ギルド・ギターズの誕生から現在までをふり返る短期連載『ギルド・ギターズの盛衰と復活の歴史』。第4回の舞台は、さまざまなジャンルの名手たちがこぞってギルドを使い始め、世界中のギター・シーンにその名が知られるようになった、“飛躍の”1960年代後半!
文=長谷鉄弘 デザイン=三本昌樹 Photo by: Photo12/Universal Images Group via Getty Images
絶大な影響力を持つアーティストたちがギルドを愛用した1960年代後半
ホーボーケンに工場を構えていた時期(1956~65/66年)のギルド・ギターズは、当時の音楽シーンの流行にうまく乗る形で飛躍的な成長を遂げた。この頃の同社は創業10周年を迎えたばかりのまだ若いメーカーではあったが、その楽器が備える高度なクラフツマンシップや独創的なデザイン、そして何よりもマーティンともギブソンとも違うサウンド~トーン・キャラクターはすでに多くの支持を得ている。
当時のカタログには存在しなかったローズウッド・サイド&バックのボディを持つF-30 “Special”から、1970年代前半のシンガー/ソングライター・ブームの先駆となるナイーブなフォーク・ソングを輩出したポール・サイモン(サイモン&ガーファンクル)。

サイケデリック・ロックが勃興しつつあったサンフランシスコでLSDを「燃料」に壮大なフリー・インプロヴィゼーションを展開したグレイトフル・デッドのジェリー・ガルシア(スターファイアーIII)とフィル・レッシュ(スターファイアー・ベースII)。のちにアレンビック社を立ち上げる技術者たちの助けを得て、スターファイアー・ベースIIを最初期のオンボード・アクティブ・エレクトロニクスを搭載する楽器に改造したジェファーソン・エアプレインのジャック・キャサディ。
あるいはイギリスでは、ビート・グループから転向しつつあったザ・キンクスでデイヴ・デイヴィスがスターファイアーIIIを弾き、その勇姿を『Kink Kontroversy』(1965年)のジャケットに刻んでいる。
ダブル・カッタウェイ・デザインを持つスターファイアーIV、V、VI及びXII(12弦)をライトニン・ホプキンスやバディ・ガイ、ロバート“ジュニア”ロックウッドらのブルースマンが好んだこともファンなら記憶しているだろう。
ほかにもフォーク/ブルース・リバイバルやブリティッシュ・ビートをバックグラウンドに持つミュージシャンたちが、1960年代のギルドを愛用した例は枚挙に暇がない。
伝説のウェスタリー工場と企業買収の影響
このように多くのトップ・プレイヤーから支持を得て、1960年代後半のギルドはフラットトップ・アコースティックからソリッド・ボディ・エレクトリックに至る幅広い分野でマーティンやギブソン、フェンダー、グレッチ、リッケンバッカーらと肩を並べるブランドになっていた。また、この頃には増加の一途を辿る生産数がホーボーケンの建屋を手狭にしており、1965年、同社はロード・アイランド州ウェスタリーにあった家具製造業者の工場を買取って新工場と定めることになる。
ギルドにとって3軒目の拠点に当たるこのウェスタリー工場は、1965/66年の稼働開始以来、ホーボーケン期から受け継がれた工法とスピリットをもって約35年もの間、楽器の生産を続けた。今日のビンテージ市場で見られる古いギルドは、このウェスタリーを故郷とするものが圧倒的に多い。
1960年代後半のギルドに起きた大きな変化としてはもうひとつ、アヴネット(Avnet)社による企業買収にも触れねばなるまい。1965年にフェンダーがCBSに、1969年にギブソンがECL/ノーリンにそれぞれ買収された事例からも察せられるように、1960年代は急成長を遂げる楽器産業へいわゆるコングロマリット(複合企業)が投資を始めた時代でもあった。
電子部品製造の大手であるアヴネットが500万ドル(今日の貨幣価値に換算して約75億円)でギルドを買収したのは1966年だったが、彼らは会社の運営をそれまでどおりアル・ドロンジとベテラン従業員たちに任せ、出資者としての強い介入を行なわなかったようだ。企業買収を経てもなお、1950年代から培われてきたギルドの個性が大きく損なわれることがなかったのは、楽器ファンにとって幸運であったと言える。
著者プロフィール
長谷鉄弘(ながや・てつひろ)◎1970年生まれ。『ギター・マガジン』、『ギター・グラフィック』(いずれも小社刊)などの編集部員を経て1996年に独立。現在はライターとして、『ギター・マガジン』や『アコースティック・ギター・マガジン』、『The Effector Book』(シンコーミュージック)などに寄稿。

