のものに交換しているのが確認できる。つまりジェフは、操作性なのか使用感なのかはわからないが、このボリューム・ノブを気に入って、あえて使っていたのではないだろうか。とは言え、すべてのストラトにこのノブを採用していたわけでもないので、疑問は残る。

ジェフ・ベック
ローズウッド指板に交換された“フランケン”。(Photo by Andrew Putler/Redferns)

このストラトのネックは、1975年頃にローズウッド指板のものに交換された。1974年に撮られた写真に、かろうじてメイプル指板が写っているものがあり、1975年からはすべてがローズウッド指板の写真になることから、交換はこの時期だと判断できる。このネックは、ラージ・ヘッドに飛び出たブレット・ナット、2個のストリング・ガイドという仕様からして、1972年後期以降のものだ(そしてもちろん、使用開始した1975年までの期間に作られたものとなる)。このネックを移植するためには、ネックのジョイント部分を、1972年からの仕様である3点留めから、それまでの4点留めに改造しなければならなかった。つまりこのネックは、そこまでしても使いたい、ジェフのお気に入りだったということだろう。

ジェフ・ベック
4点留めに改造したジョイント・プレートが見える。(Photo by Richard E. Aaron/Redferns)

このローズウッド指板になってからの写真は豊富にあるので、この仕様こそ“フランケン”と思われる方も多いのではないだろうか。使用開始時期を鑑みても、この仕様の“フランケン”が『Wired』(1976年/録音は1975年に開始)で使われていてもなんらおかしくはない。しかし、確証があるという意味で言えば、1976年のヤン・ハマー・グループとのジョイント・ツアーの模様を収めたライブ・アルバム『Jeff Beck with the Jan Hammer Group Live』(1977年)だ。表ジャケットに写っているギターは違うかもしれないが、裏ジャケにはジェフが“フランケン”を弾く姿がバッチリ写っている。ただしこのツアーでは、1970年代製のホワイト・フィニッシュ/ローズウッド指板のストラト(前述したジャズマスター用のボリューム・ノブが付けられたもの)も使用されたので、このアルバムの全曲が“フランケン”で演奏されているとは言えないのだが(何公演かの音源から構成されているため、特定が難しい)。

さて、この“フランケン”は、1976年のツアー以降はまったく使われなくなった。そして、その後どうなったかも不明だ。同時に、ジェフがラージ・ヘッドのストラトを弾くこともなくなってしまった。“フランケン”をプレイするジェフの写真を見るにつけ、彼にラージ・ヘッドは凄く似合っていたと思うし、ラージ・ヘッドのストラトをまた弾いてほしかったな、ともつい思ってしまう。